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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (403)

  • 記録が前進の原動力になる - レジデント初期研修用資料

    今は電子化された原稿を、出版社の方に、暫定的に Subversion で管理していただいて、 原稿に加わった変更の履歴だとか、あるいは出版社側で行われた処理については、 逐一Trac というアプリケーションで閲覧できるようになっている。 そもそもまだ、企画が通るのかどうか分からない段階。出版社の、言わば軒先を借りて遊ばせていただいているだけなんだけれど、 これは当に快適だなと思う。 振る舞いがコンテンツになる 単なるユーザーとしてTrac を使う分には、これは単なるホームページに見える。 Wiki みたいに、自ら何かを書き加えることもできるみたいだけれど、Trac は、 原稿に関する自分の振るまい、Subversion からチェックアウトしてきた原稿をあれこれ直して、 それにコメントを加えてコミットするという、一連の作業が、そのままTrac のコンテンツとして、 Web ページに反映され

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    REV 2009/12/19
  • 無限の暗示から外に出る - レジデント初期研修用資料

    たぶん「無限の世界暗示」みたいなのがあるんだと思う。 「その問題は大きすぎて解けないから、もっと頭のいいやりかたを考えましょう」とか、あるいは「問題のバリエーションは無限だから、無限に対応するために、創造力を養いましょう」とか、「創造」と、「頭の良さ」とを結びつけるような考えかた。 算数は暗記だった 無限に思えた問題を実際に解決してしまう、結果につながる頭の良さを持つ人は、むしろ「力技」を好むような気がしている。 「その問題の大きさは有限である」と看破したら、あとは力で突っ走るようなイメージ。 子供の頃、塾では「算数は暗記だ」と教わった。「すばらしい問題」なんて、そんなにぽんぽん作れるもんじゃないから、「覚えれば解ける」のだと。覚えるのは厚さ3センチぐらいの、正直小学生には手に余るような教科書なんだけれど。 学校ではその頃、たぶん算数というものを、むしろ創造に連なる何かとして習ったんだと思

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    REV 2009/12/14
  • 名人の資質 - レジデント初期研修用資料

    「名医であること」や「名人であること」には定義があって、定義だとか、理論を知らないことには目指すことができないし、その人が置かれた状況によって、磨くべき能力も異なってくる。 医療の円環構造 「医療」においては、病歴や、家族歴の聴取に相当する「情報収集」、情報を元に、暫定診断や、バックグラウンドで生じていることを推定する「仮説設定」、他覚的な検査を使った「検証」という、各工程を経ることで、はじめて医師は、処方や手術といった「行動」を決断することになる。 「情報」「仮説」「検証」「行動」の各工程は、円環構造を作っている。行動の結果は再び情報収集され、治療の反応に対する仮説が作られ、それが検証された後、次の行動が決定される。 それぞれの工程は、「速さ」と「大きさ」の、各パラメーターを持つ。 それぞれの能力が大きいほどに、工程をこなす時間が短いほどに、患者さんの治癒可能性は、より大きくなっていく。

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    REV 2009/12/08
  • 来るはずの 俺の時代が 来なかった - レジデント初期研修用資料

    ネットから実世界への、「越境」の難しさについて。 研修医向けに作った原稿を書きためて、ネットで少しだけ名前が売れるようになって、 商業出版品質にギリギリかする程度になった原稿を持ち込んで、出版社からは好意的な評価を いただくこともできたのに、ようやくたどり着いたこの段階になって、 そこそこ売れた自分の「名前」が障害になって、話がなかなか前に進まない。 匿名世界では何でもできる 昔の「テキストサイト」時代、アクセスがそこそこ増えてきて、身の回りのちょっとした「バカ」をネタにして、 読者がそれなりにつくようになってくると、それがエスカレートしていく人がいた。 何度も何度もバケツでプリンを作ってみたりだとか、マクドナルドに行って、肉を何十枚もはさんでみたりだとか。 同じようなネタを何度も何度も、もう人はそれをそんなに楽しんでいるようには見えなくて、 読者だって、恐らくはそれに飽きていて、その割

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    REV 2009/12/06
    あの文章を、「medtoolz」名義で発表しているのが問題なのか。
  • 中国の特番を見た - レジデント初期研修用資料

