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夫婦のフェアな家事分担について http://anond.hatelabo.jp/20090519175408 俺は、収入も含めてお互いが家庭に提供するバリューがお互いイーブンじゃないと、フェアじゃないと思ってる。 俺は彼女の2倍以上稼いで、かつ家事もこなして家庭にに貢献しているんだから、 彼女にも同じ分の価値を家庭に提供して欲しいと思っている。つまり家事は俺よりかなり多くやってほしい。 高収入にはいろんな罠がある、かもしれない。 自分は30代内科医で、彼女は20代精神科医。遠距離。もともとそんなに裕福じゃないほうの生まれ育ち。 今はそこそこ稼いでいる。で、この家事負担記事は興味ぶかく読んだ。 確かに、一般的な視点から言えば、この筆者は結婚というものを理解していないっぽい。 カネのあるほうがないほうに重箱隅的な「フェアネス」を要求してしまうと、 それは往々にしてデリカシー違反となるんだよね
GWもそろそろ後半戦。 充実した時間を過ごされた方も多いんじゃないかと思う。 反面、身体や神経を使い果たして疲労困憊、とにかく休みたいという人も結構いるんじゃないだろうか。特にGWの場合、ストレスの溜まりやすい4月直後の連休ということもあって“心の充足感”を夢中に求めてしまいやすく、気付かぬうちに疲労を溜め込んで体調を崩してしまいやすい。 メンタルヘルスを語る際、人々は“心の充足感”に着眼するし、“他者への依存”や“承認欲求”などに強い関心を示す。そして、よく語る。世間でも、「コミュニケーションを介して他人から元気をわけてもらう」などといった表現がまかり通っている。 けれども、コミュニケーションやレジャーの類は“心の充足感”には寄与しても、“神経の疲労”をとってくれるわけではない。そして神経が疲労しすぎてくれば、楽しいものも楽しめなくなるし、仕事でもプライベートでも本領発揮が困難になってし
『格差社会』という言葉が流行ってかなり経ったが、さりとて『格差』が解消されたかというとそうでもなく、さまざまな分野で個人間の格差は拡大し続けているようにみえる。勿論、ここでいう『格差』は経済格差だけではなく、教育格差や情報格差なども含めての『格差』である。 そんななかで、人格形成にも大きな影響を与えているであろう「自己評価」に関しても、子ども時代からの積み重ねとして、以前よりもバラツキの大きな格差が生まれているんじゃないかと思い、この文章を書き残してみることにした。 日本の子どもの自己評価は、他の多くの国と比較して相当に低いという。*1確かに、平均をとればそうなんだろうなという実感はある。一方で、自己評価の高い子どもは、いるところにはちゃんといる。あくまで私の観測範囲に関する限り、子どもの「自己評価」が低くなりすぎないように相当な注意が払われている家と、全く注意の払われぬままに、自己評価が
はてな匿名ダイアリー : 空気?読めないけどなにか? 発達障害を抱えているので、直観力というものが全く働きません。 CTスキャンでくっきり造影されるほどの「真性」障害は300人に一人だそうですが、“気質障害”“形質障害”といわれる比較的経度な人は、日本の場合「人口の約5%」程度だそうです。 「私」を含めてこういう人は、“空気を読む””直感的に良好な人間関係を築く”能力を持ち合わせていません。 この増田氏のエントリとほぼ同じ内容の日記をうっかり見つけた。まぁそれはどうでもいいや。 発達障害について前から気になっていること。この人たちはもしかしたら、映画・漫画・小説なんかを見ても面白さを感じないんじゃないだろうか。だってそこに流れているのはやっぱり空気だから。特に少女漫画とか空気のカタマリでしょ、どうなんだろう? それか、空気が読める人とは違う部分に面白さを見いだすのかなぁ。 発達障害を持って
「空気読め」 をざっくり読んで、おやまた自閉域の人が途方に暮れてる、と思った後、 まず、それは最初の学生時代の話はれっきとした悪質な「いじめ」です。 で.. を読んで、しみじみ「ああ、普通の人の感覚ってこうなのよねー」と思った次第。 多分、上記事増田(たぶん自閉域の人)は、「単にいじめられた事実となぜそうなるのか疑問に感じてることを述べている」に過ぎなくて、「慰めて欲しい」といういわゆる感情的報酬は求めてないと思う。してくれても構わないけど、根本的解決にならないからむしろ邪魔、とすら感じるかも。まあ、推測なんだけど。 それに対して、上記事を読んだ下記事増田(自閉域じゃない人)の反応は普通の人としては、ごく普通なんだろうなぁと思う。ポイントをまとめてみると、 1.期待している内容のずれ 自閉域でない人が自分の悲惨な経験を話すのは慰めて欲しい(感情的報酬が欲しくて解決策は(あまり)求めていない
