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ブックマーク / www.moriguchiakira.com (17)

  • この「いじめ対策」がすごい その2 - 森口朗のブログ

    長野県のシンポジウムで、私がこの話を聞いたときに感じたのは 「この先生の実践例を、会場の方々だけが知っておしまいにするのは、あまりにもったいない」ということでした。 ですから、この記事が大きな反響を呼んだこと、当に嬉しく思いますし、トラックバック等で紹介してくださった方や、実践に生かそうと仰ってくれた先生方には心から感謝しております。 また、ブログのコメント欄やブクマークでのコメントなどで貴重なご意見をいただき、さらに議論が発展している点は、1ブロガーとして嬉しい限りです。 そこで、改めてコメント欄等の様々な考え方に対する私の意見を、拙書『いじめの構造』(新潮新書)で書いたことや講演等で話している内容も交えて表明しておきたいと思います。これがきっかけでネット内の「いじめ議論」がより高度なものとなり、リアル社会に良い影響を与えることを切に願うからです。 1 理念が整理されていないことによ

    この「いじめ対策」がすごい その2 - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2009/06/01
    「教員はチームプレーが苦手」のくだりは僕には判断つきかねるけど、他の部分に関して同意。
  • この「いじめ対策」はすごい! - 森口朗のブログ

    先日、あるいじめ関係のシンポジウムにパネラーとして参加しました。 その席上、長野県の中学校の先生が実践されている「いじめ対策」は、目から鱗が落ちる素晴らしいものだったので報告したいと思います。 それは、以下のような手順で行われます。 1 いじめの認知は、人、親、友人の誰からの報告であっても 「この事態を心配している人から報告があった」で統一する。 ※ いじめ加害者やその親は「誰がそんなこと言った」と言いがちなので、 教員側の対応を統一しておくことは極めて有効と思われます。 2 必ず、一人の教員ではなくチームで対応する。 ※ チーム対応は教員の一番苦手とするところですが、是非克服してほしいところです。 3 複数の加害者(大抵そうです)と複数の教員が別部屋で1対1で対応する。 ※ ここで、各加害者の発言に矛盾が生じます。 4 15分後に部屋に加害者を残して教員が集合し、情報交換・矛盾点の分析

    この「いじめ対策」はすごい! - 森口朗のブログ
  • 「人は才能の有無や勤め先、普段の行いで差別される」と言おう - 森口朗のブログ

    容疑者は釈放されても容疑者なのだが、「草なぎ容疑者」はわずか一日で「草なぎさん」に昇格した。 何の矜持もない私企業である「テレビ業界」や「新聞業界」にとって、ジャニーズ事務所や吉興業、バーニングといった大手プロダクションは、大切な商売仲間なのだろう。 刑事事件を起こしても復活する芸能人、謹慎中も同情的(かつ卑屈)なコメントをもらえる芸能人は、たいていの場合、大手事務所に勤める人間である。 その意味でTV界は、我々が数十年前まで過ごしていた「古きよき」そして「薄汚れて汚い」世界なのだろう。 私は60年代から70年代にかけて、小さな町の飲店の息子として過ごしていた。その頃思っていたのは「世の中はなんと強者に都合よくできているか」だった。 私の父が運営している小さな飲店など一度でも中毒を出せば保健所から営業停止をくらい、噂が噂を呼んですぐに潰れてしまう。勤めていた数人の従業員も路頭に迷う

    「人は才能の有無や勤め先、普段の行いで差別される」と言おう - 森口朗のブログ
  • いじめ防止条例を制定しよう その2 - 森口朗のブログ

    いじめ防止条例を制定するべきである、というと次のような反対意見を言う方がいます。 「条例を制定したからといって『いじめ』がなくなる訳ではない」 「昔からいじめはあった」 「いじめに負けない子どもを育てることが重要だ」 そこで私なりに「いじめ防止条例」制定の意義をまとめて見ました。 1  現行の刑事法や教育関係法令に加えて、あえて「いじめ防止条例」を制定する意義 「子どもを守る」 言うまでもなくこれが最大の意義です。 残念ながら教師の中にさえ「いじめなんて昔からあった」「いじめられる方にも問題がある」と言い放つ者がいます。 条例の存在は、そんな教師・校長に対し措置要求の根拠になります。 「先生を守る」 学校にとって「いじめ」はあってほしくなものです。それゆえ積極的にいじめ問題に取り組む教育はともすれば「浮いた存在」になりかねません。条例制定はそんな先生を守る役目を果たします。 2 アメリカ