    NHKの番組。中国の会社が、アフリカで携帯電話の電波塔を建てていた。以下感想。 気合いと根性はエンジニアの共通言語 エチオピアは以前から情報ネットワークの必要性を認識していて、いろんな国にネットワーク建設の依頼を行ったのだけれど、ヨーロッパの会社は、アフリカ進出に失敗したり、断ったりしたらしい。道が悪すぎて、物流が悪すぎて、「エチオピアの隅々にまでネットワークを」という、国の依頼を果たせなかったのだと それを引き受けた中国の会社は、「エチオピアの隅々」を確約して、結局何をしたのかと言えば、人海戦術だった。中国土から、大学を出たばっかりのエリートを1000人単位で引き抜いてきて、一番いい人材を、アフリカの最前線に飛ばしてた アフリカはやっぱりむちゃくちゃだった。電波中継の塔を建てて、塔の真下は案の定ゴミの山で、塔はと言えばそのへんのホームセンターで売ってるようなアングル材で組まれていて、ボ

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    REV 2009/11/30
    電電ファミリーが交換機を売りまわった時代もあたかも。
  • 伽藍の誤謬と戦局眼 - レジデント初期研修用資料

    2002年、ペンタゴンは、冷戦終結以降、最大規模の軍事作戦演習を行った。イランへの攻撃を想定した、「ミレニアムチャレンジ」と名付けられたこの演習は、情報化、ネットワーク化の行き届いた、最新装備の米軍が無敵であることを証明するための演習だったはずなのに、時代おくれの装備を与えられた「仮想イラン」軍に、「仮想米軍」は歯がたたなかった。 ポール・バン・ライパー退役中将が率いた「仮想イラン」軍は、ことごとく米軍の行く手を遮ることに成功した。 ペルシャ湾岸に入った米艦隊は、イラン軍の自爆船、対艦巡航ミサイルによる攻撃を受け、米戦艦のほぼ半数が沈められるか、作戦遂行ができない状態に追い込まれた。これはパール・ハーバー以来の大失態だった。 情報の伽藍に圧倒される 「第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい」というに登場するこのエピソードの主役、ポール・ヴァン・ライパー退役海兵隊中将がどうして強か

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    REV 2009/11/16
  • 合理化が手にした利益 - レジデント初期研修用資料

    恐らくは「能力ある人を育てる仕組み」があった場所に、「既得権」と「無駄」というキーワードをぶつけると、そこが「合理化」する。合理化した帰結として、「能力ある人を育てるための教育コスト」が、「無駄を排除した利益」として、攻撃者に転がり込んでくる。 合理化はだから、短期的には間違いなく利益を生む。その代わり、教育システムが「合理化」されてしまうから、もう後続は育たない。教育システムを再建しようにも、それには「既得権」のラベルが張り付いているものだから、政治という営為が「嫉妬の最小化」を目標に行われている以上、システムが再生することはあり得ない。 昔は旦那がいた 「日一の左官職人」の昔話。 その人が若い頃には、どこの町にも「大旦那」とか「若旦那」がいて、若手の職人は、そういう人に目をかけてもらって、ある日「粋な茶室を作ってくれ。金は出す」なんて注文を受けたんだという。機会を与えられた若手は必死

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    REV 2009/11/15
    PDSCに関する管理等コストが大きい場合、実施する対象を絞り、生活をも管理する徒弟制度的な修行の合理性が増すような気が。
  • 「普通の人」に向けたサービスのこと - レジデント初期研修用資料

    恐らくは「便利であること」それ自体には、お客さんは魅力を感じないのではないかと思う。 「便利さ」に価値を見出すのは、新しいものに飛びつくのが好きな、ごく一部の人であって、 お客さんの多くは、便利であることよりも、「自分が真ん中にいる」感覚を共有することを好む気がする。 2つの入り口を持つ料理屋さん うちの近所にあるショッピングモールに「ドリア専門店」と「石焼き鍋専門店」とが入っていて、2つのお店は、中で厨房を共有している。 お店はモールの角地にあって、図面上はたぶん、「角地にある大きな店舗」なんだけれど、中を仕切ってあって、「三角形に分かれた2つのお店」に改造してある。お客さんは、ドリアをべたければドリアの門に、石焼きビビンバをべたければ石焼きの門にそれぞれ入って、お互いの行き来はできないようになっているんだけれど、バックグラウンドでは、同じ厨房で、いろんな料理が作られている。 そこは

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    REV 2009/11/08
    書籍売り上げランキングを無差別級でつくると、コミックスに埋め尽くされて、ラノベが霞むので困る。
  • ガタがあるからうまくいく - レジデント初期研修用資料