こういう言い回しが定着する前の時代、つまり、私が物心付くか付かないか辺りから、こういったスキルの欠如をさんざん思い知らされ、かつそれを様々な形で非難、攻撃され続けて現在に至る。 いじめにあっていたのも、そういうことの一環だったのかもしれない。母からも、「あなたが周りから浮いてるからよ」「ちゃんと、他の子達と同じにやれないからよ」とさんざん言われていた。 担任教師からは、「少しからかわれたり、ちょっと悪口を言われたぐらいでビービー泣くんじゃありません」と注意された。それに従って、私はとにかく絶えることにした。ある日、いつものように教室に入り、「増田菌が移るぞ! 近寄るな!」「何で学校来るんだよ」「いい気になるなよ」「お前なんかクラスの恥だ」「死ねよ」等々、色々とお決まりの暴言を吐かれても黙って耐えていた。「あれー? こいつ今日は泣かないなあー!」男子の一人が叫んだ。机の周りを取り囲まれて、「
まず、それは最初の学生時代の話はれっきとした悪質な「いじめ」です。 で、次に「でもそれってあなたも悪いんじゃ」と言われてしまうのは、今のこのエントリもそうだけど、「あなたに余りに隙がない話」だからです。普通に考えて、このエントリ、「空気が読めない人の話」ではなく「悪質ないじめにあい、その上周囲にそれを打ち明けたらセカンドレイプ的な事をされた。しかもじゃあどうすれば?と聞いたら逆ギレされた」という話です。多分それは皆が分かっていることです。見事なまでにあなたには非が無い。いじめは完璧に悪質でタチが悪いし、そんないじめを受けましたと告白したあなたに対する周囲の仕打ちも完全に悪です。 で、これは、言うのは酷なんだけども、ある人にとっては、この「完全に隙のない被害者っぷりな話」がムカつくことがあるのです。そういう人の心理は下種ですが、理解できないこともありません。要するにそこまで完全に隙がなく被害
ついに「俺はミクの付属物じゃねえ!」とぶち切れるボカロPが現れた ほんらいの人形師は、人形の芸を巧みにみせて、人形劇が拍手喝さいされることを尊び、喜ぶものだと思う。 けれども、自身が操る美少女の傀儡ばかりが喝采を浴び、それでいて美少女人形のかわいらしさ以外の部分*1がまともに省みられない状況が続けば、ある種の疎外感に直面するかもしれない。さらには、人形師である自分自身の境遇に疑問を感じたり、美少女人形に黄色い声を飛ばす観客や美少女人形そのものに嫌気がさすこともあるのかもしれない。 そう思うと、人気の出てしまった人形師というのは因果な立場だな、と思う。客が集まらなければ集まらないで大変そうだけど、客が集まったら集まったで、今度は「褒められているのは、人形なのか、人形を操る俺の技量なのか、俺自身なのか」という問いに直面する。一途に自分の技芸の向上だけを願い、ストイックに自分自身の作風を追及する
『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠 シロクマ先生。記事タイトルに表されている主張自体に関しては、特に有意な意見はありません。ただし、論の運び方にややシャドーボクシングっぽさを感じました。 この記事では「個性を礼賛する人」という仮想の人格が想定されていて、その人に対する説教が書かれている。そしてこの「個性さん」は世の人々の平均的な姿であり、「個性さん」批判を通じて人々の認識の誤りをも指摘するという構図になっている、と読み取りました。 でも、この「個性さん」みたいな人って本当に実在するのか、その人は本当に「私たち」を象徴する人格なのか、というところに疑問を感じます。たしかに、私たちは昔から「個性は大事」って言われて育ってきましたし、数年前は多くの人が『世界に一つだけの花』を歌ってました。でも、そのブームの渦中にあってさえ、「個性は無制限に素晴らしく、世の中は僕らの個性を受け