    いじめ防止条例を制定しよう その2 - 森口朗のブログ
  • 噛む犬に共感する必要などない - 森口朗のブログ

    教育問題に限らず、どんな議論でも二項対立構造でしか理解できない人がいます。 しかも大抵の場合、「悪VS正義」の対立です。 国民の側(正義)VS権力の側(悪) 真実に目覚めた良識派(正義)VS陰謀を働く左翼(悪) 子どもの目線に立った教育(正義)VS価値観の押し付け(悪)等々 仮面ライダーやウルトラマンじゃあるまいし。 「いじめる子どもが100%悪い」と大人が言ったって子どもに心には届かない。 なぜなら、こども達の大多数は「いじめられる側にも原因がある」と思っているからだ。 (そして、我々大人が今の子ども達のいじめ現場を知るには「スクールカースト概念」が、重要である)と続くのが 私の主張ですが、 これについても 「子どもの視線」VS「大人の建前論」的に理解しようとする人がいるので疲れてしまいました。 上記の主張は、いじめている子どもに共感しているのではありません。 噛む犬の矯正を考えると解り

    噛む犬に共感する必要などない - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2008/01/07
    ”「カーストを逸脱した行動」は生意気や自己中と感じますから、大人から見れば同一の行動でも、その子の所属するカーストによりクラス内の評価はまったく異なるのは当然、といった解釈が可能になります”だよなぁ。
  • いじめ情報をどうキャッチするか - 森口朗のブログ

    Masao_hate
    Masao_hate 2008/01/07
    ”多分一番大事なのは「コミュニケーション系のいじめは100%解決できるとは限らない」と正直に伝えることでしょう。”
  • 「那覇市いじめ防止プロジェクト」から日本の学校が変る - 森口朗のブログ

    久しぶりに感動した。 「那覇市いじめ防止プロジェクト」のことである。 これは、那覇市PTA連合会の会長である徳留博臣氏が2年の構想の末に11月17日にプロジェクトを立ち上げたものだ。 このプロジェクトのどこが素晴らしいかといえば、何よりも「いじめ」を「犯罪系いじめ」と「非犯罪系いじめ」に分けて、別々の部門(犯罪系は警察関係に、非犯罪系は学校関係)で対処しようという点である。 昨年の不幸ないじめ自殺連鎖が原因と思われるが、今年になって警察は「いじめ」と呼ばれてきた校内犯罪に積極的に関与するようになった。 しかし、PTAを中心とした有志がプロジェクトチームを立ち上げ交通整理をしようという試みの意義は限りなく大きい。 なぜならば、いじめ問題の最もおかしい点は、校内で行われたというだけで「犯罪」が「いじめ」というオブラートに包まれてきたことだからだ。 これにより救われるのは、実は子どもだけではな

    「那覇市いじめ防止プロジェクト」から日本の学校が変る - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/11/20
    ”いじめ問題の最もおかしい点は、校内で行われたというだけで「犯罪」が「いじめ」というオブラートに包まれてきたことだからだ。”
  • 和田秀樹氏がスクールカーストに言及しました - 森口朗のブログ

    精神科医の和田秀樹氏が、9月10日に発売される 中公新書ラクレ 『「か弱き、純真な子ども」という神話』 の中で、 5ページも裂いて、「スクールカースト」に言及しています。 このを執筆中、和田氏は拙書『いじめの構造』を読んでくれ、 現代のいじめ解読に「スクールカースト」概念が有用であると判断されたようです。 エコノミストの書評で氏がスクールカーストに興味を持たれたとは了解していましたが、 まさか執筆中の最新刊でそれを解説してくれるとは思いもしませんでいた。 スクールカーストの内容紹介にとどまらず、コフートの専門家らしく、 これに自己愛を絡めて現代のいじめを読み解こうとしています。 私としては、氏がスクールカーストを「発生するもの」と捉えている点が最も興味深かったです。 スクールカーストが「存在する」か「存在しない」かがネット内で論争になる場合、 「俺は感知していた」VS「お前の妄想だ」 と

    和田秀樹氏がスクールカーストに言及しました - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/09/10
    『「か弱き、純真な子ども」という神話』で和田秀樹氏がスクールカーストに言及。
  • スクールカーストは他人事ではない その4 - 森口朗のブログ

