5月3日、東京・新宿で「自由と生存のメーデー2008」が開催された。怒りの若者がたくさん集まった。550人でスタートしたサウンドデモは1000人に膨れ上がり、新宿の街を圧倒した。
〈問い〉 戦後最初のころのメーデーは「皇居前広場」で行われたと聞いています。その後、使わなくなったのはなぜですか。(埼玉・一読者) 〈答え〉 皇居前広場は戦後、国が管轄する「国民公園」の一つとなり、厚生省が管理していました。1946年、50万人が参加した戦後初の中央メーデーで初めて使われて以来、50年まで毎年メーデー会場となりました。 また、皇居前広場は、生活擁護、平和と民主主義を求める国民的なたたかいの舞台として、各種の集会が約4年間で40回も開かれ、「人民広場」という名前で呼ばれるほどでした。 しかし、50年6月2日、米占領軍の要求により、警視庁が「当分の間」東京都内の一切の集会・デモを禁止、51年の第22回中央メーデーは、占領軍命令で皇居前広場の使用が禁止されました。 52年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は形のうえで「独立」します。第23回中央メーデー主催者は、今
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く