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片山杜秀に関するPeter_40のブックマーク (7)

  • 天皇家にとってはホリエモン的な思考の人たちが脅威

    もうすぐ平成が終わる。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏と、思想史研究者で慶應義塾大学教授の片山杜秀氏の二人は、皇太子の思想と行動を分析するだけでは次代の天皇像は描けないと見る。天皇家にとって、今後は何が脅威になるのかについて、二人が語り合った。 片山:問題は、ポスト平成の時代にこのままの天皇制が維持できるかどうか。今上天皇には、現人神だったお父さんのカリスマが受け継がれているし、災害で国民に寄り添おうとする姿の顕示によって、“公”と“私”のバランスをとっていた。では皇太子はどうか。私には“公”よりも“私”の方の比重が大きいように思えます。 佐藤:その象徴が、2004年の「雅子妃の人格否定発言」ですね。“私”の家族を守ろうとした発言で皇太子一家に、戦後の核家族のイメージを重ねる人が増えた。 片山:歴史の流れからいってなるべくしてそうなった気もします。明治から敗戦までは家父長的な家族国家観が

    天皇家にとってはホリエモン的な思考の人たちが脅威
  • 『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる 』音楽家の役割は、顧客を創造すること - HONZ

    今年読んだ新書の中で、文句なしにNo.1の一冊。平易な文章で書かれ、分量もコンパクトだが、奥が深い。 昨年、『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』がヒットして以来、教養とビジネスの関係に注目が集まっているが、書もまた同様の趣きをもっていると言えるだろう。 著者の片山杜秀氏は、クラシック音楽歴史を追いながら、顧客が誰であったかという点にフォーカスを当てていく。さらに顧客のニーズを満たすための要件が、どのように時代を推進する装置になり得たかという解説にも余念がない。だからどんなビジネスマンが読んでも面白い。 この背景には、音楽というジャンルが文学やアートに比べて、時代のニーズの影響をダイレクトに受けやすいという特性がある。 音楽は演奏され、誰かが聴いてくれることではじめて成立する芸術だ。再現するために多大な人的・物的動員を要するジャンルの常ではあるが、事前にスポンサーとの合意を得なけれ

    『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる 』音楽家の役割は、顧客を創造すること - HONZ
  • 「日本会議」誕生の知られざるキーパーソン・黛敏郎<平成精神史>片山杜秀 - 幻冬舎plus

    平成9年に誕生し、安倍首相が掲げる「2020年改憲」にも影響力を及ぼしていると言われる日会議。クラシック音楽評論家でもある片山杜秀さんは『平成精神史――天皇・災害・ナショナリズム』の第五章「日会議の悲願」で、その誕生のキーパーソンとして、音楽家・黛敏郎氏に着目します。 (記事の最後には、白井聡さんとの刊行記念イベントのご案内があります) 平成9年、「日会議」の誕生 日会議の結成された1997(平成9)年は、自民党と社民党と新党さきがけの三派連立政権の時代、保守二大政党論真っ盛りの時代です。 そんな中で日会議は、「日を守る会」と「日を守る国民会議」が大同団結して結成されました。どちらも反共産主義、反ソ連、資主義擁護、日的なるものの礼賛という点では同じと思われますが、背景や構成員が大きく異なります。 「日を守る会」は、1974(昭和49)年に神社庁や生長の家など、宗教右派

    「日本会議」誕生の知られざるキーパーソン・黛敏郎<平成精神史>片山杜秀 - 幻冬舎plus
  • 安倍政権の国家観は「歴史の言葉」の「つまみ食い」 荻上チキ×片山杜秀が警鐘 (1/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

    1946年11月3日、新憲法公布記念式典で、昭和天皇に奉答する吉田茂首相(帝国議会の貴族院会議場で)。日国憲法の公布から72年。改憲の国民投票は実現するか (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 荻上チキ(おぎうえ・ちき、右):評論家、「荻上チキ・Session-22」(TBSラジオ)パーソナリティー。著書に『すべての新聞は「偏って」いる』『日の大問題』、共著に『ブラック校則』など/片山杜秀(かたやま・もりひで、左):政治学者(政治思想史)。慶応義塾大学法学部教授。著書に『近代日の右翼思想』『未完のファシズム』など。学者と並行して音楽批評家としても活動(撮影/写真部・小山幸佑) 評論家の荻上チキ氏と政治学者の片山杜秀氏が共著『現代語訳 近代日を形作った22の言葉』を出版した。今「近代」の重要性が再認識されている。 【写真特集】首相の憲法観は99%が誤り? *  *  * ――

    安倍政権の国家観は「歴史の言葉」の「つまみ食い」 荻上チキ×片山杜秀が警鐘 (1/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
  • 天皇と右派。「おことば」を批判する安倍政権支持者たち<片山杜秀氏> « ハーバー・ビジネス・オンライン

    『月刊日』編集部は、2016年8月8日の天皇陛下のお言葉以来、「日にとって天皇とは何か」というテーマで、様々な識者にインタビューを重ねてきた。そしてこの度、名だたる論客たちが天皇陛下のお言葉をうけ、「天皇とは何か」「日とは何か」という根源的問題に迫ったこれらのインタビューが『月刊日1月号増刊 私の天皇論』として一冊のとなった。 今回、この『私の天皇論』から、慶應義塾大学教授である片山杜秀氏へのインタビューを転載し、ここに紹介したいと思う。 ── 安倍政権の最大の支持基盤は右派と呼ばれる人たちです。一般に、右派は天皇を第一とするとされています。しかし、彼らの中には、安倍政権を支持する一方で、天皇の「おことば」に対して批判的な人もいます。片山さんは『近代天皇論』(集英社)で、この「ねじれ」の問題を取り上げています。 片山:確かに右派を「承詔必謹」を第一とする存在だと考えれば、ねじれが

    天皇と右派。「おことば」を批判する安倍政権支持者たち<片山杜秀氏> « ハーバー・ビジネス・オンライン
  • 「鬼子」の歌をうたうまで〜クラシック音楽で読む日本近現代100年(片山 杜秀)

    のクラシック音楽マニアへの道 ヴァイオリンを幼稚園の頃から習った。しかし大の不器用。楽器には不向き。まったく上達せず。嫌いにならない方がおかしい。 それなのに6、7年も我慢して習っていた。ストレスが溜まる。どう解消したか。耳より目で済むもの。自ら行為せずに観察するだけで終わるもの。不器用を気にせずに済むもの。映画だ。音楽は嫌い、映画が好き。そのつもりで生きていた。 観るのがよいというのなら、絵画でも構わなかった気もする。でも違った。なぜだろう? 静かで動かないものはあまり好きではなかった。映画は動く。音がある。台詞がある。音楽もある! ややや。そうであったか。映画は目だけではない。耳でも楽しむ。私は映画音楽が実は大好きではないのか。それなのに音楽は嫌いと自分に言い聞かせてきた。不器用さへのコンプレックスのせいだろう。楽器の稽古を止めたとたん、はたと気付いた。 その日から自覚的な音楽の大

    「鬼子」の歌をうたうまで〜クラシック音楽で読む日本近現代100年(片山 杜秀)
  • 中東欧音楽の回路 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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