近 代小説の曙を坪内逍遥の『小説真髄』にひとまず見ることが出来るとすれば、近代詩においては『新体詩抄』(明治十五・1882)の成立はやはり無視することの出来ない大きな事件であっただろう。 単なる「訳詩集」、あるいは「平易な詩」という意味であったならば明治以前にもその兆候を認めることは出来るが、「西洋ノ風ニ模倣シテ一種新体ノ詩ヲ作リ出ス」「明治ノ歌ハ、明治ノ歌ナルベシ」という言説が序文に刻まれることによって、「漢詩」でも、「短歌」でも、「俳句」でもない詩を作り出す、という明確なコンセプトがここに明言され、以降の「近代詩」の流れの発端になったことは間違いないのである。 そこには「小説」の場合と同じように、これまで日本になかった概念としての「詩」を創造しようとする意図が明確にされている。 しかし、外山正一(教育・文学者)・矢田部良吉(植物学者)・井上哲次郎(哲学者)という三人の学者によって製作
現代日本において、詩というものは、その本来の力を失っている。フランス象徴詩が日本に紹介されてから、我々は、そこにある詩の本質に、未だ気付いていないのではないか。では一体我々は、何を頼りに詩を書けばよいのか。象徴詩が持つ、本来的な力を、一連の詩群によって明らかにする。 退廃 2012/01/09 13:32 今は亡き、モルフェウス 2012/01/10 00:18 復活するオルフェウス 2012/01/11 01:44 生、と、ふたつの獣 2012/01/12 00:08 死、言葉の忘却 2012/01/13 23:43 +注意+ 特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。 特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。 作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権
桜の実の熟する時 (新潮文庫)/島崎 藤村 ¥460 Amazon.co.jp 島崎藤村『桜の実の熟する時』(新潮文庫)を読みました。 島崎藤村の自伝的長編です。書かれたのは『春』よりも後ですが、作中の時期としては『春』の少し前になります。 『春』を少しおさらいしておきましょう。主人公の岸本捨吉は、同じく文学を志す仲間、青木たちと共に同人誌を作ります。 いくつかの悩みを抱えた捨吉は、教師を辞めて旅に出ます。自分の書く詩にも小説にも確固たる自信を持てず、このまま文学の道に進むかどうか迷います。 その悩みはやがて、生きることそのものの辛さになっていって・・・。一人の文学青年の青春時代を描いた物語。 そんなお話でしたね。日本文学史的なことと重ね合わせると、主人公の岸本捨吉は作者である島崎藤村が、そして青木は北村透谷がモデルになっています。そして仲間たちと作った同人誌は『文学界』にあたります。 今
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