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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/f-ryota (22)

  • wasebun、アバター - 仮想算術の世界

    お知らせを忘れてましたが、『wasebunU30』に現代中国文化ネタで一論考を寄せています。よろしければどうぞ。 この論考もそうだし(ただところどころ筋が悪いので、個人的には不満)、今度出るもそうですが、多少大袈裟に言えばすべての社会事象をネットワークの複雑性の縮減プロセスとして見ることによって、言い換えればかつてのヘーゲル的弁証法をルーマン的オートポイエーシスによって置き換えることによって、文化や芸術の総合的な価値転倒を企てる、みたいなことを僕はやりたいわけです。よって、思考様式は完全に一元論(とそれと裏腹になった多元論=アプリケーションの多様性)によって構成される。つまりはanything goesの感覚をいかに言説レベルで担保するかということで、その点では僕にとって批評を書くということは、必要最低限の客観性・ノンフィクション性を備えた上での一種の美学に近くなっています。けれども

    Lian
    Lian 2010/02/05
  • レヴィ=ストロース氏死去 - 仮想算術の世界

    レヴィ=ストロース氏が亡くなられたとのこと、もうほとんど歴史上の人物と言っていいかと思いますが、それでもやはりショックでした。 僕は、ネットやサブカルチャーの分析にレヴィ=ストロースの神話論が適用できるのではないかというアイディアの下、『ユリイカ』で連載をしていたのですが、単行ではあまりレヴィ=ストロースへの言及は入れていません。ノルベルト・ボルツとかグレゴリー・ベイトソンといったあたりのシステム論系の論者の議論を使ったほうが、文化分析としてはうまく行くという気がしたからです。というか、フランス系の文学性を捨てて、生態学&神話論で行くほうがチャレンジしがいがあるのではないかと思った…というほうが正確かもしれませんが。 とはいえ、別にレヴィ=ストロースの議論が現代的にダメということではない。たとえば、レヴィ=ストロースの「神話素」という概念は、アレグザンダー的に言えばセミ・ラティスと同

  • 構造主義とサイエンス - 仮想算術の世界

    こんにちは。1年ぶりくらいに東方熱が再発中の今日この頃です。最近は、最低一日一回はみょんのMADを見ないと落ち着かない体質になってしまったし、大江健三郎『同時代ゲーム』なんてもう東方の予告編にしか見えなくなっているし(ちなみに、最近筒井康隆氏がこの小説を「ゲーム的リアリズムの先駆」みたいな文脈でほめていて、さすがと思いましたが)、八坂神社の境内でぼんやり月を眺めていると、なぜだかえーりんやうどんげを幻視してしまうしで、ちょっとみょんな精神状態。 前も書いたことですが、東方というのは、外見上はゼロ年代的な作品ではまったくない。それこそ、大塚英志さんの『物語消費論』に東方論が紛れ込んでいても違和感がない程度に、80年代的だと思います(それはたとえば、『求聞史紀』や『文花帖』ののつくりを見ていても感じます。何とも懐かしい)。実際、ZUN氏の方法論は、まず世界観をちゃんとつくり、それからその世

  • 今月の原稿&ロザリンド・クラウス - 仮想算術の世界

    こんにちは。暑気で電脳ともども壊れかけている今日この頃です。 前も書いたかもしれませんが、ぼくは逆・宮沢賢治みたいな男なので、暑いのとか寒いのとか痛いのとか気持ち悪いのとか、ホント耐えられない。絶対軍隊とか入れない。今月の電気代も怖い。パソコンが熱くて原稿も書きたくない。主はいまやそうめんだし、間は(主に経済的理由で←ぼくはケチなので)100円のわらびもちしかわない。健康ランドに行きたいのに、いろいろ邪魔が入る。もうマジで勘弁してほしい。 勘弁してほしいといえば、最近ある評論家の方と初めて2、3回メールをやり取りする機会があったのですが、ぼくが「ロラン・バルトは『S/Z』や『モードの体系』でマッドサイエンティストみたいにガチで記号論をやろうとしていたと思う」という意味のことを書いたら「それはバルトからすると全部暇つぶしでポーズだから、マッドサイエンティストなんかじゃない。きみには

