散々、「年寄りの人が若年者からみて尊敬/侮蔑されるか否か」を私は書き散らしてきた。これらの視点は、より若い世代から可視的で了解可能な要素(技術、スキル、年季、徳、などなど)の多寡によって年寄りの評価が決まる、というものだった。客観的な、いや客観的という表現が不適切なら間主観的な評価というものは、そういった「可視的要素」「了解可能な要素」によってだけ決まるわけなので、どれほどの重みが(若年者にとって)不可視の領域に横たわっていようとも、それは老人を敬う源泉とはなり得ない。よって、自分の二倍三倍の齢を生きた年寄り達の肩に背負われているであろう無形の重荷が見えない限りにおいては、若者が老人を軽んじる態度が生まれること自体に不思議はない。姿かたちを眺めやるだけではみえないもの・みせないものは、いつまでも若年者に気づかれず、肯定的な感情を生み出すこともないだろう。 しかし逆から考えると、老人の肩に背