世界的ファッションブランド「アニエスベー」を率いるデザイナーのアニエス・ベーに、英紙「オブザーバー」がインタビュー。過酷な幼少期、芸術への愛、ファッションに対する考えを力強く語ってくれた。 20歳で離婚、無一文の2児の母に 第二次世界大戦中、ヴェルサイユの自宅の真っ暗な廊下で立ちすくみ、爆撃の音を聞いたのを覚えている。私が爆撃音をあまりにも怖がるので、両親は私をノルマンディーにある親しい友人の農場に疎開させ、長らくそこに滞在させた。疎開先の夫妻は私を「子羊」と呼び、私は彼らを「羊飼い」と「羊飼いの妻」と呼んでいた。 母は複雑な人だった。厳格で、時おり極度に神経質になり、理由もなく怒りをぶちまけることも多かった。父とは始終言い争いをしていた。家の中と外で、母は別人のようだった。恋人と暮らしたがっていたが、当時は離婚など論外だった。 家族全員、私が父のいちばんお気に入りの娘だと知っていた。姉妹
