回天特攻を創案し訓練中に殉職した黒木博司少佐の遺志を受け継いだのが盟友、仁科関夫(にしな・せきお)海軍中尉(死後少佐)である。黒木と肝胆相照らした仁科は指導教官として後進の訓練に全力を尽くした。 昭和19年11月8日、回天特別攻撃隊菊水隊が出撃した。第1回出撃者12人は仁科が選んだ。先頭に立つのは仁科である。全員「七生報国」と墨痕鮮やかな白鉢巻きを締め、仁科は黒木の遺骨を納めた白布で包んだ小箱を首につるした。部隊の全員、基地である大津島(山口県徳山湾)の人々、女子挺身隊(地元の10代の女子生徒)らがこみあげる嗚咽(おえつ)を懸命にこらえて見送った。 11月20日、菊水隊は西太平洋ウルシーに碇泊(ていはく)する米艦隊群に突入した。12艇中5艇が突撃に成功、数隻を瞬時に撃沈した。仁科は先陣を切り見事命中した。21歳であった。 「君が為只一筋(ただひとすぢ)の誠心(まごころ)に当りて砕けぬ敵やあ