なんでも、エジプトの遺跡や平安時代の文章にも「最近の若いものはなっとらん」的な言葉があるそうで、「昔も今も変わらない」という話の枕に使われてたりしている。一方、日本の脚気の患者数は昔と比較すると激減したわけだが、死亡者の統計はあれども、その内訳、ことに衝心脚気の統計がなかなか見つからない。ただ、少なくとも衝心脚気が大正時代に消失したわけではないことは、■なぜ大正時代に衝心脚気が無くなったのか?で述べた通りである。 今回は、昭和13年の西山信光(医学博士・耳鼻咽喉科)による『入澤博士の「日本と欧州に於ける内科疾病頻度の相違」を読みて』という論説*1を紹介しよう。論説というか、エッセイに近い。昭和13年は西暦で言うと1938年。鈴木梅太郎によるオリザニンの精製から28年後、臨時脚気病調査会が「脚気はビタミンB欠乏を主因としておこる」という結論を下した1924年から14年後のことである。そのころ