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表現に関するMINiのブックマーク (18)

  • 「不謹慎」という病 - 琥珀色の戯言

    参考リンク:今、Twitterやmixiで日常のこと書くと非国民扱いされることについて 僕もTwitterをやっているのですが、今回の地震が発生してから、タイムラインに流れてくる「つぶやき」の中には、「心底腹が立つ」ものも少なからず含まれていました。 それは、「ジョークのつもりなんだろうけど、あまりにも悪趣味なもの」とか「ひたすら不安を煽るだけの情報を脊髄反射的にリツイートしたもの」とか「日頃の自分に主義主張の正しさや政治的な意見をアピールするために、この災害を利用しているもの」など。 このようなつぶやきに対しては、タイムラインのなかでも小競り合いが起こっているのですが、「日常的なつぶやき」に対して「不謹慎」などという声はほとんどありません。 少なくとも、被災者のなかで、いまも避難所で厳しい状態に置かれている人からの、日常的なつぶやきに対する「不謹慎だからやめてくれ」という抗議は、リツイー

    「不謹慎」という病 - 琥珀色の戯言
  • 表現とは、地雷である。 : 404 Blog Not Found

    2011年02月13日16:00 カテゴリPsychoengineeringMedia 表現とは、地雷である。 ああ、わかった、ような気がする。 しかしなあ。そもそも、表現の自由って絶対不可侵でもなんでもないのよ。たとえば他人を傷つける表現の自由はない。これは重要なことなんだけどなあ。マンガは絶対的な聖域だって確信はどこから出てくるのだろうか。less than a minute ago via webhiroki azuma hazuma アニメ「フラクタル」のぬるさの理由が。 現在進行形の物語を論評するのは避けたかったところなのだけど、あまりによい教材が今そこにあるので、私はそれをもって読者のみなさんを傷つける誘惑に耐えられない。 今期のアニメの一番人気といえば、「魔法少女まどか☆マギカ」だろう。何をもって一番人気とするかは異論もあろうが、ネットの反響ではもう圧倒的。「( ◕ ‿‿ ◕

    表現とは、地雷である。 : 404 Blog Not Found
    MINi
    MINi 2011/02/13
  • なぜ「サブカル」から狙い撃ちされているのか考えてみる - あままこのブログ

    なんか最近「表現に対する自主規制」が各方面で色々と問題になっているそうで、例えば渋谷の西武デパートで開かれた展覧会が「ふさわしくない」と中止に追い込まれたり あるいはヴィレッジヴァンガードという雑貨屋兼書店でエロ・アングラ関係のものが撤去を命じられたり ヴィレッジヴァンガードからエロ・アングラ商品撤去、に関するツイート - Togetter と、様々なことがここ最近起きています。 で、まぁ皆さんお気づきでしょうがこの二つの事件には大きな共通点があります。それは 規制の対象になっているのがいわゆる「サブカル」系である ということです。展覧会の方はそのものずばり「SHIBU Culture デパートdeサブカル」という風にサブカルと銘打っていますし、ヴィレッジヴァンガードの方も、まさに「サブカル系屋」という風に呼ばれ、「サブカル」という文化ジャンルに属するような変なものを売っているところです

    なぜ「サブカル」から狙い撃ちされているのか考えてみる - あままこのブログ
  • 東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所

    西日新聞の投書 先日(2010年12月9日付)の西日新聞の投書欄に「過激な性表現 規制やむなし」という70歳の人の投書が載った。もちろん東京都の青少年条例の件だ。 投書は、表現の自由という主張に一定の理解を示しつつも、規制はある程度はやむを得ないとする。 私には最近の性に対する感覚は異常に映る。一昔前なら非難された「できちゃった婚」や「援助交際」という名の売春。言葉にも意識にもモラルや罪の意識が薄い。それらが規律を乱していないか。 性観念の紊乱や崩壊が起きている、という指摘である。この文章の後に、教師や知識人の性的頽廃を嘆くくだりが続く。社会の自浄作用として善導を期待されている人々がその体たらくだから、行政が乗り出すのもしょうがないじゃん、というロジック構成だ。 この種の年配者の発言には、条例の内容などを早とちりするものが多いが、この投書は立法の内容を基的に正確におさえ、性的刺戟など

    東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所
  • 純文学にあって漫画にないものってなんだろう?:日経ビジネスオンライン

    スパルタ教育という言葉がある。 賛否はともかく、この言い回しの意味するところを知らない人はそんなにいないと思う。 が、私が小学生だった頃は、誰も意味を知らなかった。というよりも、「スパルタ教育」という言い方自体が、まだ存在していなかった。一部のインテリ層が使っていた可能性はあるが、われわれのような普通の庶民は聞いたこともなかった。 「スパルタ? 誰だ?」 という感じ。スパルタが古代ギリシアの都市国家名に由来するということすら知らなかった。当時、この種のカタカナを使うのは洋行帰りの知識人に限られていて、そういう連中は「キザなヤツ」と見なされていた。「おそ松くん」に出てくる「イヤミ氏」がその典型だ。下が伸びている。もしかして、赤塚先生にとっては、ナイロンのソックスを履いているというだけで、キザだったのかもしれない。そういえば遠藤周作は「下のクサい文化人」という言い方で、キザな青年をクサして

