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ブックマーク / zeromemory.sblo.jp (8)

  • suVeneのあれ: 「非コミュ」について

    2007年11月20日 「非コミュ」について 「非コミュ」という意味 「非コミュ」という単語があるのだが、言葉の解釈を勘違いしていた。というか、混同してた。というか、よくわかっていなかった。まぁ、その話は一旦置いといて、まず「非コミュ」という言葉の意味とは何だろうか。はてなのキーワードではこう説明されている。 所謂「コミュニケーション能力」において劣っていると判定され、またそのために、「コミュニケーションの舞台」にあがる意欲が減衰し、所謂「コミュニケーションの舞台」から退却している人。 非コミュとは - はてなダイアリー 要するに、他人とコミュニケーションするという能力的に「外面」から見て劣っているという意味合いである。ただし、以下のような参照が張ってある。 注:ただし、昨今の議論(2007年4月現在)における非コミュはオレ理論グループの定義において語られるケースが多い。 非コミュとは -

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/11/21
    ”後者の「非コミュ」の定義によって、「あれ、私も「非コミュ」なのかな?」というような発想が生まれやすい”大抵の人は、なんとなく疎外感を感じたり、コミュニケーションに空虚感を覚えたりする場合もある”から
  • suVeneのあれ: 共感を求める場で、違った価値観の表明は「思いやりに欠ける」

    2007年06月12日 共感を求める場で、違った価値観の表明は「思いやりに欠ける」 ムラ社会だとか、女同士のコミュニケーションとかそういった括りで語るつもりはない。しかし、タイトルのように考える人は存在するし、シチュエーションによっては誰しもが持っている一面であろう。勿論、男にも女にもだ。 b# - 好きなもののことを語る気持ち 共感を求めているのであり、意見は求めていない 前回のエントリについて言及を頂いた。 「~が好き」といった直後に「私は好きじゃない」といったように,全く違う価値観を示すのはちょっと思いやりに欠けるような気がする。盛り上がりに水を差してる気がする。「なぜ,それを今いうの?」と思う。 b# - 好きなもののことを語る気持ち幾度となくどこかで小さな話題となる「悩みごとを相談する時、相手は答えを求めていない」といったようなとこだろうか。 疑問なのは、自分の好みを表明すること

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/06/13
    このへんの話題はhttp://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/post_5206.htmlと関連していそうだと思った。
  • suVeneのあれ: ムラ社会、及びムラビトにおける幾つかの勘違い

    2006年11月08日 ムラ社会、及びムラビトにおける幾つかの勘違い 「モヒカン族」に関する言及は最近J-CAST ニュースをキッカケにしていくらか言及される記事を見かけたが(伝言ゲームのように湾曲していっているが)、それに対峙する「ムラ社会」又は「ムラビト」についての言及は“わかりきった事”と思われているのか、さほど目にする機会がない。 しかし、たまに見かける「ムラ社会だなぁ」とか「ムラビト」と指摘されている場面で、「それは違うんじゃないか?」と思うことがたまにあるので、ちょっと考えてみよう。 * ムラ社会の定義 特徴としては「モヒカン族 - ムラ社会」に提示されている特徴がわかりやすいのだが、箇条書きで定義してみよう。 閉鎖的かつ排他的であること 伝統主義であること 結果平等であること 議論・自己主張・指摘を無条件で悪とし、両成敗・謙遜を無条件で善とすること(指摘=人格攻撃と関連) 個

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/04/20
    クネクネしているからといってムラ社会とは限らないよという話。
  • suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1)

    2007年02月13日 人を「嫌う」ということ(その1) こないだの記事はネタだ。ただ、書き方はまるっきりネタだが、内容についてはそんなに考えてることとずれていない。 今日は「人を「嫌う」ということ」について書いてみようと思う。 まず、ブロガーについてなんだが、「嫌い」なブロガーってのはいない。これは、id:umeten さんの考えとほぼイコールだ。2007/02/11 12:38 umeten しかし、嫌いなブロガーってのは、普通目にしないし読まないものなのであんまりいないものなのでは?それでもブクマ数ゆえに目に付く場合に気に障るようになるとか。 はてなブックマーク - suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ! (抜粋)先ほどもいったように「嫌い」なブロガーなどは「あんまりいない」というか、つまらん記事と判断したり、何いってんだこいつ?って思う記事はそもそ

