「フカシギの数え方」おねえさんといっしょ!みんなで数えてみよう! ※LINEスタンプ「フカシギお姉さんと仲間たち」をリリースしました。※ "The Art of 10^64 -Understanding Vastness-" Time with class! Let's count! LINE sticker "Combinatorial Explosion!" has been launched! http://line.me/S/sticker/1143771 「フカシギの数え方」で紹介している、組み合わせ爆発の例です。 「それでもね。私はみんなに「組み合わせ爆発のすごさ」を教えたいの!止めないで!」 お姉さんと子どもたちが実際に数え上げる大変さを伝えます。 This is an example about combinatorial explosion. "I want to de
その内うちの子用に必要になりそうなので、備忘録的に。 昔というのは十数年前。一応このやり方で、大体の子は三桁÷二桁の割り算の筆算ができるところまでもってこれてた。教職免許もちではないので、実際の教壇でどう教えるのかは知らない。 対象者は、「割り算の筆算が分からない」という子。対象年齢は小学校高学年、場合によっては中学校低学年。三桁÷二桁なのは、二桁×二桁の掛け算が出来るかどうかもついでに確認出来るから、というのが理由。 仮に、205÷17という割り算の問題を想定する。途中の掛け算がシンプルなのと、余りが1出るので教えやすい、というのが理由。当時も大体この式を使っていた。 前提その一。教え方をステップ化して、どこでつまづくかを確認する。全部一度に理解出来る子は、少なくとも私が教えた中では滅多にいなかった。また、小4くらいで算数が苦手な子は、かなり初歩でつまづいたままなんとなく放置している場合
昨年、小学校で教える「掛け算の順序問題」がインターネットで非常に話題になった。*1 *2 簡単に言えば、小学校で「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」という問題が出題されて、「式: 5×3 = 15 答:15個」と書いたら先生にバツをされた、先生の用意していた正解は「式: 3×5 = 15 答:15個」だというものだ。 ぶっちゃけ、その教師は頭がおかしいと私は思うのだけど、まあ、その教師にはその教師なりの主張があって、この話は突き詰めていくと「掛け算の交換則が成り立つことを証明していないときに交換則を使っている」(それが解答として許されるのか)ということに行き着く。つまり、「まだ授業で習っていない事項を使ってはならない」という考えかたが根底にあることがわかる。 最近では、「習っていない漢字は使ってはならない。(ひらがなで書かなくてはならない。自分の名前さえも) 」だとか
今から書くことは、理工系の人にとっては当たり前過ぎて話題にすら上らないのに、 そうでない人にとってはひどく理解に苦しむ、「理系と一般人の最大のギャップ」についてです。 それはずばり、 「方程式を解く」 という言葉の意味です。 まずは有名な例を挙げてみましょう。 ・アインシュタインの宇宙方程式: この「方程式を解く」と、「シュヴァルツシルト解」などという答が出てきたり、宇宙の過去と未来の姿が予想できたりします。 ・シュレーディンガーの波動方程式: この「方程式を解く」と、原子や分子の形がわかったり、物質の性質(物性)が言い当てられたりします。。。 「そんなのあたりめぇじゃね〜か!」 はい、そう思ったあなたは理系人間ですね。もうここから先は読む必要ありません。 でも、(私が知る限り)たいていの人の反応は少し違っています。 「宇宙に、波動、だと?! こいつ、頭湧いてんじゃね〜か!」 ・・・そこま
無限は人間の理解力を超越した概念だとしても、それで諦めないのが数学者! 無限とは何? 無限はなぜ1通りじゃないの? 無限プラス1って一体なに? 疑問は無限大です。 数学者は「無限」をかなり厳密に定義していますが、本稿では「無限とは有限でない数すべてを包括するもの」という、もっと大雑把で身近な定義で通すことにしますね...さ、難しい前置きはこれぐらいにして心を広げ、無限の世界にソ~ッと忍び寄って参りまひょ~。 The Beginning of Infinity - 無限のはじまり 無限を語るその前に、数学的にどう定義するのか、まずはそこんとこ知らないと始まりませんよね。で、これが結構難しいのです。 無限の概念は古代ギリシャ人も知ってたし、アイザック・ニュートン、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツの微積分学でも重要な位置を占めているんですが、厳密な定義がなされたのは1800年代後半に入
「エジソンの母」に出てくる小憎たらしい小学生 以前に放映していたドラマに「エジソンの母」という作品がある。 私は第1話しか見ていないけれど、その中に1+1=2という足し算について「どうして?どうして?」とたずねる少年の話が登場する。 「どうして1+1は2なの?」 と尋ねる小憎たらしい小学生けんとくんに担任の先生が答える。 「ここにみかんが1個あります。そしてここにもう1個みかんがあります。1個のみかんと1個のみかんを足すと2個になります。 1+1=2。1足す1は2になります。わかりましたか?」 と応える。もちろんこれで納得してくれれば話は簡単だ。しかし、けんとくんは続ける。 「どうして?」 つかつかと教壇に歩み寄った彼は、徐に片方のみかんを半分にする。 「だって僕はいつもおかあさんとみかんをこうして食べているよ?こうやると、1足す1は3だよ?」 まだ続く。 「それにみかんの中にも1,2,3
物理学はどんなにか難しかっただろうか、とかつてファインマンが述べたという(「Imagine how much harder physics would be if electrons had feelings!」)。 この言葉は、アンドリュー・ロー(Andrew Lo)とマーク・ミュラー(Mark Mueller)が書いた論文「WARNING: Physics Envy May Be Hazardous To Your Wealth!」の冒頭に引用されている*1。(イースタリーの10/28Aidwatcherエントリ経由*2)。 ロー=ミュラーの論文では、経済学の「物理学への羨望(Physics Envy)」がサミュエルソンの研究を嚆矢とする一連の発展をもたらした一方で、数学モデルへの過度の信頼をも生み出し、今回の金融危機の一因になった、と述べている。そのため、経済学、とりわけファイナンス
強さと脆さ――ブラック・スワンにどう備えるか 著者:ナシーム・ニコラス・タレブ ダイヤモンド社(2010-11-27) 販売元:Amazon.co.jp ★★★☆☆ 世界的ベストセラーになった『ブラック・スワン』の第2版につけられた付録が、日本では独立の本として来月、出版される。英文のドラフトの一部はウェブサイトにも出ており、私もこの部分だけコメントした。 付録なので170ページ程度の小冊子だが、論じているテーマは重い。根本的な問題は、現代の統計学や経済学が扱っている「確率」という概念がいかがわしく、これが人々をミスリードして危機をまねくということである。ケインズやラムゼーが1920年代に指摘したように、社会の出来事を統計力学のモデルで語るのは誤りである。なぜなら、そこには主観から独立に決まる存在論的確率がないからだ。 たとえばサイコロを繰り返し振れば、1の出る確率は1/6に収斂するだろう
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