    先週の日曜日には、熱を出した子供さんが100人近く来た。休みが明けて、外来が始まって、 もちろん「それ以上」を覚悟していたのだけれど、外来は、平和なままだった。 インフルエンザはたしかに流行しているんだけれど、パンク寸前の休日外来は、 みんな「休みだから」病院に来てたわけで、「熱が出たから」病院に来た人は、実は案外少なかった印象。 遊びが減ってこうなった 社会から「遊び」要素が減って、平日にみんな、休めなくなった。 土日をずらして営業していた病院というのもあって、一時期はうまく機能していたんだけれど、結局みんな止めてしまった。土日外来の収益自体はよかったのだけれど、世の中が土日休みで回ってるから、役所とか学校とか、「平日」を要求する場所がシビアになって、スタッフに子供ができると、組織が瓦解しちゃうんだという。 世の中の遊びが減って、しわ寄せが、緊急避難装置的な場所に集まって、結果として、救

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    REV 2009/11/05
    カンバン方式って、工場のムダを無くし、下請けのトラックを無駄に待機させとく方式だったような。F1レースでも、道路整備のムダを無くし、観客を無駄に待機させておく方式だったような。
  • 努力は報われないほうがいい - レジデント初期研修用資料

    現在進行形ですごい状態にある人を見て、「僕も頑張ってああなるんだ」なんて、 その人と同じ場所を目指して頑張るのは、危険なことだと思う。 何かの間違いがあって、頑張ったその人の成功を許してしまった業界は、その時点で詰んでしまうから。 劣化コピーが承認を求める 同じ方法論で頑張った人は、どうあがいたってオリジナルの劣化コピーにしかなれないものだから、 そういう人は、ものすごく頑張る。頑張った人が、「頑張り」に見合った承認を求めると、 世代を重ねるごとに、「頑張り」のコストはどんどん上がって、そこはたぶん焦土になる。 業界のどこかで「すごい」を観測したのなら、その人と同じやりかたを重ねるのではなく、 「もっと簡単にあそこに到達するにはどうすればいいんだろう」なんて考えないといけないし、 それでも「頑張り」以外の答えが出ないなら、「すごい」その人たちがいなくても何とかなるように、 仕事のやりかた自

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    REV 2009/11/03
    んー、戦車は前線で急降下爆撃機で倒すとか、移動中に阻止攻撃で倒すとか、戦略爆撃で製造前に倒すのが効率的だけど、撃ち漏らしをどうするか。根性で爆雷とか、気合でバズーカとか、努力で狙撃とか。
  • 交渉手段としての火砲と装甲 - レジデント初期研修用資料

    交渉ごとというのは要するに、「相手に何かをあきらめてもらう」必要が生じたときに発生するものなんだけれど、相手のあきらめを促す手段として、「ものすごい火砲」を見せるやりかたと、「分厚い装甲」を見せるやりかたとでは、交渉の質が異なってくるような気がする。 火力にできないこと 現代戦は「ミサイル」が主役になるから、分厚い装甲を装備したところで効果は薄くて、今の戦艦は、案外装甲が薄いんだという。それとはまた、理由は異なるのだろうけれど、民兵の武器はせいぜいライフルぐらいだから、「今の時代、戦車は不必要で、装甲車で十分」なんて議論もあるらしい。 状況を支配している軍隊に、ライフル程度の武器で戦いを挑んだところで、彼我の火力差をひっくり返せないのなら、勝負にならない。戦うことは無意味だから、理屈の上では、味方に圧倒的な火力があるかぎり、相手の武器に見合った装甲を持っていれば、戦いに負けることはないし、

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    REV 2009/10/31
  • 交渉の名人が来た - レジデント初期研修用資料

    警察で収監中の人が、「症状悪化にて入院希望」でやってきた。刑事さん同伴で。 外来でおきたこと 「ひどい腹痛にて受診希望」ということだったんだけれど、元気だった。朗らかで、親しそうで、 当直をしていた自分と患者さんと、なんだか15年ぶりに出会った友達としゃべってるみたいだった その人が外来に来た最初、「先生、俺はこの病院が第2の実家みたいなものなんだよ」と言われた。 子供の頃はよくこの病院に来て、「俺は小学校の頃からここの院長に頭叩かれてたから、 バカになっちまったんだよ」とか、懐かしそうに語ってた。目も笑ってた 愛想がいいのが、逆に怖かった。警察の人が6人ぐらいでその人を囲んでいて、その人も全身入れ墨、 手錠に腰縄のフル装備なんだけれど、ずっと朗らかだった 「症状が悪化」しているようには見えなかったし、人も、痛がってみせるとか、 苦しんでみせるとか、そんなそぶりは全くないんだけれど、「今

