仏北部リールで、英国の国旗(左端)と欧州各国の国旗を掲げる人(2016年6月25日撮影)。(c)AFP/PHILIPPE HUGUEN 【6月28日 AFP】英国が国民投票で選んだ欧州連合(EU)からの離脱について、英語を決して受け付けないフランスの「潔癖主義者」の中には、EU本部から英語を追放するのに絶好の機会と捉えている人もいるようだ。 フランス国内では、英仏海峡(Channel)の向こうで英国が決定したEU離脱の衝撃は、政治家2人が英国に対して、国の離脱に先立って英語もEUの公用語から取り下げるべきだと要求したことでようやく浸透してきた。 極右として知られる南部ベジエ(Beziers)のロベール・メナール(Robert Menard)市長は「(EUの本部がある)ブリュッセル(Brussels)で英語が使用される正当な理由はもはやない」とツイッター(Twitter)に投稿した。 極左政
4月17日、東京・豊島区の池袋西口公園で「ボイシャキ祭り」が開催された。ボイシャキとはベンガル語で「正月」のこと。ボイキシャ祭りはバングラデシュの暦に基づく正月祭りだ。池袋での開催は今年で17回目となる。 広場にはさまざまな屋台の店が並び、中央のステージでは日本育ちのバングラデシュの子どもたちが母国の歌や踊りを披露する。1年の中で最も特別なこの日、東京はもとより東北や関西からも在日バングラデシュ人が正装して駆けつけた。 屋台から漂うスパイスの香りに引き寄せられて、バングラデシュの味に舌鼓を打つ日本人の姿も見られた。バングラデシュから招かれた有名歌手がステージに立つと広場はコンサート会場に早変わり。バングラデシュ人も日本人も熱気の渦に包まれた。
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日本人は英語ができないことを、疑う者は少ないだろう。 その理由を簡単に調べてみたところ歴史的背景から言語学上の違い、果ては脳科学まで言い訳がズラリと並んでいる。 だが海外で語学学校を経営している方にお話を伺うと、全く違う回答が出てきた。日本では「先生も英語ができないから、生徒も英語ができるわけない」というのだ。 確かに少し前、高校の英語教員でもTOEICスコアが620点しかないと話題になった。データソースをもう少しマトモな国の調査に拠っても中学教員で730点超えは3割を切る。あれだけ単語や文法の授業をみっちりやる教育を受けているにも関わらず、なぜ教師のスコアが惨憺たる結果になってしまうのか? とさらに経営者へ質問してみたところ「発音ができないんです。発音ができなければ、TOEICのスコアも上がらないので」と即答された。 発音ができなければ、TOEICのリスニングスコアが取れない 「発音がで
先日、といっても一か月以上前になるが、「どうやって英語勉強したらいいか?」と聞かれて、「基本的な文法を理解して、語彙もある程度あるなら、英文和訳をするといいよ」という話をした。聞いたほうは、うへぇという顔をしていた。示し合わせたようにそのころツイッターで同種の話題が流れてきて、そこでは、英語力を高めるなら英語を和訳して考えるのではなく、英文は英文のまま理解することだ、という意見があった。違うと私は思った。 もちろん、いろんな議論があっていい。ただ、英文和訳というのは、いい英語の勉強法だと思う。なぜかというと、英文をどう理解しているかを文法に沿ってフィードバックできるからである。 これ、どうも、このこと自体理解されないみたいなので別の面から補足すると、英文を英文として理解するというのは、それはそれでもいいのだけど、その英文の理解が正しいことをどう了解するか。つまり、間違った理解をしていたら、
え、チョムスキーってこんなことになってんの、というのが面白かったので、例によって勝手に翻訳して紹介。ぼくはおもしろいと思うんだけれど、昔朝日新聞にチョムスキー本の書評をのせたら、finalventがなにやら山形はまるっきりわかっていないと言いたげな、でも何もはっきりと言わない役に立たない批判めいたものを書いたので、実はぼくはチョムスキーの言っていることを全然わかっておらず、したがって以下の文も実は「わかってる」ひとにはあまり面白くないorピント外れなものなのかもしれないので、その点はご注意を。 ノーム・チョムスキー:世界で最も高名な言語学者の理論はいささか奇妙なものになってきた。 The Economist, 2016 3/26-4/1号 p.77 www.economist.com 特定の人物と、これほど強く関連づけられている学問分野はほとんどない。物理学のアインシュタイン、心理学のフロ
日本の高等教育ではスーパーグローバル大学/スーパーグローバル大学院化という政策が10年の時間規模で進められています。 これについて、広く共有されている基本的な条件もあれば、政策の題目先行で中身が詰まっていないものもあるのが、過不足ない現状だと認識しています。 私自身、自分が籍を置く大学で、この政策の一端に関わっており、その観点から自分が考える、国際的な高等教育の今後のあるべき姿について、原理原則を立て、従来の惰性や失敗例と明確な差別化を図りながら、慎重に、しかし決意をもって物事を進めており、コラムとして記せる範囲を平易に解説してみたいと思っています。 実の詰まった教育を まず、最初に、これは原理的で率直に実現性が低いものと思いますが、教育が本来どうであるべきか、という大原則から確認しておきたいと思います。 中身のある教育をすべきと思っています。 逆に言えば、現在の教育は初等、中等教育も、高
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