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  • 文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ

    加藤弘一 (かとう・こういち) 文芸評論家 1954年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。文芸評論家。現在、東海大学文学部文芸創作科講師。 石川淳と安部公房に傾倒し、目下、安部公房論を準備している。 1995年から、イ ンターネットで文芸サイト「ほら貝」を主宰。 http://www.horagai.com 著書に『石川淳』(筑摩書房)、『電脳社会の日語』(文春新書)、『図解雑学 文字コード』(ナツメ社)がある。 →紀伊國屋ウェブストアで購入 これも2012年に出た未来予測である。個人が書いているだけに今回とりあげた三冊の中では読物として一番面白かったが(翻訳も一番こなれている)、バイアスも大きそうである。 著者のヨルゲン・ランダースは物理学者だったが、1972年に出た未来予測の嚆矢というべき『成長の限界 ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』のコンピュータ・シミュレーションを担当

    Nean
    Nean 2014/07/05
    石川淳論だったっけかで群像新人文学賞取ってたヒト。
  • 『文部科学省 ― 「三流官庁」の知られざる素顔』寺脇研(中央公論新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「文科省の「うるさい伝説」」 →紀伊國屋ウェブストアで購入 著者はかつて「ミスター文科省」と呼ばれた有名人。そこへ来て副題が「三流官庁」なので、新書特有のうすらいかがわしさを嗅ぎ取る人もいるかもしれない。しかし、書の内容は至極真っ当で、良質の情報が詰まっている。その文章を読めば、寺脇氏がなぜ「ミスター文科省」とあだ名されるようになったかもよくわかるだろう。この人は物語を組み立て、展開させるのが実にうまいのだ。白黒ははっきりし、メリハリも効いている。何しろこれは官庁の職務を説明するなのであり、目がごちゃごちゃするような行政用語も頻出するのだが、ほとんどスポ根ドラマを見たような爽快な気分になるのだから不思議だ。 どのあたりが「スポ根」なのかは追ってお示しするとして、まず筆者がこのを手に取った事情に触れておきたい。大学に限らず教育機関等で働いたことのある人なら

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  • 『国語教科書の闇』川島幸希(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「もう『羅生門』にはうんざりですか?」 教科書の闇! 国語教科書ビジネスに多少なりとかかわりのある筆者としては、ついドキドキしてしまうタイトルである。闇、暗部、腐敗、狂気、毒婦、猟奇的殺人……つい想像がふくらんでしまう。 そんなセンセーショナルな展開を期待した人は、こののテーマが「なぜ国語の教科書には、『羅生門』、『こころ』、『舞姫』が必ず載っているのか?」という、お世辞にも派手とは言えないものであるのを知って、やや拍子抜けするかもしれない。しかし、がっかりするのは早い。著者はこのタイトルに見合うだけの刺激的な文章で盛り上げてくれるし、調査も丁寧。何より「このことって、案外、重要では?」と立ち止まらせてくれる。途中、一握りのインタビューを根拠に話が進められるあたりは「どうだろうか?」と思わないでもなかったが、著者のメッセージが驚くほど明確なのは美点である。

    『国語教科書の闇』川島幸希(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Nean
    Nean 2013/10/20
    でも、高校時代の教科書、「こころ」ではなく「それから」だったけどね。あぁ、たしかにわたくしらの高校時代は70年代後半。
  • 『ヒューマニティーズ 教育学』広田照幸(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 出だしをどうするか、迷った。帯の表も裏も使える。表紙の見返しも使える。「はじめに」にも使えるものがある。それだけ、今日の教育学は問題が多く、切り口も多いということだろうか。まず、これら4つを引用して、書の概略をつかんでみよう。 まず、帯の表には、つぎのように書かれている。「普遍的な基礎づけを失ったいま、われわれは、希望を持って教育学を語れるのか。実感主義/体験主義を超え、教育学的思考の未来を切り拓く」。 裏は、もっと具体的である。「ポストモダン的な価値の相対化の地点から、「教育の目的」をたなあげにしてしまうのは、「教育学のシニシズム」を生んでしまう。……誰をも屈服させるような強力な「教育の目的」を、ある社会がもってしまうことも危ない。二つの極の間で、「教育の目的」をどう論じることができるのか。これからの教育学に求められているのは、これである。社会が多元的であるにもか

