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2010年11月11日のブックマーク (4件)

  • 小説のレビューがつまらない本当の理由 - 誰が得するんだよこの書評

    ほとんどの書評が文芸批評としては最低レベルの「印象批評」です。だからといって、文学のなんたるかを分かってないから、と言うつもりはありません。問題はその印象批評のテクニックです。 印象批評とは 印象批評は要するにその人自身にとって面白いか面白くないかを感性で語るというものです。感性を同じくする同士なら、「ああわかるわかる〜」と納得できるのですが、合わない人にとっては全然さっぱりです。とはいえ、どうしてそのように感じたかを説明するのはすべからく「自分語り」につながります。私ってこういう人間だから、こう感じたんですよー、というわけですね。この「自分語り」ほどうっとうしいものはありません。知るか。この一言でばっさり斬ってしまいたい。「自分語り」の中にも面白いものはありますが、えてしてトークの技術が足りないせいか面白くない。 というわけで小説のレビューに必要なのは以下の2点です。 「自分語り」以外の

    小説のレビューがつまらない本当の理由 - 誰が得するんだよこの書評
    Portunus
    Portunus 2010/11/11
    「原文密着主義」は全ての批評の基礎だと思う。最初に小林秀雄が『本居宣長』でいってたことが最後にロラン・バルトの『テクストの快楽』に行き着くところがミソなのでは。/自分語りもありか。少し修正。
  • 安彦良和『虹色のトロツキー』 田中克彦『ノモンハン戦争』 - 紙屋研究所

    『虹色のトロツキー』は90年代半ばに初版が出た時に読んだが、セックスシーン以外あまり興味を覚えなかったことを覚えている(「ちょっと『虹トロ』買ってくる」と出かけんとする御仁のために行っておけば、それはわずか2シーン。しかも超控えめな表現)。今にして思うとあまりにひどい読み方だった。 愛蔵版が出たのでこの機会に読み返す。 一体以前は何を読んでいたのだろう、と大いに反省した。 この物語では、スターリンと対立するトロツキーを利用してソ連の分裂国家をつくるとか、中国共産党内のトロツキー派を使ってコミンテルンとの仲を裂けるんじゃないかとか、トロツキーという存在を利用することをめぐって日・満州・ソ連・中国でさまざまな勢力が描いた「幻想」を「虹色のトロツキー」という言葉で表している。トロツキー人は出てこない。 主人公のウムボルトは、日軍部のトロツキー極東政府工作にかかわった深見という中尉の、モンゴ

    安彦良和『虹色のトロツキー』 田中克彦『ノモンハン戦争』 - 紙屋研究所
    Portunus
    Portunus 2010/11/11
    「安彦の描く歴史モノのセックス」ってレイプシーン? 力で女を屈服させてるのに相変わらず善人面したままの主人公というのはどうもなあ。
  • 【尖閣ビデオ】 仙谷長官「擁護の声?国民の過半数がそう思ってると思わない。『しかるべき処分を』が圧倒的多数の国民の声」 : 痛いニュース(ノ∀`)

    【尖閣ビデオ】 仙谷長官「擁護の声?国民の過半数がそう思ってると思わない。『しかるべき処分を』が圧倒的多数の国民の声」 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2010/11/10(水) 18:17:34 ID:???0 仙谷由人官房長官は10日午後の記者会見で、沖縄県尖閣諸島沖で発生した中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した事件を撮影した映像を動画サイトに投稿したと告白した海保職員が警視庁の事情聴取を受けていることについて、故意に流出させたことが事実なら「大阪地検特捜部の事件に匹敵する由々しい事案だ」との認識を明らかにした。 仙谷氏はこの職員への対応について「犯罪がもし発生しているとすれば、刑罰も含めて、 行政罰もしかるべく行為の質と量に応じて行わなければならない。徹底した捜査に基づいて 処分を行う必要があれば行う」と指摘した。 世論は職員に寛大な措置を取るよ

    【尖閣ビデオ】 仙谷長官「擁護の声?国民の過半数がそう思ってると思わない。『しかるべき処分を』が圧倒的多数の国民の声」 : 痛いニュース(ノ∀`)
    Portunus
    Portunus 2010/11/11
    悪夢のポピュリズム合戦。
  • 私はいかにして死刑廃止の論拠について心配するのを止めたか - apesnotmonkeysの日記

    私も以前は「なぜ死刑を廃止すべきか」の論拠をどう表現するかいろいろと考えたものですが、最近は実にシンプルな主張に落ち着きました。「殺すな、という主張に根拠は要らない」です。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国際法やら当時の軍事的情勢やらを引き合いに出して「いや、あの捕虜を殺すのは不当だった」と反論するのは実は間違っているのではないか、とすら思えてきますから。 死刑存置論はしばしば「国民の正義感情」を論拠にしますが、しかしこの「正義感情」たるや、被害者の数が膨大で“顔が見えなくなる”とかえって被害者への関心を失ってしまうようなシロモノです。だって、9割近くが死刑を支持するその社会で、万の単位で被害者のいる大虐殺を否定するために詭

    私はいかにして死刑廃止の論拠について心配するのを止めたか - apesnotmonkeysの日記
    Portunus
    Portunus 2010/11/11
    恣意的な「国民の正義感情」を論拠にする果てには「下克上の気風」が待ってそう。http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1564829.html