0 はじめに 忘却、象徴、祈りと解釈学 本作は現代の日本を舞台とするフィクションであるのみならず、現実の日本の裏面を画面に克明に記録するとともに、象徴天皇制を持つ日本に内在する制度的強制/忘却を如実に示している。 これは牽強付会として一蹴できる解釈ではない。 例えば、晴れ間を望んで「オカルト」や「神頼み」でも軽々しく手を出す人々は、中継までされた一人の少女(=晴れ女)が天に昇っていく同じ「夢」を見ても、何らの疑問も呵責も負わない。文字どおり一夜の夢のように、朝日とともに日常生活が始まるのと同時に忘れ去る。「ありがとう!」と彼らが手を合わせたのは基本的には卑近な願い[1]のためであり、願いの裏でのしわ寄せが具体の他者に降りかかっても、それは自分のせいではないし、その帰結は「自分の知ったことではない(神のみぞ知る)」と嘯くだけであろう。忘却癖(あるいは「過ぎたこと」として儀礼に落とし込んでしま