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    Nean
    Nean 2010/11/17
    《多くの学生は、教科書に書かれていないこと、学校で教えてくれなかったことを知らないのは当たり前で、恥ずかしいことではないと思っている。それだけで、日本の学校教育、家庭教育が失敗……》
  • 『メディアを変えるキンドルの衝撃』 石川幸憲 (毎日新聞社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 著者の石川幸憲氏は在米のジャーナリストだがIT系のライターではない上に、書は今年の1月という不運な時期に出ていて iPadは最初と最後に「噂」として言及されているにすぎない。表題に Kindle をうたっているものの、Kindleに多大な影響をあたえたソニーのLIBRIéにふれておらず、記述の浅さは否めない。Kindleについて知りたかったら西田宗千佳氏の『iPad vs. キンドル』を読んだ方がいい。 では読む価値がないかといえば、そんなことはない。今回、電子書籍関係のをまとめて読んだが、一番教えられるところが多かったのは書だった。 まだ海のものとも山のものともわからない電子書籍が騒がれるのは日の場合は出版危機があるからだが、アメリカの場合は新聞危機だ。日の新聞社も相当危ないが、トリビューンなど長い歴史を誇る名門新聞社があいついで倒産し、2009年だけで1

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  • 『新しいカフカ ―「編集」が変えるテクスト』 明星聖子 (慶應義塾大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 『1冊でわかるカフカ』の訳者解説で明星聖子氏はカフカの遺稿出版が大変なことになっていると書いていたが、具体的にそれがどういうことかを「編集文献学」という新しい学問の視点から述べたのが書である。 書は卓抜なカフカ論であるとともに日最初の編集文献学の紹介だが(編集文献学について知りたい人は明星氏が訳した『グーテンベルクからグーグルへ』を併読すると言い)、まずは基的なところからおさえておこう。 カフカが生前発表した作品は短編集二冊分にすぎず、『失踪者(アメリカ)』、『城』、『訴訟(審判)』の三大長編はもちろん、「ある戦いの記録」、「万里の長城」などの短編、さらには厖大なメモや書簡類などはすべて遺稿として残された。カフカは親友で作家のマックス・ブロートに原稿と書類の焼却を遺言して死んだが、ブロートはカフカの遺志に反して遺稿を守りとおし、世界恐慌とナチス台頭という困難な

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  • 『在郷軍人会-良兵良民から赤紙・玉砕へ』藤井忠俊(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「矛盾に満ちた在郷軍人会の全貌を描き出す」。著者、藤井忠俊は、すでに『国防婦人会-日の丸とカッポウ着』(岩波書店、1985年)や『兵たちの戦争-手紙・日記・体験記を読み解く』(朝日選書、2000年)などの著書があり、民衆の視点で戦争に荷担していく実像を明らかにしてきた。戦争は、一部の軍国主義者が暴走しただけではなく、それに追随した多くの民衆がいたから起こった。それらの民衆に戦争責任がなかったとは言い切れないとともに、民衆がなぜ追随していったのかを検証する必要がある。なぜなら、それらの民衆は、いまのわたしたち同様、「侵略戦争」に荷担していくとは思いもよらなかったにもかかわらず、いつの間にか荷担していったからである。 書の概要は、表紙見返しにある。「「国体明徴運動」を主導し、戦前のファシズム体制を代表する組織としてのイメージが強い在郷軍人会。しかし、その実態はあまり知ら

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  • 『ロリータ』 ナボコフ (新潮文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 日のナボコフ研究の第一人者、若島正氏による『ロリータ』の新訳である。 『ロリータ』の最初の邦訳は1959年に河出書房から上下二巻で出た大久保康雄氏名義の訳だったが、この訳は丸谷才一氏によってナボコフの文学的なしかけを解さぬ悪訳と手厳しく批判された。 今回の若島訳をとりあげた丸谷氏の書評(『蝶々は誰からの手紙』所収)によると、大久保氏は丸谷氏に私信で、あの訳は自分がやったわけではなく、目下、新しく訳し直しているところだという意味のことを書いてきたという(大久保氏はおびただしい数の訳書を量産していたから、下訳を自分でチェックせずに出版するということもあるいはあったのかもしれない)。その言葉通り、大久保氏は1980年に新潮文庫から全面的に改訳した新版を出している。 新潮文庫版が全面的な改訳だったとは知らなかったので、今回、古書店で探して読んでみたが、明らかに誤訳とわかる

