雨季のバンコク2泊4日旅行記 夏は苦手と言いながら、春先の憂鬱を吹き飛ばしたくて、今年も海外旅行の予定をいれてしまった。昨年20年以上ぶりに海外に足を伸ばし、旅をすると人生の栞が増えることを実感してから、だんだん旅が好きになってきたように思う。 今年の行先は雨季まっさかりのタイ・バ…
有原栞菜がコンサート終了の握手会で泣いた理由(レッツ芸能ニュース) コンサートが終了すると恒例の握手会ですが、8月6日の握手会で℃-uteの有原栞菜が泣いてしまったらしいです。 握手会ってアイドル達が横に並んでファン一人一人と握手をし、ファンとの距離を縮めるために友好的なアピールなのです。その握手会でなぜ泣いたのか? ファンの方、一人一人が℃-uteのメンバーと握手していきますが、メンバーの有原栞菜だけ、かなりの人数のファンの方が握手もせずにスルー(無視)した出来事が発生。これに困惑し、ついには握手会の最中に有原栞菜が泣いてしまったという報告がネットで多数書き込まれていました。 握手会に参加したファンの方々も次々とネット掲示板に理由を書きこんでました。その中で、握手をしなかった人達の書き込みもありました。握手をしなかった人達で、書き込んでいた共通する理由は、有原栞菜ジャニーズJr橋本良亮の
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
女が女を演じる―文学・欲望・消費 作者: 小平麻衣子出版社/メーカー: 新曜社発売日: 2008/02/15メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 25回この商品を含むブログ (7件) を見る 『女が女を演じる』の新聞書評を読んで、昔、演劇を研究していた友人が宝塚を見て「下手だ!!何であんなに下手なんだ!!」と叫んでいたことを思い出した。 なぜ、神格化されているほどの演劇エリート教育を受けているはずの宝塚が、その友人をして「下手」だと言わしめたのか。 長らく疑問だったのだが、この段を読んでそのなぞが一瞬にして解けた。 ジェンダー規範の確立過程を映すものとして、樋口一葉に対する見方の変遷が興味深い。生前から没後すぐの明治二十―三十年代初頭までは、その非凡で鋭い着想から本当に婦人の作品か疑われるなど、一般の女流とは一線を画す存在という評価が主流だった。だが、四十年代に入ると「男には到底まね
ゼロ年代の想像力第六回を読んだ。(メタ)決断主義者が決断主義者たちを動員するっていう構図はサイバーカスケードだよね、元ネタはサンスティーンの『インターネットは民主主義の敵か』だよね、という話をしようかと思ったのだが、あまり意味はないかもしれない。集団分極化もポストモダンの二層構造といいかえられているように、isedなんかによって『インターネットは民主主義の敵か』の内容はある程度前提の知識として共有されている。それでも意味のある指摘ができるかなと思うのは、集団分極化を解決する方法として、サンスティーンは「対立する意見のサイトと相互リンクしよう」といっている*1のだけど、「ゼロ年代の想像力」や第二次惑星開発委員会が論争を喚起させるためにわざと対立を煽った書き方をしているというのは、この辺の文脈をふまえてのことだと思う。あるいは、http://d.hatena.ne.jp/n-enmachi/と
「私はあなたに萌えています」 好意のある人に「私はあなたを愛しています」ということに対して、「私はあなたに萌えています」というとどうだろうか。この違和感はなんだろうか。ここに「愛の関係」と「消費の関係」の違いがある。萌えのフェティシズムとは、本来は消費の関係であるものを愛の関係へと倒錯している。 「消費の関係」 ・減算の関係。 ・相手を商品としてみる。商品はそのはじめにすでに価値があり、使っていくことで価値が減算していく。そしてどこかでそれを使い捨てて、代替品を手に入れる。 ・他者を手段とする「他者」回避。 ・処女信仰 「愛の関係」 ・加算の関係。 ・関係していくことで、他者がかけがえのない者、代替がきかない関係となる。ある意味で自らの一部となり、自分を犠牲にしてでも、その他者を守るようなことが生まれる。 ・なにを考えているかわからない他者に対してお互いに根気強く、向き合っていかなければな
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
「怒りオヤジ3」 それぞれ問題を抱えつつも、一人では脱却できずに、世間からは「ダメ人間」の烙印を押された者たち。そんな彼らに芸能人が愛のお説教をし、広く日本の世直しをする!史上初の一般応募型叱られバラエティ『怒りオヤジ3(さん)』。 彼氏が4人もいるという浮気性女に、本当の愛を涙で語った出川哲朗…35歳の無職ニートに、大声で喝を入れた阿藤快…中絶してもヤリまくるバンバ女を、母の心で包んだ松野明美… 「怒りオヤジ3」 http://www.tv-tokyo.co.jp/ikarioyaji3/ 「怒りオヤジ3」という深夜番組があります。「ダメ人間」をタレントが説教する。しかしその「ダメ人間」のダメさも筋金入りで、「なんでダメなの?」と開き直り、タレントがしどろもどろすることがおもしろい。 その中で最近、気になった「ダメ人間」が、ショタコンの二十代の女性です。10代の男が好きで、何人かを囲って
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
