私が小・中学校の9年間、養護施設(現特別支援学校)に通っていた時、毎年数回、普通学校との交流会がありました。自己紹介をして、ゲームをして、歌を歌って。障害者がいることを知ってもらう機会にはなりましたが、ある意味、見せ物にされた気持ちがしました。「お互いが対等に知り合って、仲良くなる」というよりも、障害を見てもらう時間だと感じたからです。 そして「『みんな違って、みんないい』なので、学校が違っていても大丈夫」と片付けられた気持ちがしました。 お膳立てされた交流会だけでは物足りなかったので、私は交流をしていたクラスに手紙を書きました。「もしよければ文通をしませんか?」と。すると10人くらいの友だちが手紙をくれ、手紙のやり取りだけでなく、電話をしたり、土日に会って遊んだりと、本当の友だちになることができました。 形だけの交流では違いだけが強調されてしまい、別々の場所で過ごすことに疑問は持たず、分
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