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    REV 2009/10/17
    「黒い家」を思い出した/ロジック的には最強の「名人」が、刑務所に入っている、というのが印象的。
  • 「当直医学」を作ってほしい - レジデント初期研修用資料

    できれば雑誌の連載とか、なにか公的な文章として残る形で。 「総説」は役に立たない 患者さんはみんな違うから、医療という分野においては、 議論の土台になる「一般」というものが、定義できない。 病気についてはだから、「一般的にこうだと私は思う」という書きかたが難しくて、 どうしても、誰かの論文を引っ張って、「○○らはこう述べている」という書きかたしかできない。 どれだけたくさんの「○○ら」を引用したところで、その文章を書いた作者自身が、患者さんと当たって どういう治療を選択するのか、あるいはある病気に対して、「一般的には」どうやって対処するのが 一番無難なのか、読者として、一番知りたいことは、あんまり書かれない。 「エビデンス」なんかよりも、「言質」がほしいな、といつも思う。 論文どおりのやりかたを行うためには、その患者さんが、議論の余地なくその病気を発症している 必要があって、そういう人たち

  • 「これはこういうものなんだ」体験のこと - レジデント初期研修用資料

    まだ運転免許証も持ってなかった学生の頃、夕方遅く、すでに乗用車を乗り回していた同級生の 「トヨタカローラ」に乗っけてもらった。 昔も今も、カローラは「あって当たり前」を目指してる車であったはずなのに、 ダッシュボードに光るメーターと、田舎の夜景とが重なって、なんだか一瞬、 その光景がSF映画にダブった。 「要するに、乗用車を持つということは、どこにでも行ける自分だけの空間を持つということなんだ」なんて、 一人勝手に納得がいって、その時初めて、車というものが心からほしくなった。 ゲーム機のこと 「快適さ」というパラメーターにも、住宅みたいな階層構造があって、 「地盤の脆弱性」みたいな下位レベルの問題を、たとえば「家具の配置」みたいな上位レベルでの努力では 取り返せない。 据え置き型のゲーム機は、やっぱり昔ほどには売れていないらしい。ファミリーコンピューターの時代から見れば、 今のプレイステー

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    REV 2009/09/26
  • スマートフォンが消し去ったもの - レジデント初期研修用資料

    今さらなんだけれど、新しく購入したHT-03Aという携帯電話を、このところずっと使っている。 前使っていた携帯電話は、機能なんて何もついてない、文字通り「携帯できる電話」だったものだから、 スマートフォンのちょっとした機能に、いちいちびっくりする毎日。 Palm を使っていた 大学病院で働いていた頃は、Palm という携帯コンピューターを使っていて、 メモ代わりにしたり、患者さんの情報を入れておいたり、あるいはblog の原稿をちょこちょこ書いたりしていた。 Palm は面白くて、同業者の中でも、自分は相当熱心に使い込んでいたほうだと思うんだけれど、 職場が変わって「これでないと」という場面が減って、結局面倒くさくなった。 その面倒くささの根っこにあったのは、「同期」という操作だったのだと思う。 たとえば「今日時間があったときに読もう」なんて思った文章は、Palm でそれを読もうとしたら、

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    REV 2009/09/26
    新しいテクノロジーには、どきどきするよね。
  • 変なもの通 - ゲーム理論

    簡単に囚人のジレンマの内容を紹介しましょう。このゲームは二人あるいは二つのグループの 間で行なわれます。選ぶことのできる戦略は【協調】か【裏切り】の二つです。いま二人が ともに相手と協調すればまずまずの利益を手にできますが、相手が協調しようとするときに 私が裏切ると、私は最大の利益を得、相手は最大の損をしてしまいます。ところが自分の利益を 何とか多くしようとして、ともに相手を裏切ると、二人とも利益はなくなってしまうのです。 これがゲームの大まかな内容です。このゲームでは、おたがいに協調すればよいことが わかっていても、ともに裏切ってしまうことになります。つまりジレンマに陥るのです。 囚人のジレンマは、1950年代に生まれて以来、人びとの付き合い、企業どうしの付き合い、 国際関係まで、協調したいのに裏切ってしまうジレンマ状況を簡潔に表現できるモデルとして、 広く用いられてき