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  • 『エピソードで読む西洋哲学史』 堀川哲 (PHP新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 哲学者には奇人変人が多く、紀元前三世紀には珍奇なエピソードを集めたディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』のような無類に面白いまで書かれたが、書はもしかしたらその近代版を意識したのかもしれない。堀川哲氏はデカルトから現代のリチャード・ローティまで、30人以上の哲学者の学説と肩の凝らないのエピソードを平明な語り口で披露している。 もちろん哲学者は最終的には残した著作で判断されなければならないが、書のようにどうやってべていたか、どんな学校で勉強したかにこだわって見ていくと、通常の哲学史では切りおとされているものがいろいろ見えてくるのである。 デカルトはラ・フレーシ学院というイエズス会がやっていた全寮制のエリート校で勉強したが、生来体が弱く、学院長が親族だったこともあって、朝寝坊してよい特権があたえられた。若い頃、軍隊にはいったが、無給士官というお客様待

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  • 『「坂の上の雲」と日本人』関川夏央(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「司馬を読まずして司馬がわかる、日がわかる」 司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだことがありません。ですが、一読して、これは出色のであると感じたのは、書き手が関川夏央さんだから。私にとっての関川といえば、『戦中派天才老人、山田風太郎』を編んだ人。天才物語作家である山田風太郎の晩年に寄り添い、老齢ゆえの繰り言を何度もききとり、それをストーリー性のある対談に仕上げたその手腕に舌を巻いたものでした。 その関川さんが、司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』を徹底解説するわけですからおもしろいに決まっています。 実は私は、司馬遼太郎をほとんど読んだことがありません。読んだのは『項羽と劉邦』『峠』くらいでしょうか。それもあまり印象が残っていません。日露戦争100周年ということで、司馬遼太郎が見直されていることは知っていましたが、その主人公が、正岡子規、秋山真之という四国松山の同郷の若者

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  • 書評空間 : 河出ブックス創刊!

    2009年10月10日、河出書房新社から新シリーズが誕生。 コンセプトは、「ジャンルをまたいで連鎖する読書のために」。 河出が贈る、知の蓄積と新たな胎動にご期待ください。 ブログでは、この「河出ブックス」のラインナップの紹介、著者からのメッセージ、書評等をお届けします。 河出書房新社HP 半年のあいだ、この「書評空間」にお邪魔しておりましたが、今回が最終回です。 河出ブックス、次回の配は4月初旬、次の3点を予定しています。 014 海野弘『秘密結社の時代――鞍馬天狗で読み解く百年』 幕末から20世紀にかけて多数存在し暗躍した秘密結社の興亡を、大佛次郎の描いた鞍馬天狗シリーズを軸にスリリングに読み解く。 015 細見和之『永山則夫――ある表現者の使命』 死刑執行の直前までノートや小説を書き継いだ「連続射殺魔」にとって「表現」とは何だったのか。死刑と犯罪、そして文学を根底から問う。 ※丸川

  • 消え行く少女 前編・後編 白土三平(小学館クリエイティブ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入(前編) →紀伊國屋書店で購入(後編) 白土三平が、1959年に発表した『消え行く少女』の貸単行完全復刻版である。1999年に『白土三平初期異色作選』(青林工芸舎)に収録され、それが最初の復刻であったが、限定品ということもあり、広く読まれることは難しかったので、この二度目の復刻版の刊行は何よりの出来事である。 物語は、1944年8月6日に広島で原爆被害にあった少女が、十年後に母を原爆症で亡くしてしまう。その後、近所の親切な家族に引き取られるが、自らも発症していることに気づき、医療費の心配をかけまいと戦争で生き別れた父親を探す旅に出かける。行く先々で様々な困難を乗り越え、戦時中に強制労働から逃れ、山に潜伏していた朝鮮人の男と出会い、これからの日々を暮らして行こうとするのだが、警察によって不幸にも引き離され、最後には一人で息絶えていく。そして、ビキニ島での水爆実験を伝え

