板橋区という地域の中でも、東武東上線が走っている大山から成増までの区間とは生活圏を異にしているのが都営三田線沿線の街だ。荒川と新河岸川が流れる低地が戦後工業地帯として発展し、その労働力として集まった新住民が生活する公営住宅が大量に建設された。高島平団地が特に有名であるが、それ以外にも団地が腐るほどあるのがこの地域の特徴だ。 そしてこの特徴はまるで当方の出身地であるナマポ貧民窟・大阪市のそれにも似ている。板橋区はなんだか大阪の下町みたいな雰囲気がするのだ。 高島平団地の手前に位置する都営三田線の西台駅を降りると、高架駅舎となった西台駅の向こう側に重厚な構えの高層団地が複数建っているのが見える。昭和43(1968)年の都営三田線開業と同時期に建設された「都営西台アパート」の5~8号棟(うち5号棟のみ公社西台住宅)である。 都営地下鉄車庫と一体化する巨大団地 都営西台アパートは昭和45(1970
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