藤圭子自殺の報にはやはりこころ痛む。宇多田ヒカル-宇多田父の作歌コンビネーションからはじかれた彼女が買い物依存におちいっているなどのニュースも以前にあって、精神的に疲弊か病弊も生じていたのだろう。デビュー当時の凛としたルックスと声の凄味の落差から、五木寛之あたりがつくりあげた「物語」の重圧が、いまだに彼女の背骨を軋ませていたのではないかという気もする。 平岡正明は当時の演歌歌手をジャズとのアナロジーで語った。西田佐知子からいしだあゆみにいたるラインが、マイルス型のミュートトランペット。それにたいし、テナーサックス系の歌唱があって、藤圭子はこの系譜に属していた。ただし、歌じたいのストックは痩せている。森進一がいて、とりわけ青江三奈がいたからだ。とくに「あとはおぼろ」という虚無的なリフレインをもつ青江の「恍惚のブルース」の戦慄は絶品で、恨み節に傾斜せず生の流浪へととけてゆくあの「崩壊力」(ヘン