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    Nean
    Nean 2009/07/01
  • 『大人にはわからない日本文学史』高橋源一郎(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「人はなぜ、文学史を求めるのか?」 ああ、文学史…。誰も教えたくない文学史…。 筆者の勤務先でも、毎年冬になると、「誰が来年の英文学史を教えるのか?」を決める会議が開かれる。「だってさ、オレ、学部長なわけよ。死ぬほど忙しいわけよ。お前、学部長じゃないっしょ?ね。だから来年の文学史は阿部ね」、「え~、だって、またですかあ?じゃ、トロイカ体勢で三分割みたいなのはいかがでしょう?」、「いえいえいえいえ、じゃ、ジャンケンで」みたいな会話が毎年繰り返されてきた。 なぜ、人は文学史を教えたくないのか? まあ、ふつうに考えれば、無理だからである。一年間30コマ程度で 近代文学を要約するなど不可能。それを強引にやろうとすれば、作者・作品名と抽象用語との羅列に終始した殺伐たる授業になること間違いなし。しかし、不思議なのは、意外と学生さんは文学史を求めている、ということでもある。筆者も一

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  • 『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村 美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「翻訳を切り口に国語の成立をたどる」 東京育ちで、両親も、その親も東京の人で田舎というものを持ったことのない私には、方言で育った人が標準語をしゃべるときの違和感は実感としてわからない。でも英語を話しているときは、それに似たものを思いっきり味わう。 英語は何事もはっきり言い切ることを求める言語で、曖昧さをゆるさない。そう思わない部分が少しあったとしても、「そう思います」と答えることで相手とのコミュニケーションがころがっていく。言い切った直後は日語で思い惑っていた自分を裏切ったような後ろめたさを感じるが、何度かそういう場面を繰り返すうちに、英語で話している人格が調子づいてきて、しれっと言い切れるようになる。ある言語を使うことは、その言葉がもっている論理や感情や感覚に入っていくことなのだ。 ビジネスが目的なら、割り切れる言葉で言うほうが商談がスムーズになるだろう。学問の世

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    Nean
    Nean 2008/12/12
  • 『戦争で死ぬ、ということ』島本慈子(岩波新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 帯に「戦後生まれの感性で、いま語り直す戦争のエキス」とある。いわゆる「戦記もの」の著者で、書の著者島慈子が生まれた1951年以降の者は、ひじょうに少ない。この世代の役割は、日常的に接してきた戦争体験世代の「戦争のエキス」を、つぎの世代につなぐことだろう。著者は、それを「何のために?」と問いかけ、「日のこれからを考えるときの判断材料として、過去の事実のなかに、未来を開く鍵があると思うから」と答え、「誰のために?」にたいしては、「私と同じく、戦争を知らない人々のために」と答えている。 書は8章からなる。最初の7章は1945年を中心に「負け戦」のばかばかしさを語り、最後の「第八章 九月のいのち-同時多発テロ、悲しみから明日へ」で、今日の戦争へと読者を引きずりこんでいる。そして、「あとがき」で「書は、憲法九条改定問題を考えるときの「基礎知識編」として読んでいただきた

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ : 『美術館の政治学』暮沢剛巳(青弓社)

    →紀伊國屋書店で購入 「オー・セゾン!」。改めて「熱いブクロ」を思いだした このは2007年4月初版。同じ月に横須賀美術館ができ、その直前に国立新美術館が開館していた。六木ヒルズや東京ミッドタウンといった新しい文化の中心が出発する時、美術館とそこで開催される展覧会のクオリティがPR効果を発揮し、誰もこういうあり方を不思議とさえ思わなくなっている。一体、今や都市文化の代名詞と化したこの「ミュージアム」とは何なのか、広い意味での人文学さえはるかに越える超の付く「横断的」アプローチが必要な相手なのに、全体を見渡す手掛かり、概説書がない。前回読んだ松宮秀治『ミュージアムの思想』は「ミュージアム」を西欧中心の「思想」、イデオロギーそのもとして捉え、西欧におけるその発生と意味を説く点ではほぼ完璧だったが、後発の日のミュージアムについては、そういう西欧流を模倣する歴史が批判されるべきだと言うばかり