    純文学にあって漫画にないものってなんだろう?:日経ビジネスオンライン
  • 【16日日中分追加】都条例可決を受けて、赤松健先生のツイート

    赤松 健 ⋈(参議院議員・全国比例) @KenAkamatsu まずは落ち着くことです。興奮すると対応を間違えやすいです。 RT @ohm336 マンガ規制の条例が可決されてしまった今、僕達にできることってなんなのでしょうか? 2010-12-15 17:43:23 赤松 健 ⋈(参議院議員・全国比例) @KenAkamatsu 今回の都条例、完全WIN(勝利)だったグループが無かったですね。どこもそれなりのダメージを受けて、しかも憎み合って終わった。多少は相手にも利益を与えつつ、押し引きで交渉する場がネットにもあればなぁ。「正しければ必ずこちらの言い分が通る」と考える人が多すぎた印象です。 2010-12-15 18:15:56

    【16日日中分追加】都条例可決を受けて、赤松健先生のツイート
  • コーヒーを入れる?淹れる?煎れる?点てる?

    コーヒーを作る」ことを「コーヒーをいれる」とも言いますね。この「いれる」に該当する漢字は、どれが適当だと思いますか?入れる? 淹れる? それとも、煎れる? もともと日茶の文化を持つ我が国では、お茶の作り方によって「いれる」という言葉に漢字を当てはめてきました。 今日は、コーヒーに使う場合どれが一番適当かを考えてみたいと思います。 「煎れる」の意味 「煎」という語は「薬草を煎(せん)じる」という用法に見られるように、お茶の葉を火にかけ沸騰させたお湯の中に入れ、煮出してお茶を作ることを言います。 もしこれをコーヒーに当てはめるなら、コーヒー粉から煮出すパーコレータやターキッシュコーヒーの抽出過程が似ていますね。 「淹れる」の意味 「淹」という語は、火から降ろしたお湯で、急須に入れた茶葉を浸してお茶を作ることを指します。日茶の作り方そのままですね。 これをコーヒーに当てはめるとプレス式が近

    MINi
    MINi 2010/09/11
  • 意図や目的より手続きを重視するということ - 地下生活者の手遊び

    以下は http://h.hatena.ne.jp/manysided/9236557630630465306 への反論。 ハイクで応答しようと当初は思ったけれど、長くなったし大事な論点も含むのでエントリという形にしますにゃー。 応答します>id:manysided 前回のエントリでも書きましたが、宗教権力というものは「善」を他者に求めるものだといえるでしょう。それに対して、他者危害行為を禁じるのが自由主義における世俗的な権力です。他者に対して善を求めることと悪を禁じることには大きな違いがあります*1。 なぜなら、善というものは人によってさまざまな形をとるものだからです。それに対して、危害というものはある程度客観的に定めることができます。 はてこ氏の議論は、「良心」を他者に求めるものでした。 これは基的に宗教のロジックです。自らの信ずる「善」「良心」を他者に求める論法に対しては、「僕には

    意図や目的より手続きを重視するということ - 地下生活者の手遊び
  • 非実在有害図書 - 内田樹の研究室

    東京都青少年健全育成条例について基礎ゼミの発表がある。 「表現に対する法的規制」というものについて私は原理的に反対である。 ふつうは「表現の自由」という大義名分が立てられるけれど、それ以前に、私はここで言われる「有害な表現」という概念そのものがうまく理解できないからである。 まず原理的なことを確認しておきたい。 それは表現そのものに「有害性」というものはないということである。 それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。 マリアナ海溝の奥底の岩や、ゴビ砂漠の砂丘に、あるいは何光年か地球から隔たった星の洞窟の壁にどのようなエロティックな図画が描かれていようと、どれほど残酷な描写が刻まれていようと、それはいかなる有害性も発揮することができない。 「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。 全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と主

  • 芸能人でもないのにブログを書いてるんですか?

    先に書いておくと 「芸能人」という表現については思うところもあるんだけど 「一般に『芸能人』と呼ばれている人」と毎回書くのもめんどくさいので 以下では便宜上「芸能人」と表すことにします。 こういうことを言うからまためんどくさい奴だと思われる。 さて、テレビ番組で面白いことを言っていたので。 会場に来ているお客さんに話を聞くコーナーだったかで 指名された女性が「ブログ書いてます」と言ったら 司会の人が「ブログ書いてるんですか!芸能人でもないのに!」と応えた。 「芸能人でもないのに」というのは特別な含みのある言い方じゃなくて 純粋に驚いただけという感じ。 これはおもしろい。 この人にとってブログというのは「芸能人が書くもの」になっている。 個人的な感覚では逆に、 もともとはあまり芸能人の人がやるようなもんじゃないと思ってた。 ブログなんかやらなくても既に表現の場を持ってるんだから。 言いたいこ