    「スクールカースト」をネット界隈の特殊な用語からリアル社会の定着した用語にすることは、今現在の私の大きな目標です。 それは、この言葉がいじめや不登校といった学校病理を読み解くためのキーワードになると確信しているからです。 ブログの「スクールカーストは他人ごとではない」シリーズは、「スクールカースト」がメジャーな言葉になることを前提にして、さらに大人たち(マスコミや政府機関や学者たちだけでなく多くの国民)を、リアルな議論に引っ張り込むためのものです。 学校問題がキレイ事でしか語られないのは、左翼思想が学校に蔓延していたからではありません。 教育再生会議の議論を見ていれば解るように、保守的ポジションの人だって、教育については、まったくのキレイ事しか言いません。それは、ほとんどの大人が二度と学校に行かないからです。 自分の問題でなければ、どんなキレイ事だって語れます。 「子どもは来純真無垢だ

    スクールカーストは他人事ではない その4 - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/09/01
    立ち居地の左右問わず”教育については、まったくのキレイ事しか言いません。それは、ほとんどの大人が二度と学校に行かないからです"”/某地方新聞がスクールカーストで森口氏に取材。
  • スクールカーストは他人事ではない その3 - 森口朗のブログ

    様々なブログなどで言われているように、スクールカーストを決定づけるのに最重要な要素は「コミュニケーション能力」です。 「いじめの構造」(新潮新書)において、私はコミュニケーション能力を「自己主張力」「(対人)共感力」「(ノリへの)同調力」に分解することができるのではないか、という説を発表しました。 コミュニケーションは(自己)と(他者)との意思疎通が基になりますから、 第1には自分を相手に伝える一人称の能力=「自己主張力」 次に、目の前の相手と分かり合える二人称の能力=「(対人)共感力」 最後に、第三者と意思疎通する(場の空気を読む)能力=「(ノリ)同調力」 が総合的に備わっていて初めてコミュニケーション能力があると考えたのです。 コミュニケーション能力とは人が人として生きていくために必要な最も基礎的な能力です。 そして、「オタク」と呼ばれる人たちはこの能力が低く、それゆえスクールカース

    スクールカーストは他人事ではない その3 - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/08/24
    ”オタクに決定的に欠落しているのは、コミュニケーション能力ではなく、青年期男性にありがちな「ファックコミュニケーション」の作法ではないでしょうか”僕も同じようなことを考えています。
  • スクールカーストは他人事ではない - 森口朗のブログ

    8月19日(日)、行ってきました!コミックマーケット72. 47歳にしてコミケに行くことになろうとは、1ヶ月までは思いもよりませんでした。 コミケに行った目的は、 1 イケメンアルファブロガーの Masao hate氏 にアエラ絡みの件でお礼を言うこと。 2 スクールカースト問題を特集した「クリルタイ2.0」の購入 3 内藤朝雄氏や後藤和智氏の対談が載っている「ナツカレ2007」の購入 会場付近の公園では、Masao氏や「脱オタ」問題のネット内権威であるシロクマ氏、革命的非モテ同盟書記長などと、極めて有意義な話し合いができました。 彼らとの話し合いの中で思い至ったのですが、 「スクールカースト」≒「コミュニケーション能力が過剰に重視されるヒエラルキー」 というのは、中高年にとって他人事ではない、ということです。 大多数の社会人は、組織や組織内の肩書きなどに守れて、他人とコミュニケーションを

    スクールカーストは他人事ではない - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/08/21
    スクールカーストと同様の問題は、老人ホームでも起こり得るという指摘/お疲れさまでした。お会いできて嬉しかったです。
  • 後藤和智氏の書評 - 森口朗のブログ

    私は、を書くときは特定の読者群を想定する。 例えば「授業の復権」は、現役教員と教育学部の学生だった。 現在、「授業の復権」は、いくつかの大学の教員養成授業で使われており、この目論見は見事に成功したことになる。 この点「いじめの構造」は、極めて特異なである。 通常ならこの手のは「いじめられている被害者」や「いじめられている子を持つ親」であろう。 しかし、私は彼らをあえて想定読者からはずした。 そんなは、世の中に腐るほどあるし、何より彼らを想定読者にするとクールな分析が不可能になるからである。 いじめの渦中にある人の詠むではないという思いは今でもある。 それゆえ、「エンゼルハート」というインターネットTVに出た際には、 「シビアなことが書いてあるので、今いじめられている渦中の人は読まないでください。いじめという現象を冷静に読み解くだけの余裕ができた後に読んでください」 と呼びかけた。

    後藤和智氏の書評 - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/08/15
    後藤和智氏の「いじめの構造」書評。
  • 和田秀樹氏の書評 - 森口朗のブログ

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/07/27
    和田秀樹氏が、スクールカーストに言及。どこまで広がるんだ……コレ。
  • 「スクールカーストの詳細」2ちゃんねるより - 森口朗のブログ