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    Nean
    Nean 2008/03/25
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)

    →紀伊國屋書店で購入 美術館が攻撃的で暴力的だなんて感じたこと、ある? 現在、大新聞の文化欄の過半がミュージアム(美術館/博物館)の催事案内で埋まっている。落ち目と言われる人文方面でも、いわゆるミュゼオロジー、展示の方法論・社会学だけは、美術史を巻き込む形で、ひとり元気に見える。我々の文化がほとんど無自覚・無批判に「美術館」と「博物館」に分けて対峙させてしまった西欧的「ミュージアム」とは何か、コンパクトに通観した傑作を、日人が書いた。ミュージアムの歴史の中では典型的な非西欧後進国である日だからこそ、「コレクションの制度化」をうむ「西欧イデオロギー」をきちんと相対化できた、画期的な一冊である。 そういうである以上、キーワードが「帝国」であることはすぐ想像できるが、何となくというのではなく、「ミュージアムの思想」そのものがいわば「文化帝国主義」と同義であるという指摘と、我々がイメージする

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)
    Nean
    Nean 2008/03/25
  • ピアニスト、国立音楽大学大学院・今井顕の書評ブログ : 『バッハ 演奏法と解釈-ピアニストのためのバッハ』パウル・バドゥーラ=スコダ(全音楽譜出版社)

    今井顕 (いまい・あきら) ピアニスト・国立音楽大学大学院教授 社団法人全日ピアノ指導者協会評議員および国際委員長 16歳で渡欧、ウィーン国立音楽大学に入学、19歳で卒業。数々の国際コンクールで頭角を現し、日の誇る国際派コンサートピアニストとして活躍中。24年ものあいだヨーロッパに滞在し、ウィーン国立音楽大学ピアノ専攻科にて日人初の講師/客員教授として教鞭を執った。 今井顕のHPへ →bookwebで購入 「もっと自由なバッハへ──21世紀のバッハ解釈」 今回はあつかましくも自らが関わった著書を紹介することをお許し頂きたい。 バッハの演奏法に関するドイツ語の大著を数年かけて邦訳した。いつ終わるともわからぬ翻訳と編集は長いトンネルの如しで、なかなか先が見えなかった。多くの部分は後輩の研究者たちに下訳してもらったのだが、内容を再確認し、監修者として日語の体裁を統一しなければならない。歩

  • 『クラシックでわかる世界史』西原稔(アルテスパブリッシング) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

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    Nean 2008/02/09
  • 『画文共鳴-『みだれ髪』から『月に吠える』へ』木股知史(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 学と遊びが共鳴するこういうをエロティックスと呼ぶ ギリシア神話の記憶の女神ムネモシュネの9人の娘がそれぞれ芸術の9分野を1つずつ担当したことから、例えば詩と絵はシスターアーツ [姉妹芸術] と呼ばれ、もとをただせばムネモシュネなる「集合記憶」に発する同一の「表現衝動」(G・R・ホッケ)、同一の「芸術意思」(A.リーグル)が、たまたま違う表現形式をとったに過ぎない。こういう「精神史としての美術史」 (M.ドボルシャック)と呼ばれるアート観の中心的主題がシスターアーツ論であり、ホラティウスが発祥とされる“ut pictura poesis”[詩ハ絵ノ如クニ] というアプローチである。こういう大掛かりな比較芸術論のバイブルとされるマリオ・プラーツの大著『ムネモシュネ』を拙訳した時、ぼくはさんざん頭をひねって“ut pictura poesis”に「画文一如」という訳語を充

    『画文共鳴-『みだれ髪』から『月に吠える』へ』木股知史(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Nean
    Nean 2008/02/09