    Lian
    Lian 2008/07/27
    "この評論はかなり本気で『コードギアス』みたいなつくりにしたいと思っていて"
  • 続・ゆるい宗教国家 - 仮想算術の世界

    藤田直哉氏がブログで、前回のエントリ「ゆるい宗教国家」を引いてくれてます。ただ、藤田氏と僕とでは「宗教」についてだいぶ考え方が違うので、これは確認しておいたほうがいいと思いました。結論から言えば、彼が言うのが「物語としての宗教」であるのに対して、僕が言うのは「神話=メタ物語としての宗教」であり、後者の力学を踏まえておかないと、前者の議論そのものがいちばん素朴な宗教に陥りかねないということです。なお、以下の記述は前回のエントリの延長なので、説明が多少不親切なところもあるかもしれませんが悪しからず。 僕が前回書いたのは、スピリチュアルのように宗教なのか宗教でないのかもはや判然としないものが(たとえば、島薗進氏はスピリチュアルを「新霊性文化」と呼んでいます。つまり、島薗氏にとっては宗教というより文化なわけです)、これからの先進各国ではますます強くなるだろうということです。それが「ゆるい」という

    Lian
    Lian 2008/07/06
  • MADは「日本文化」 - 仮想算術の世界

    …というわけで、この機会に2週間くらいネット断ち(メール除く)して、腰を据えてでも読もうと思っていた矢先の、ニコニコ動画のMAD削除問題。アニメやドラマ一まるまるアップしている動画ならともかく、MADまで削除するのは明らかにやりすぎですが、これについて著作権の問題等含めてきちんと書くには、いまの僕は用意が足りていません。 ただ、文化批評的な観点から言えることがあります。そもそも、ニコ動のMADはいま相当数の人間が関わる文化圏になっていて、そこに楽しみを求めているひとも大勢いる。まず単純に、その文化圏を権利侵害を盾に萎縮させていいのかという現実的な問題があります。 それから、MADには日文化のひとつの伝統的なスタイルが凝縮されている、という点も見逃せません。たとえば、かつて三島由紀夫は伊勢神宮を例に出しながら、日文化の柱は実体ではなく、実体をつくりかえていく「フォルム」にあると述

  • 世代について - 仮想算術の世界

    最近、このブログでは同世代の書き手のことばかり書いているので、何か徒党でも組んでいるかのような誤解を持っているひとがいるらしい。とはいえ読めばわかると思うが、これはもう僕が勝手に黒瀬陽平氏なり濱野智史氏なりにタチ悪く絡んでいるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。別に同世代性などは微塵も成立していない。そんなことを感じているひとがいるのだとしたら、ただの錯覚だ。 いわゆる「世代論」というのは、基的に世代間闘争の問題と直結している。たとえば、高度成長を経験した年上世代は勝ち逃げし、不況で割りをった年下世代は々と貧乏に甘んじるしかない、この不平等をどうしてくれるんだ、という類の話。もちろん、このレベルならば同世代性はたやすく成立するし、いまの論壇の世代論はほとんどこの話しかしていない。世代の自己意識は、他世代を鏡とすることによって強化される。ヘーゲル哲学のお手のような話だ。だから逆に

    Lian
    Lian 2008/06/28
    彼らが徹底して暗いファンタジーを書いたのは、コミュニケーションがほとんど瓦礫のように空洞化していることを示すためだった。彼らは、人間と人間のつきあいなどとうに偽物になっていることを、切実に感じていた。
  • ゆるい宗教国家 - 仮想算術の世界