    下の文章は、2ちゃんねるからの引用です。 書いている人は自分を「スクールカースト上位」又は「中位」と位置づけている人のようです(下位への悪意丸出しの買い方から推測)。 どの時代にも、この手のグルーピングはありましたが、 現在「上位」と位置づけられている人たちは、 「チャラけた軟派系不良」 と位置づけられていたのではないか、とおっさん(森口)は思うのでした。 「クラス内の地位が決定されるにあたり『真面目な人間』が過小に評価される。」 「その結果として『空気の読める』軽い子どもの地位が、大人社会以上に過大評価される。」 これが、現在の中高年が過ごした中高生時代との決定的な違いでしょう。 大人社会との関連(芸能人になるか、どの職業につくかなど)については、おバカな学生か未熟な若者(たぶん)らしく近視眼的で一方的ですが、「現在の教室内のリアル」がここにあることは事実でしょう。 (以下「2ちゃんねる

    「スクールカーストの詳細」2ちゃんねるより - 森口朗のブログ
  • スクールカーストとは何か〜その2 - 森口朗のブログ

    「今さら『はてな』でスクールカーストかよ」という声もある中、 すいーとぴー様から 「そもそもスクールカーストって何ですか」という質問がありました。 『いじめの構造』(新潮新書)を書くにあたって、中高生や大学生にも「スクールカースト」について質問したのですが、 「はぁ、今さらですか」 という声と 「何ですか、それ」 という声が両方あり、概念共有範囲(共通文化を持つ範囲と言ってもいいかも)の狭さを改めて実感しました。 スクールカーストの定義:主に中学・高校で発生する「人気のヒエラルキー」。俗に「1軍・2軍・3軍」「イケメン・フツメン・キモメン(オタク)」「A・B・C」*1等と呼ばれるグループにクラスが分断され、グループ間交流がほとんど行われなくなる現象。未だ根強い影響力を持つインドの階級制度、「カースト制度」に酷似していることから名付けられた(『はてな』より」 実は、新潮新書の編集担当も最初、

    スクールカーストとは何か〜その2 - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/05/28
    6月に出る森口朗氏の「いじめの構造」という本で、スクールカーストの概念が使われ、呼び名もそのまま「スクールカースト」と表記されているとのこと。買う予定。
  • スクールカーストとは何か - 森口朗のブログ

    スクールカーストが従来から存在した「クラス内ステイタス」と同じか異なるか。 つまり、スクールカーストとは 1 現在の中高生が「クラス内ステイタス」に付けた呼び名である のか 2 現在の中学生に起こっている新しい現象である のかが定まっていません。 私は、どちらかというと後者に説得力を感じます。 それは以下のような理由です。 1 スクールカーストではコミュニケーション能力が大きなウエイトを占めている。 ※ ちなみに、私=森口は、極端な平等主義によってどんな能力もリスペクトされなくなった結果が「スクールカーストの誕生」であると捉えています。 2 「モテ」「非モテ」との相関性が極端に高い(と言われている) ※ ステイタスが高いからモテるという現象はどんな社会にもありますが、モテるとステイタスが上がるという傾向も「スクールカースト」にはあるようです。これは一般社会にはそれほど見られない現象です(ホ

    スクールカーストとは何か - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/05/25
    スクールカーストは大学のほうが頻著だが、開放性の高さからいじめには繋がらず問題にならなかった説。なにか違和感を感じるけど、恋愛の低年齢化とスクールカーストの相関はある気はする。
  • スクールカーストといじめ - 森口朗のブログ

    いじめとスクールカーストの関係をどのように考えるかは難しい問題です。 スクールカーストという言葉自体、まだ紙媒体で認知されていません。 私は、これに明確な定義を与えて分析しないかぎり、昨今のいじめ問題の実態を把握できないのではないかと思っています。 教育を論じる人々の中には、見たくない事実に目を向けない人が大勢います。困ったことです。 6月に新潮新書から、いじめ関連の(タイトルは未定)を出すことになりました。 見たくない現実かも知れませんが、事実を事実として描ききったになったと自負しています。 それにしても「いじめ」は被害者になったときはもちろん、加害者になったときも決して気分のよいものではありません。 子どもの日常生活の中での軋轢といじめの線をどこで引くか、という困難な問題もあり。当分議論は錯綜すると思いますが、書が土台となり議論が収束することを願っています。 まだ、いじめが牧歌的

    スクールカーストといじめ - 森口朗のブログ
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/05/22
    教育評論家の森口朗氏が6月にいじめ関連の本を出すらしい。スクールカーストにも触れる?
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