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以下メモする。 2009年04月04日 【調査】 自殺者数、08年は3万2249人。10月だけで3000人…警察庁 http://milfled.seesaa.net/article/116705783.html 40 :名無しさん@九周年: 2009/04/02(木) 10:43:31 2YXybiNf0 日本では警察が死因究明の検死解剖ができるのは約5000人だけ。日本では年間10万人が変死扱いで死んでるけど、これが病気なのか殺人なのか自殺なのかは解らずじまい。自殺者3万人のデータは検死の結果じゃなく、遺書がある場合、回りの人間に自殺宣告して死んだ人のみのカウントだから、衝動自殺とか誰にも何も言わないで自殺はカウントされない。 86 :名無しさん@九周年: 2009/04/02(木) 11:55:47 /9QCDaVM0 世間体とか生命保険のこととか考慮されて、自殺って認定されないのも
アグネスバッシングについて書いたついでに、もう一つ気になっていた、雑感めいたものを。 社民党保坂展人議員 児童ポルノ法改正についての質疑(後編) 保坂展人議員(当時) 「私もチェンマイの、タイの取材に行きました。 議員になる前ですけど。そこで、ビルマから売られて来た子供達が酷い目に遭っていて、そこで救出されている施設にも行きました。 子供にもインタビューしたりして……非常に悲しい、そしてもう、こんな子供達が大変だっていう今の思いはよく分かります」 「そして、今こうやってた議論ですがね、恐らくちょっとね、ずれがあるんだと思うんです。 ずれと言うのは、具体的に伺いたいのはですね、アグネスさんも芸能界にいらっしゃって、例えば、宮沢りえさんとは限らず、十代でデビューされた歌手の方、女優の方とかがグラビアとかになったり、セミヌードで写真集を出されたりとかいうのを目の前にいらっしゃったと
先日は表現規制反対運動のメンバーと会食。仕事はダラダラ。本日も寝たり起きたりの繰り返しで仕事は進まず。その間に知人と電話で話をしているうちに、政治関連の書籍の執筆を持ちかけられて困惑。 自分の人生を振り返ってみても、政治に対して強い興味を示したことはほとんどなかったし、今でも基本的に政治には興味はない。表現規制反対運動に関与しているのは、表現規制推進派の主要なアクティブメンバーが、クリスチャン(統一教会を含む)とマルキストで構成されているからだ。どちらも野蛮な思想で、実際に規制運動で相当な実績を上げた過去がある。これと対立するためには、積極的に戦わざるを得ない。 日本の表現規制が、性器の直接描写をのぞいて比較的緩やかなのは、戦国末期から江戸時代にかけてクリスチャンを撲滅し、同時に寺社奉行を強化して宗教を骨抜きにしたからだ。もちろん、江戸時代は封建制度なので表現の自由などなかったわけだが、こ
【衝撃事件の核心】信徒にセクハラ 神に仕える司祭はどこで“博愛のボタン”を掛け違えたか… (1/2ページ) 2009.2.7 18:00 「気の毒な境遇の女性に、愛を与えたかった」-。信徒の女性(43)にセクハラ行為を繰り返したとして、大阪府警茨木署が強制わいせつ容疑で逮捕したカトリック茨木教会(大阪府茨木市)の司祭、井上博嗣容疑者(74)。事件は、約70回にわたってキスを強要され、たまりかねた女性からの相談で発覚した。茨木署は「司祭の地位を利用した悪質な犯行」とみているが、井上容疑者は取り調べや教会側の内部調査に対し「海外では自然なあいさつの仕方」「わいせつな意図はなかった」などと犯意を否認しているという。神に仕える聖職者が引き起こした不祥事。彼は、一体どこで“博愛のボタン”を掛け違えてしまったのか。■引っ越しがきっかけに 大阪北部の茨木市中心部の閑静な住宅街にあるカトリック茨木教会。
禁酒法。 この「史上最悪の法律」の成立過程を、オリヴァー・サイリャックス著『世界犯罪百科全書』はこのように記述している。 「これは長くゆっくりとした助走を経て形になった法律だった。開拓時代の野蛮な酒の飲み方に対する激しい嫌悪感は、アメリカに深く根付いているピューリタニズムと融合して、禁酒運動を生み出した。1907年に、ジョ−ジア州が絶対禁酒となった。他にもいくつかの大きな田舎の州が圧力に屈した。テネシー、ノースカロライナ、ミシシッピ、ウエストヴァージニア、オクラホマといった州だ。エール大学教授のチャールズ・フォスター・ケント博士も、絶対禁酒運動に少しばかり貢献した。アルコール抜きの聖書を作ったのである。彼は聖書の中の酒に関する記述をすべて削除したのだ」 我々が一般に「禁酒法」と云う場合、上のような州法ではなく、憲法修正第18条を指す。 「1914年、憲法修正第18条は下院で197票を獲得し
カトリックと朝鮮総連の相互乗入 ノムラカツヨシ 2005.02.09 「教会の政治的言動を憂慮する会」 ***** 様 以下の情報は私自身が発掘したものでなく、インターネット上のあちこちで語られているものです。主に2chスレッド、 《民主党の石毛えい子が手配、黒幕は総連》 http://society3.2ch.net/test/read.cgi/giin/1107295876/ を、参考にしました。 《殿下さま沸騰の日々》 も使わせて頂きました。 (2005.03.22追記: 昨日部屋の掃除をしていて「月曜評論」H15-7,8月号を久しぶりに開きました。そこにある枡本矛人氏の“暗黒の交わり−キリスト教左翼と北朝鮮の点と線”という記事こそ、この種情報の原点であると思います。これには更にいきさつがあってその 数ヶ月前、私も編集委員をつとめる同人誌「ヴァチカンの道」に、