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    REV 2009/09/21
  • 神話としてのアンパンマン - レジデント初期研修用資料

    ハッヒフッヘホー。アンパンマン、腐敗と発酵の違いを知っているか?」 大体このへんから始まった、一連のおしゃべりをまとめた。 バイキンマンからこんな問いを投げかけられて、アンパンマンはたぶん、 答えを見つけられないはず。正義というのは来、「悪役」なしには存在できないから。 妄想:アンパンマンは山の神様だった 原作だとこのあたりは、アンパンマンの体は、ジャムおじさんのパン種に飛び込んできた星みたいな何かで、 バイキンマンは異星人だけれど、このあたりはあくまでも、人間の側から見た事実。 ここにこんな設定を持ち込むと、物語の意味が大きく変わって面白い。 「アンパンマンとバイキンマンは元は同類の存在であったが、片方はイースト菌で用に、もう片方は雑菌が繁殖し出来損ないとして廃棄された」 焼かれる前のアンパンマンとバイキンマンは、山の中に「パン種」として存在して、 ジャムおじさんの介入を受けること

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    REV 2009/09/07
    JAMおじさんは人間ではなかったのか。人類と光学異性体だったりしてw
  • 同意獲得ゲームとしてのネットコミュニケーション - レジデント初期研修用資料

    実世界でのコミュニケーションが、「合意形成ゲーム」であるのに対して、 ネットコミュニケーションというものは、「同意獲得ゲーム」なのだと思う。 ゲームの目的が違うから、おしゃべりの戦略は異なってくるし、ゲームが違うから、 ネットで支持を集めた言葉というものは、ネットの壁を越えて、実社会に浸透できない。 コミュニケーションの大きさと深さ 「2ちゃんねる」みたいな場所には、何となく、「話を聞いたら、それをもっと面白くしないといけない」という、 プレッシャーみたいなものが働いている気がする。 物事を分析する方向で「面白く」するのは大変だから、たいていは、「動物を見た」というお話が 「狼を見た」になって、「狼が襲ってくるぞ」に進化していく。 「ラーメン屋さんのスープが夕方になると塩辛くなる」理屈と同じで、掲示板みたいな場所に留まって、 そこにいる人たちからの同意を獲得しようとすると、話題はどうしても

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    REV 2009/09/03
  • 社会説得の考えかた - レジデント初期研修用資料

    政治家の、小沢一郎の選挙に対する考えかたを読んで思ったこと。 川上から攻める 小沢一郎の目指したやりかたというのは、田中角栄が昔やっていたことをそのまんま引き継いでいるのだな、と思う。小沢一郎が「若手」だった頃、田中角栄は小沢を評して「頭は切れるが目線が高すぎる」なんて評して、今たぶん、小沢一郎が「大人」になって、同じようなことを、若手に諭す立場になったんだろう 「川上から攻める」のが小沢流のやりかた。川上というのは来、いい田んぼがたくさんある場所で、古い人が住んでいる地域。小沢一郎が町を落としに行くときには、駅前みたいに目立つ場所でなく、その土地の古い人、子供でなく、親御さんたちの暮らしている、川上の集落から始めるんだそうだ このへんは、「川上」さんだとか「上田」さん、あるいは「大林」さんとか、そういう名字の多い場所は古い場所だとか、たぶんローカルな地政学みたいなものが、伝統としてある

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    REV 2009/08/26
    「「要するに山に入ればいいんだろ」」
  • ゲームとジレンマ - レジデント初期研修用資料

    ゲームとは 問題の中心にジレンマがあって、参加者が、自らの選択を通じてジレンマの解消を試みるとき、その状況は「ゲーム」であると言える。 ゲームにはルールがある。ルールとはジレンマの設計であって、よくできたルールは、 ジレンマの観察が容易で、「誰にでもできる簡単なことをふたつ同時に行おうとすると難しくなる」状況を内包している。 ジレンマ解消の先にあるもの ゲームのルールがルールとして機能している時期、ジレンマに対する最適解がまだ見つかっていない時期のゲームは楽しい。 多様な戦略が提案されて、その多くは失敗するけれど、全ての失敗もまた、経験として参加者に蓄積される。試行のコストは低く、 失敗しても、失うものは少ない ルールの中心に見えていたジレンマが解消されたそのとたん、ゲームはいきなり地獄になる。多様性を競った時代は終わり、 定番となったある戦略に、全ての参加者が収斂していく。アイデアの価値

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    REV 2009/08/22