    こんにちは。先週のコードギアスはぶっちゃけ天子様目当てで3周しました。 そんなどうでもいい話はさておき、今度『ユリイカ』で連載を始めることになりました。タイトル、掲載月その他は追って告知しますが、このブログの読者はよくご存じの「神話社会」についての考察が主題になります。第一回はプラトンと神話の関係について。経験上、たぶんネットでの反応は限りなく無に近いと思いますが(笑)、ともあれお楽しみに! * ところで、「神話社会」と聞くと、ふつうは何か宗教国家のようなものを思い浮かべると思います。これは別に間違いではない――というか、むしろ僕は2010年代以降の先進各国は「ゆるい宗教国家」のようなものになると思っているのですね。たとえば、『思想地図』の論文で「現在の台湾は、十年後の日かもしれない」という意味のことを書きましたが、これはレトリックでも何でもなく、けっこう気でそう思ってます。台湾

    Lian
    Lian 2008/06/28
    そういう神話の意味もあるのか。楽しみ
  • 神話の時間 - 仮想算術の世界

    前回は勢いでばーっと書いてしまったのですが、一つだけ「ゲームというのはむしろ、レヴィ=ストロースが言ったように、そういう自然と文化という差異を曖昧にするものです」と書いているところ。これはさすがに不正確で、もちろんレヴィ=ストロースは自然と文化を区別したことで知られています。 ただ、ここで重要なのは、科学者が自然と文化を区別するやり方と、たとえば神話の語り手が自然と文化を区別するやり方は異なるということです。確かにどちらも「文化」を思考するところでは変わらないし、それぞれに合理的な思考をしてもいるのですが、ただその合理性の意味が違う。人文・社会科学者であれば、人為的につくられた構造を見つけ出して、それがどういう具合に反復されているか、あるいはどういう具合にイレギュラーが起こっているか等々を検討する。それに対して、神話の語り手は、もともと構造など存在しないところに構造をつくりだす。ちょうど

  • Codec的文化防衛論 - 仮想算術の世界

    濱野智史さんの今号のインコミの原稿「「ニコニコ動画」をめぐる冒険」はいろいろと考えさせられます。特に彼がニコ動とは「メディア」ではなくて「ゲーム」なんだと言っていることは重要だと思いました。確かに日の思考は、どんな立場に立っていようと基的に「メディア論的」なんですね。つまり、一方に手の加えられていない素の自然があり、他方でそれを人工的に再構成するメディアがあるという構図です。言い換えれば、自然と文化という二分法をけっこう愚直に守っている。文化というのは、この場合コード=約束事の集合体です。そして、ここ十数年の日で思考するということは、これまでにない新しいコード、新しいパラダイムを提案するということだった。大きな約束事、いわゆる大きな物語が壊れてしまったのであれば、中規模の約束事のクラスター(文化)をつくって、それで社会を維持すればいいというわけです。 しかし、ゲームというのはむしろ

  • 批評のジャンル - 仮想算術の世界

    黒瀬さんがブログで反応してくれてます。面白いんですが、ただお世辞半分にしても俺のことは誉めすぎ!そんなにイけてる奴じゃないです!いや、そもそも評論家とか何とかいう以前に、俺なんてただの嫉妬深い小人ですからね…。リアルにクズですよ(笑)。 それはさておき、僕も個人的には、昔のアニメのほうが絵的に迫力があったようには思います。『レイアース』やら『ロードス島戦記』やら『スレイヤーズ』やらを思い返してみても、画面を立体的に、いっぱいに奥行きを使って作画していたような記憶もあるし、そこには確かに、高揚感やダイナミズムもあった。むろん素人なので演出論はできませんが、たとえばOPだけで言えば、そりゃ『R2』よりも『レイアース』のほうが圧倒的に血湧き肉躍る出来映えだと思う。まぁ思い出の負荷もいっぱいかかっているので、あんまり冷静な判断ではないですけど(笑・そういえば、ここ2、3日はエンドレスで「ゆずれな