このように、現代の日本でさえ未だにこうしたタイプのアトミズム信奉者がごろごろしているのだから、明治時代はもっと酷かった。倫理観という誤った論理的な枠組みにより、数多くの人間、特に女性や子どもが不当な抑圧を被っていた。 こうした社会背景を念頭におけば、楫子のとった行動やその理念が必ずしも悪かった訳ではない事が理解できる。繰り返しになるが、彼女の問題点は、そうした既存の倫理観、価値観の押しつけに対抗すべく持ち出してきたものが、キリスト教倫理観というやっぱりアトミックな価値観だった、という部分なのである。先ほどの例に置き換えるのであれば、運という概念を否定するために、確率論を持ち出したようなものだ(どちらもアトミズムに根拠をおいているので、否定概念にはなり得ない)。 東京基督教婦人矯風会が創立したのは一八八六年。きっかけは万国婦人禁酒会から派遣された、レヴィット女史が日本を訪れたことだった。各地
2008/11/24 調査報告:日本の漫画やアニメが、海外から「児童ポルノ」として批判を 受けているという構図はいかにして作られたか? 現在、日本ユニセフによって「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンが実施され、彼らはマンガやアニメを「準児童ポルノ」として違法化するよう各界に呼びかけています。 このキャンペーンの中心人物にECPAT/ストップ子ども買春の会(以下、エクパット東京)の宮本潤子氏がいます。 このエクパット東京は児童保護・児童ポルノの専門NPOとして各界で活躍しており、警察の総合セキュリティ対策会議にも招聘されるほどです。このエクパット東京はプロテスタント原理主義団体「キリスト教婦人矯風会」が背景にあるNPOで、その禁欲的な教義から、性表現の規制を団体主張に掲げています。 特に漫画やアニメの性的表現に関しては、児童ポルノ禁止法などで全面規制せよ、と強く主張しています。
ここでは、本文である、『誰のための法律か?『児童ポルノ禁止法』に関する基礎知識』からは紙数の都合により削除された、児ポ法に関する様々なデータを追加する。まずは日本で児ポ法をポルノ狩りに利用している疑惑をもたれている、エクパット東京と密接な関わりのある『日本基督教婦人矯風会』について語っていきたいと思う。 国家や共同体の周辺部、悪く言えば辺境の地域には、ラディカルな活動家、言論人を輩出する傾向、あるいは彼らを引き寄せる魅力をたたえている。この原則は日本にも当てはまり、北海道や九州出身の、またはそれらの地域を重視する過激な言論人は後を絶たない。 明治維新前の日本でも、仙台藩の林子平(ただし江戸出身)がロシアの南下を説いた「海国兵談」や「蝦夷国全図」を著して物議を醸し出したし、同じく仙台藩医の工藤平助が「赤蝦夷風説考」を著して幕府の政策に少なからぬ影響を与えている(どちらも仙台藩=現在の宮城県で
http://d.hatena.ne.jp/demian/20080314 例えばなんとなく自分に近い感じの男性がレイプされる映像表現や文章表現を見た場合、わたしは恐らく生理的な嫌悪感を覚えます。また、わたしが自分の意思に沿わない相手から性的な接触を強く迫られた場合に非常に嫌な気持ちになることが想像されます。そうでなくとも性的な視線でジロジロ見られるのも嫌なものでしょう(そして多くの女性が社会の中で「性的な視線でジロジロ見られる」ことで非常にキツイことになっている、という指摘がありましたね)。 児童ポルノ法改正論者にとって、このあたりが感覚的な橋頭堡のような気がしますね。わたしがどこかで性の対象になっているかもしれない恐怖。彼らがあのマンガに向けている性的な欲望は、実はわたしに向けられるはずだったのかもしれない恐怖。大人だったら、まあある部分で折り合いをつけなきゃいけないところがあるとして
その「少女」は本当にいないのか? - OAF http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20080314/1205475643 これは児童ポルノ禁止法改正賛成派にも反対派にも思うことなんだけど、「児童が性的視線から無縁であるべきだ」なんて本気で思ってるのかな?考えれば考えるほど「性的視線から無縁でいる児童」なんてどこにも存在しないんじゃないかと思えてくるんだだけど。 自分が小学生の頃を思い出してみればいいよ。隣の女子をどういう目で見ていたか。隣の男子からどういう目で見られていたか。もっと遡って幼稚園の時でもいい。「スカートめくり」とか流行んなかった?おままごとの延長でキスされたりとか、俺普通にあったぜ。 なんかさ、さも「児童は性的欲望からは無菌状態で育つべき」みたいな価値観が背景にある感じがして凄く違和感があるんだよね。それってただのフィクションでしょ?頭の中で構築
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