珍しくまじめに書いたブコメでスターがいっぱいついたから、書いてみるか。スルーされるのが常なのだが、そうでもなかったぽい。 『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠 はてなブックマーク - 『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠 書いたコメントはこれ。 個性のマーケティング戦略。若い子はかなり自覚的だと思う。だから、キャラ化する。はずさないからね。個性の存在を一切信じていないことを聞かされるとさすがにびっくりする。 個性マーケティング戦略 もう何人かが指摘しているし、自身も認めているけど、シロクマ先生のいう個性の話は、なんだかんだいって古い。80年代的な個人主義と結びついた個性の話であり、素晴らしい自分を自分の中に見つける戦いだ。これを、そんなに否定するな!というコメントを寄せる人たちも、この80年代的気分を共有して、自分に内在する何かを信じているいるわけで、シ
【価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない】 (発声練習) http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2 うわー、ぼこぼこに叩かれそうな(はてなだしDisられそうなと言うべきか?)ことを言い切ったなぁ。 教育する側の人間にしか真意が伝わらないような内容を大勢に向けて言い放てば、もちろん字面だけを捕まえて攻撃してくる人たちの目を引いてしまって大変なことになるのは当たり前なのだけど、それでも言うべきと信じたことをはっきり言葉にしたその決断には敬意が持てる。 特定の個人に向けた話の形式をとっていながらその実一般論に転化している(結果としてエントリを書いた当人の自己確認となっている)という点については、まぁ記述法としてやや卑怯だなーと思いはするものの、それはそれで別に構わないというのが私のスタンス。 教育をこの後も続けていく立場の者からこのようなメッ
2009年1月22日 あるTwitter中毒者の心的変化 Twitterがどのようなサービスなのかを調べようと思って使い始めたら、すっかり中毒になってしまった。24時間Twitterのことばかり考える。Twitterのために生きているようなものだった。こんなにはまったウェブサービスは他にない。 twitterの正しい使い方には以下の記述がある。3. 退会する 毎日朝6時までtwitterする生活が続き、生産性がはっきりと低下します。 twitter以外の何も考えられないような日常を送るようになったとき、 そのときがあなたの退会のチャンスです。 twitterはアカウントを取得して退会するまでがtwitterです。 まだ退会していない人は、真のtwitterを未だ体験していないモンキーです。 はやく退会しましょう。 私も、まったくこの通り正しくTwitterを使った・使い切ったユーザーである
追記:ちゃんと話してきました。つづきはこちら。 http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20090130/p1 追記2:これだけでは分からないことについて、以下にも書いてみました。 http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20090226/p1 http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1 以前この記事を読んで、なるほどと思った。 確かに日本では「勉強ができる」ことへの偏見のようなものはあるし、それが科学の発展を妨げているところもあるかもしれないな、と実感があったからだ。 今日この記事を思い出したのは、頭がいいことへの偏見を生んでいるかもしれない、頭のいい人の無邪気さ(英語で言えばナイーブさ)に接してしまったからだ。 私は大学で研究をしている。チームで研究をしているうちの部屋において、自らの研究とともに、