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/02/14
    僕は「嫌い」と「苦手」の境界が難しいといつも思う。嫌いじゃないけど苦手な「合わない人フォルダ」の人が、一番距離感難しいんだよな。
  • suVeneのあれ: りんごの実とムラ - 伝えたいこと聞きたいこと(laddertothemoon さんへの返信含む)

    2007年01月31日 りんごの実とムラ - 伝えたいこと聞きたいこと(laddertothemoon さんへの返信含む) 前回の記事でのコメント欄で laddertothemoonさんに返信しようと思っていたら、ちょっと長くなってしまったので記事にする。laddertothemoon さんのコメントについては全文引用するのも気が引けるので、興味のある人は参照してください。 自分自身の「りんごの実とムラ」に対する見解を述べておくと、どのように読んでも個人的解釈において誤読は原理的にありえないと考えている。あれは、そういったムラがあり、そこに住む人がいて、そこに旅人が現れたという話だからだ。ただ、それだけの話なのだが、個人的に伝えたいことや伝えることによって聞きたいことなどはある。そんな話を書こうと思う。 以下 laddertothemoonさんへ返信 自分はこれは前の記事「抑圧と弱者につい

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/02/01
    僕が好きになった人がそういう人だったら、とりあえず抱きしめて全肯定して自分が「居場所」になろうと思うけど、そういう人はまず好きになってくれる人がいないという問題を抱えてるケースが多いと思うから難しい。
  • suVeneのあれ: りんごの実とムラ

    2007年01月30日 りんごの実とムラ このムラには大きなりんごの木が幾つもある。このムラのりんごの実はとても栄養が豊富で、一生べても飽きない味だと思われていて、そのりんごの実と水さえあれば生きていける。 このムラには大きなみかんの木も幾つかある。このムラのみかんの実はそこそこ栄養があるのだが、味がそんなにおいしくないと思われているので、このムラではみかんはべない。べてはいけない事はないのだが、みんなべない。 このムラでは、りんごをべるのが当たり前であり、このムラのムラビトはみんなりんごが好きだと思っていて、りんごが嫌いだなんてとんでもない話だと思われる。それでも極々たまにりんごが嫌いな人もいる。しかし、このムラではりんごをべるのが当たり前であり、りんごをべなくては生きていけないので、頑張ってりんごを少しだけべて、後はみかんを隠れるようにべる。 ある時りんごが大好きなム

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/02/01
    みかん好き集団は、中二病的解決法といえそう。
  • suVeneのあれ: 抑圧と弱者について考える

    2007年01月29日 抑圧と弱者について考える 抑圧。心理学的な意味合いでの抑圧ではなく(受け入れられないものや、認められないものを意識から無意識下へと押し込める心理)、他者からの抑圧、社会的構造からの抑圧、権力からの抑圧、など主に外部からの抑圧について考える。もう少し簡単に言うと、認められた(られるべきと考える)権利や価値観を外部からの影響により妨げられていると考えることである。 人は意識していようがしてなかろうが様々な抑圧を受けている。抑圧とは、わかり易い例をあげれば、社会的にも認知されている「女性に対する抑圧」などのことだ。ジェンダーの問題などというと、「何だか自分にも関係するけど、蚊帳の外のような感じ」がする人もいると思うが、もっと身近な問題も沢山ある。例えばそれは学校教育における「みんな仲良く」というスローガンの元に人と仲良くすることを強要されることであったり、会話が苦手な人に

  • suVeneのあれ: コミュニケーションとは相互情報伝達のことである

    2006年11月17日 コミュニケーションとは相互情報伝達のことである 一般社会で要求される「コミュニケーション」とは情報を相手に伝達することではなく、相手の意思を推測することである。 ・・・ 中略 ・・・ 理想的なコミュニケーションはむしろオタク諸氏が得意とする情報伝達の方だと思うが、誠に残念ながら現実に求められているのは意思推測能力、つまるところ「空気嫁」である。 妄想科學日報 - コミュニケーションとは情報伝達のことではないどこの一般社会ですかそれは。 と、脊髄反射してしまうが「一般社会」とは言わずとも「それを求める集団や場」が存在する事は確かである。 よく言われるのは、欧米におけるコミュニケーションは相互理解不足の場合「説明するほうに責任」の比重を重く置かれがちな事に対し、日などでは「説明を受けるほうの理解不足」と比重が置かれると言われる事が多い。所謂、阿吽の呼吸ってやつだ。ブロ

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