気になっていた非モテのこと。 森岡正博さんの記事を読んで、モテ・非モテにはいくつかのレベルがある事実を知った。 以下(例によって)単なる自分用のメモと整理です。 非モテ1.0: 《モテは、「ちょいモテおやじ」みたいに、いろんな女にちやほやされて、性的な視線を送られることというふうに理解されることが多いと思うが、そこをコペルニクス的転回しないといけないように思うのである。 そもそも、「いろんな女からちやほやされたい、あわよくば、いろんな女とエッチしたい」という願望は、「権力欲」にほかならない。このような権力欲に裏付けられたモテにこだわっているかぎり、光明はさしてこないだろう。(沼崎一郎はこれを「男力」として批判している)。》(http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070414)→非モテ1.0はこの反対命題 非モテ2.0: 《モテる男とは、「自分の好きなひとりの女を恋
Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2001.07.09号 Part2)伏見憲明 さん ――恋愛は「男と女はカップルにならなくてはいけない」といったことを前提にしています。こうしたテーマはなぜ自明なことだとされるのでしょう。 まあ、特別な才能やパワーを持って生まれた人じゃなければ、性愛以外には自分の人生をドラマティックに感じる「経験」もないでしょうから(笑)、そのことがドラマなどでの主要なテーマになりがちであることは仕方ないと思います。恋愛は、もっとも安直な人生の暇つぶしとも言える。 でも、人はそれぞれの生き方がありますから、男女でつがわなくてはならないわけでもないし、恋愛しなくてもいい。セックスがさほど必要でない人もいれば、恋人的な関係が煩わしいと感じる人もいる。 「恋愛」=「ドラマ」 「ドラマ」=才能やパワー、経験 「自分で「ドラマ」を充足できれば、「恋愛」はいらない」という説
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http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20070107/1168183833 面白い話ではあるのですが、肝心の所、古克氏が見えざる神の手をどの程度制限するべきかということがよくわからない。つまり、恋愛ケイジアンなのか恋愛共産主義者なのかがよくわからない。つうことで自分で考えてみた。 恋愛共産主義 「恋愛」は国家のものになる。いつ、どこで誰と誰が恋愛するかという事は全て国家が決める事になる。 例えば、どこの電車で伊東美咲が泉谷しげるに絡まれるか、誰がそれを助けるか、全ては国家によって統制される(それか合同結婚式みたいなものになる)。「第2次5ヵ年計画」なんていって「5年で結婚数を○○件まで増大させる事」みたいなのが書記長からのお達しで出てくる。 メリットとしては ・「平等」が達成される これの問題点としては ・実質上国民総背番号制の導入とセットになる(管理の必要によ
本田透の「電波男」以来、「恋愛至上主義」ないし「恋愛資本主義」こそが「非モテ」の根本問題である、という認識が「非モテ」議論の暗黙の前提とされるようになりました。「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏もまた、そうした「恋愛至上主義」を最大の問題の一つと考える「非モテ」論者の一人です。 今回は、この「恋愛至上主義」の実体とは何か、を考えつつ、古澤氏を初めとする多くの「非モテ」論者が陥っている「落とし穴」について述べていきたいと思います。 「非モテを苦しめているのは恋愛至上主義である」 という主張に対しては、古典的かつそれなりに有効な反論として 「世間は非モテ達が言うほど『恋愛』一辺倒ではない」「恋愛至上主義に陥っているのは実は非モテ自身である」 というものがあります。Paris713氏やまりねこ氏、ナツ氏の議論はこうした「反論」の典型的なものです。 これらの指摘は、ある面では全く以て正しい議論です。
バラエティー番組などでグラビアアイドルとかが、男性お笑い芸人に「キモイ」と言う。 そう珍しくもない光景である。私も何度か目にした。 一方イケメンタレントが、女性お笑い芸人に「キモイ(ブスとかでもいいけど)」とか言っているシーンはあまり見ない。少なくとも私は見た事が無い。イケメンタレントが女お笑い芸人に迫られても、ちょっと困った顔をしつつ優しく接する所しか見た事がない。 この差は一体なんだろう? 「女はいつも女という種として(性的な存在)として見做される」この様な言説はブログを読んだり、書いたりしている人なら誰しも(嫌という程)目にしてきたであろう。そしてこれは、おおむね事実である。*1 女として性的な視線に曝されるのは、なにも「若く美しい女」だけではない。 世間には様々な「性的な視線」が存在する。 例えば「人妻フェチ」や「熟女専」「デブ専」 これらはそれを専門とする風俗店が存在する程度には
こちらの話題ですが。 ●「あの男性には、わたしの後輩を紹介したくない。」 - シロクマの屑籠 ものすごくおおざっぱに要約すると 後輩から男性を紹介するように頼まれているXさんから見て 「女性とつき合いたいと言っているわりに身なりなどに気を付けずまた忠告にも耳を貸さない職場の独身男性」には後輩を紹介したくないな という話。 話のなかに出てくるひとたちの間違いは、ふたつ。 Xさんはその独身男の主張を要求と勘違いして取引をもちかけている その独身男(以下Y氏)は「一般的なモテ条件」には意味がないと思っている 以下、それぞれ説明していきます。 主張と要求の違いについて まず1について。 Y氏は 「俺が良いと思っているんだから、それでいいじゃないか」 「俺が思ったとおりにやる」 と言っていて、これはすなわち要求ではなくたんなる主張と理解できるのですが、Xさんからすれば 後輩を紹介するのであればちゃん
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