インフォームドコンセントのコスト - NATROMの日記 インフォームドコンセントinformed consent。このインフォームドコンセントの精神が医療法に盛り込まれたのは、1997年のことで、以来、何度もマスメディアに登場し、現在の医療制度のなかでは尊重されて当然とみなされている。これを無視したDr.(医師)主導の医療行為は、たぶん“訴訟に負ける”だろう。 しかし、このインフォームドコンセントの成立/不成立を巡ってのトラブルは絶えないし、選択肢の十分な説明を行っても、主体的決定よりも「先生にお任せします」の一言を選ぶ人はまだまだ多い。そして「先生にお任せします」というスタンスは、詳しさを優先した説明と理解*1や、分かりやすさを優先した説明と理解*2を付け加えても変わることが無い。それなら主体的決定があるまで待ちましょう…と言いたいところだが、人体はナマモノだし、腫瘍細胞は刺身よりも足
なんか勉強系の話題が流行っているようだ。 何かにつけて、後出しの自分定義によって我田引水をはかるみっともないアルファブロガー(笑)の話はおいておいて、以下に引用するエントリーは少し興味深い。 たとえば体育や音楽でずば抜けた能力をもつ場合、その子は胸を張っていられる。 でも、「お勉強」の教科に秀でている場合、その子はそれを無邪気に誇りに思うことはできないばかりか、後ろめたいことのようにすら思うことを強制させられる。 この非対称性は、なんなのだろう? どうにも不思議だ。 なぜ、かけっこが速くてもいじめられないのに、勉強ができるといじめられるのだろう? ぽりあんてな 確かに、小学校や中学校において、「お勉強」の成績がいいことについての評価が、走る速さなどの身体的な能力に対するそれと比べて、相対的に低いということについて、私にも思い当たる節はある。私は意外といじめられたことはまったくないのだが、成
「不自由が執着を生み、執着が言及を生む」という構図について、忘れないうちにメモ。 身体的に健康な人は、一般に、空気を吸うことに執着しない。“もっともっと空気が吸いたい”と嘆き悲しむこともない。そりゃそうだろう。空気なんて、生まれた時から無尽蔵に与えられているのだから。そして空気の無い状況に置かれてはじめて、空気の有り難さに気付く。 同じように、コミュニケーションに不自由したことの無い人は、一般に、コミュニケーションにそれほど執着しない。“もっともっとコミュニケーションに恵まれたい”と願望することもない。生まれた時からコミュニケーションに不自由していない人は、それが絶たれてしまうまでは問題意識を持つことすらない。ましてや、執拗に言及しようなどとは思わない。 男女交際に関しても、多分、似たような構図があるのだろうと思う。男女交際に不自由したり悩んだりした経験がなければ、そこに問題意識を持とうと
ゼミの面接が始まる。 これまでに49人と面談。ひとり10分から長い人は20分くらいなので、すでに12時間くらい学生たちと話し続けている勘定になる。 ふう。 まだ20人くらい残っている。 たいへんな仕事ではあるけれど、総合文化学科の全2年生の3分の1くらいの学生たちと一対一で膝を突き合わせてその知的関心のありかを聞き取る得がたい機会である。 現代日本の20歳の女性たちの喫緊の関心事は何か? 女性メディアの編集者であれば、垂涎のテーマであろう。 お教えしよう。 彼女たちが注目している問題は二点ある。 一つは「東アジア」であり、一つは「窮乏」である。 東アジアへの関心の主題として挙げられたものは「ストリートチルドレン」「麻薬」「売春」「人身売買」「児童虐待」「戦争被害」「テロリズム」「少数民族」などなど。 これらは、「法治、教育、医療、福祉、総じて人権擁護のインフラが整備されていない社会で人はど
精神科Q&A 【1498】曖昧な対人関係を理解できずトラブルを繰り返す部下は病気でしょうか Q: 私は37歳の女で、中規模の会社に勤務し、15人程度の課の課長をしております。私の課のスタッフAさん(30歳代前半、男性、独身)についてご相談があり、メールを送らせていただきます。 Aさんは半年ほど前に他部署から私の課に異動になりました。通常時期の異動とは異なり半端な時期の異動だったのですが、次のような事情があったということです。 ○ Aさんは30歳過ぎの頃に中途採用され前の部署に配属され、約1年後には、仕事がうまくいかないことが原因で出勤ができない状態が数日続き、精神科を受診したところ「うつ状態」と診断され、通院投薬の治療を受け、すぐ通常勤務ができるようになった。 ○ しかし、職場で問題が多く(具体的な内容は聞いていません)、前の上司Bさんが音を上げ一刻も早く異動させるよう希望した。(Bさん
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