  • 『ナディア』とMAD的なもの - 仮想算術の世界

    黒瀬さんのブログで、アニメのOPの話が語られています。いま気付きましたが、彼と会ったのは今年の3月のことなので、まだほんの2、3ヶ月くらいしか経っていないわけですが、それから随分と物の見方は変わりました。美術評論も気で読むようになったし、この作品は黒瀬さんならこう読むんじゃないか、という類推もよく働くようになった。僕にとっては、すでに得難い友人です。 ただ、黒瀬さんとしゃべっていると、自分の趣味がとても子どもっぽいということはすごく感じます(笑)。やっぱり彼は美術家らしく学生時代からいいイメージをたくさん見てきたひとで、その体験が自然に思考に流れ込んでいる。逆に『To Loveる』だのMUGENだの言ってる俺ってどんだけ厨房やねん……、と時々我ながら情けなくなる瞬間があります。 とはいえ、たぶんそこにも理由があるはずなんですね。黒瀬さんに便乗して語り始めるなら、僕にとってアニメのOP

    Lian
    Lian 2008/06/01
  • 岡田斗司夫氏の新著について - 仮想算術の世界

    岡田斗司夫さんの『オタクはすでに死んでいる』。僕は発売直後に読み、ふつうに納得してそれで終わったのですが、さっきちょっと気になってネットを調べてみたら予想外に否定的――というかむしろ嘲笑的――な反応が多くて驚きました。そんな簡単にバカにしていいんでしょうか。 僕の印象では、ネットの評判は「オタクは死んだというが、それは岡田の思いこみで、いまでもオタクはいるし、これからもオタクは生き続けるだろう」というひとと、「岡田が言うように昔ながらのコアなオタクが死んだとして、だからどうだというのだ」というひとに大きく分かれています。けれども、それはどちらも浅い主張だと思います。 そもそも、なぜ論壇はオタクに惹かれるのか。いろいろな側面はあると思いますが、いちばん単純な理由は戦後の問題です。東浩紀さんがずっと言っているように、オタクというのは戦後日の価値を凝縮し、かつ大きくねじ曲げた文化階層として

  • 思想地図、グローバル化、チベット - 仮想算術の世界

    原稿に四苦八苦していて、更新が滞ってました。すみません…。 『思想地図』ですが、うちの大学の屋には人文系新刊、NHKブックス、思想系の棚、それぞれに2〜30冊くらいがどどんと陳列されており、今週の月曜日に指折り数えてみると83冊もありました。あのオレンジが人文の棚をいつぶしている光景は、なかなか壮観、というか率直に言ってシュールです(笑)。皆さん買って下さい… で、僕の原稿ですが、ある程度予想していたこととはいえ、ポジティヴな反応は限りなくゼロに近いですね。たぶんテーマが「台湾のラノベ」とかいう時点で、70%くらいの読者は脱落してるんじゃないかと思う。しかも、政治については何も語っていないので、いまの中国のホットな話題とも全然繋がっていない。ついでに、同業者からはくだらない批判メールが来る。まぁ冷静に考えれば、九把刀なんて名前の読み方もわからない謎の台湾人とか(現地では「ジウバーダ

  • ソフトウェア・フィクションの構想 - 仮想算術の世界

    先週は東浩紀さんのお家で、濱野智史さん、黒瀬陽平さんと談合してきました。いつになるかはわかりませんが、このお二人とはいずれ一緒に仕事をすることになるだろうと思います。これからの批評は、いかにひとと“組む”かが重要になってくると思うし、その意味で、いま彼らと知り合えたのは非常にラッキーでした。 たとえば、最近は雑誌創刊ブームですが、有名人が集っての丁々発止のジャム・セッション、というのは、どうも僕のイメージとは微妙に違う。むしろ、匿名の発電所となって、定期的に社会に必要な電力を送り込む、それによってこれまで見えなかった問題を照らし出す、我々の世代は、そういう一見すると地味だけど、しかし実質は残るという仕事のほうが適しているのではないか。むろん、僕ら3人はそれぞれに得意ジャンルは違うし、まだまだ無名の(濱野さんは着々と有名になっているとはいえ)存在ですが、だからこそ、新しい批評のスタイルを示

