ひさびさにナンシー関のエッセイを読み直してみた。 テレビの裏側をえぐるような視点を持ってる人、という印象があったのだが、読み返してみると、意外と「見たままの感想」が多いように感じた。というか「作った側の視点」については、全然興味が無さそうなのだ。 もちろん芸能人を見すえる視点はかなり厳しくて、ちょっとでも隙のある発言をすると、そいつが腹の底で考えているであろうホンネを容赦なく暴きにゆく。……のだが、たとえばバラエティ番組の演出に関しては、まったく無防備に受け入れているように思えてならない。 たとえばウド鈴木について書いた、この文章。 この「電波少年インターナショナル」の「キャイーンのはじめてのおつかい」では、ウド鈴木の「保護される者」性がいかんなく発揮されていた。「保護しなきゃいかん」性といったほうがいいかもしれないが。 ロンドン経由でオランダに入り、ドイツとの国境に行くというのがウドに課
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