    芸能人でもないのにブログを書いてるんですか?
  • 「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚

    「形容詞 + です」 は誤用ではない 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 電車に乗っていると、ホームでこんなアナウンスがよく流れてくる。 「3番線に電車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください」 僕はこれを聞くたびに、強烈な違和感を覚える。電車には毎日乗るので、この襲い来る違和感と戦うだけで会社に着く頃にはヘトヘトになってしまう。 言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 「危ないです」 のように、「形容詞 + です」 という表現は、文法的に間違った用法ではない。上記リンク先の主張の根拠として、以下の MSN 相談箱の回答欄が引用されているが、これに至ってははっきり 《間違い》 といって良いだろう。 昭和27年の国語審議会で「形容詞+です」表現を「許容する」としたときから、日

    「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚
  • 「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習

    今年のうちの卒論生に感じていることがぴったりと表現されている。 とにかく「答えだけを知りたがる」とか「反射的に回答する」といったことが、面倒なことを考え無くなる、といったところがあると思います。 高校生を対象にロボット製作の授業をやっていますが、目的はチームワークの経験にウェイトを置いています。 その中で、議論を戦わせる、相手の考えを読み取るといった面を重視しているのですが、これに何ヶ月もかかります。 なんというか「自然な疑問」を持たないように訓練されている、とでも言うべき状態なのです。 常に「(生徒が知らない)正解を大人が知っている」という受け身の姿勢に徹しているから、基的によい子になっている。 結局のところ、分断された知識の暗記のような事にしかならないから「どうすれば良いのか」とか「なぜこんな問題が起きるのか」「解決手段が無いときに代替手段を考える」ということ自体にたどり着きません。

    「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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  • 内心=表現ではない - 素通りできなかった時のために

    id:NaokiTakahashiさんに名指されていたので何か書くべきかと思っていたら、Apemanさんが圧倒的に詳しく書いていて、もう話としては殆ど終わっているような。 ともあれ私はNaokiTakahashiさんの次のような発言に反応したのです。(すいません。具体的にどのエントリかは略します。) じゃあ脅しみたいに表現の自由に言及するのやめたら? それやってる限りこちらの態度は軟化できん。 表現の自由に手を出さず倫理の範囲でやるなら反対なんかしないさ。 倫理とかの話をするなら俺もこうは言わないよ。 ああ、これなら話が早いなあ、と。 で、それを念頭において 改めて最近のApemanさんのエントリから抜き出してみると、 「表現行為に対する現状以上の法規制を主張したことは一度もない。」 「「表現の自由キリッ」を批判するのは「表現に対する法規制はできる限り回避すべき」という前提があってこそ、と

    内心=表現ではない - 素通りできなかった時のために
    MINi
    MINi 2009/12/17
    「巷間よくいわれる「思え」というのは、言い換えれば「自身があたかもそう思っているかの如く他者に見えるように行為せよ」と、いう事ではないのでしょうか」
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    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • 飲み会でとなりに座った女の子 - 空中キャンプ

    エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明さんは、飲み会でとなりに座った女の子に自慢できるアニメを作りたい、という気持ちで『エヴァ』を作ったという。とてもいい話である。わたしはこのエピソードがすきだ。なんだか元気がでてくる。この話を聞いて、「そんな低次元の目標のために表現をするのか」「誰にどうおもわれようと関係ないのではないか」などと反対意見を述べるのは、さみしいことだとわたしはおもう。 それまでの庵野さんは、自分がアニメ制作者であることを恥じ、たまたまどこかの飲み会に参加したときに職業を訊かれたりすると、会社員ですなどとごまかしていた。このままではいけない。友だちに呼ばれた飲み会で、ぐうぜんとなりの席に座った、CLASSYを読んでそうなコンサバOL(26歳)にもちゃんと説明できて、なおかつ「見たらぜったいおもしろいから、今度見てね!」と胸をはっていえるアニメを作る。それが庵野さんの目標だっ

  • 翻訳についての二つの対話 - 内田樹の研究室

    高橋源一郎さんと柴田元幸さんの対談集『小説の読み方・書き方・訳し方』(河出書房新社)のゲラが届いたので、読む。 高橋さんも柴田さんも、小説を読んで、書いて、訳している。 柴田さんは不思議な味わいの短編集をいくつか出している(『バレンタイン』と『それは私です』が私の書架にはある)。 高橋さんの訳書にはジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ・ビッグシティー』がある。 よい訳である。 高橋さんにももっと翻訳をしてほしいけれど、小説を書く方が忙しくて、そこまで手が回らないようである。 小説を書くことの意味、小説を訳すことの意味について、たぶん現代日でもっとも深く遠くまで考えている二人による対談であるから、すごく面白い。 私はよく考えたら、小説を書いたこともないし、訳したこともない。 あれほどたくさん翻訳をしていながら、一度も小説を訳したことがない。 どうしてだろう。 一人一人には、なにか性格的趨

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