  • ロゴスとミュトス/神話とは何か3 - 仮想算術の世界

    4Gamer.netで濱野智史さんのインタビュー記事が公開されてますが、これは抜群に面白かったです。ニコ動を中心にしながら、現在のウェブ上のサービスの性質がとても精密に論じられているわけですが、こういう一筋の通った俯瞰的なパースペクティヴはこれまでそうそうなかったのではないか。まさにこういう記事を読みたかった、という感じです。 来ならば、それぞれのトピックの面白さについて語るべきかもしれませんが、ここではひとつだけ「確かにニコニコ動画は,「Wikipedia」のように何かの役に立つ「知」を生み出すようには見えないし,単に暇つぶしのための娯楽のようにしか見えない。しかし,それにしてはあまりに異様なサービスであることは間違いない。そこから学べるものはもっとあるはずです」というところに、それこそニコ動的にコメントを書き込んでおきたいと思います。というか、僕自身も実はWikipediaとニコ

  • ケータイ小説の環境/神話とは何か2 - 仮想算術の世界

    東浩紀さんのブログの記事に引っ張られて、濱野智史氏の「恋空」論(3)を読んできました。このブログの読者ならおわかりのとおり、僕は現代文化を「神話的操作」のシステムとして読むことをずっと提案しているわけですが、濱野さんのエントリーはまさに『恋空』をケータイ的な「操作ログ」の集合として扱っている。共感するところ大でした。 ところで、濱野さんは後半で、東浩紀さんの言う「ゲーム的リアリズム」とケータイ小説の「操作ログ的リアリズム」を分けています。ただ、僕の印象だと、ゲームとケータイというのは必ずしも対立するものではない。むしろゲームもケータイも、同じ現象の二つの枝分かれとして読める側面があります。それはまさに、前回のエントリーで説明した「神話」の問題です。 いきなり些末な世代論になるかもしれませんが、たぶん濱野さんや僕の世代(80年前後生まれ)は、物心ついた段階で「遊ぶこと≒テレビゲームするこ

  • カラスの批評 - 仮想算術の世界

  • 今月の原稿 - 仮想算術の世界

    ■「チャイニーズ・イノセンス――郭敬明現象が語るもの」『ユリイカ』3月号 『思想地図』の論文では台湾のウェブ小説について書いたのですが、こちらは大陸の人気作家・郭敬明について。『思想地図』のほうは最終的に「日」の問題と繋げなければならなかったので、かなり特殊なパッチファイルを当てながら書いたという感じなのですが、『ユリイカ』のほうはごく素直に、いまの中国の若者文学について書いています。自分で言うのも何ですが、この論文はなかなか悪くないと思う。そのうち、自分で翻訳して『最小説』に投稿しようかなぁとか思っています。 いや、やっぱり郭敬明という存在は、いまの華文世界でダントツで面白い!むかしの僕は彼にかなり否定的だったのですが、いまや僕は一介の郭敬明ファンになり下がっています(笑)。彼がいま『最小説』で連載している「小時代」も実にすばらしい。五年がかりで1年に一部ずつ、計五部作として売り出

    Lian
    Lian 2008/03/02
  • 神話とは何か - 仮想算術の世界

    宇波彰さんのブログからトラバをもらいました。僕は実はフランス語がまったく読めないので、フランス現代思想についてはもっぱら日語訳(あるいは英訳)に頼るしかなく、『意味の論理学』も『分裂分析的地図作成法』も宇波さんの翻訳で読んだクチです。そういう意味で、たいへんお世話になっています。 それはともかく、「私はこの『ミトロジー』は現代の文化を考えて行くためには不可欠の文献のひとつであり、また読むことそれ自体が楽しみとなるような種類の、数少ない書物の一冊であると考える」。あるいは「しかしながら、バルトが『ミトロジー』を発表してからすでに四分の一世紀がすぎようとしている。その間に、大衆文化と集団表象のあり方はかなり変化したと言わなくてはならないだろう。大衆や集団そのものが極度に変質しつつあるからである」という記述は、僕もまったく同感なので驚きました。このブログでも度々書いているように、ウェブ上のサ