太平洋戦争における日本の輸送船の壊滅の原因について述べる前に、まず、次の二つの表を見ていただきたい。 最初の表は、太平洋戦争中における第1海上護衛隊(門司~シンガポールを担当)の護衛下にあった輸送船団とアメリカ潜水艦の会敵率と損害の推移である。(戦史叢書「海上護衛戦」防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 P237、P354、P463、ちなみに、1942年9月以前、1943年12月、1944年12月、1945年4月以降のデータは戦史叢書には無い。) 見ていただければ分かると思うが、ばらつきはあるが、会敵率と損害は、概ね比例している。会敵しない限り、撃沈されることはないのであるから、これは当然のことであろう。 また、時と共に会敵率が増加し、1944年8月、9月、10月、1945年2月、3月には、100%を越えている。出航したら必ずアメリカ潜水艦に見つかる訳である。これは、どう見ても異常な数
このコーナーではドリーム小説の自動作成CGIを紹介しています。 特集1: DreamMaker1 (ドリーム小説自動作成CGI) DreamMakerは、普通のテキストやHTMLファイルをドリームコンテンツに変換するCGIです。 HTMLファイルで記述されている創作小説にJavaScriptを自動的に埋め込んでドリーム小説 コンテンツを簡単に作成出来ます(登場人物の名前はJavaScriptの入力ウィンドを使用します) 特集2: DreamMaker2 (Cookie対応型ドリーム小説自動作成CGI) 特集2では、ドリーム小説コンテンツを選択するメニューページのサンプルを紹介しています。 サンプルではJavaScriptによるクッキー機能を用いて訪問者の入力内容を保存しています。 DreamMaker2は、Cookie対応型のドリーム小説を作るCGIです。 テキストやHTM
同性愛行為はいろいろな動物の間でも、人間の歴史上でも昔の日本でもたくさんの例があり、同性愛は自然な行為の一つと言える。 いっぽうで、ブタを食べるのはイケナイという宗教、食事の時に礼儀としてゲップをする民族、葬式のときに死者の脳を食べる習俗、家の中で傘を広げてはいけない国、などがあるように、時代によって文化によって同性愛を悪いことだとして忌避する人々もいる。 文化人類学 動物行動学 生物学的(身体特徴)な性の区別は「sex」。 それに対して、社会的・文化的に作られた性別・性役割(男らしさ・女らしさ)を「ジェンダー」と言う。 (「男なら**しろ」「女らしくしなさい」等の思い込み) 「男である」「女である」という自覚・自己規定(ジェンダー・アイデンティティ)は、生まれつき天然のものではなく、言語(文化情報の授受:社会からの学び取り)によって成長過程で形成される。 その際、同時に ・
戸籍とは、身分登録簿です。かつての奴隷簿です。奴隷所有者が、自分の所有する奴隷を記録するために作った帳簿なのです。それゆえ、所有者は記載されません。ですから、日本国民(ここでは日本国籍を有する者とします)全てが戸籍に記載されているかと言えば、そんなことはないのです。戸籍に記載されていない(戸籍に記載することができない)人はいるのです。それは、皇族です。皇族は、未だに戸籍上支配者であり続けているのです。その証拠に、皇族には姓がありません。名しかないのです。中学校の歴史の授業で、明治時代に誰もが名字を付けることができるようになったと、まるで権利獲得のように習った記憶はありませんか? しかし実際は戸籍編さんに当って、姓というインデックスが必要だったため(全国民を戸籍に記載し、管理支配する目論見があったため)なのです。姓の文化がなかったアイヌの人々や独自の文化を持つ琉球の人々にも、姓は強制されまし
皆さんの中には、普段から部屋をきれいにしている人もいるかもしれませんが、境界例の人の中には、部屋がいつも散らかっているようなタイプの人がいます。部屋が散らかる原因としては、いままで育ってきた環境や躾けなどによるもの、精神的な混乱状態によるもの、分裂病から来る身の回りに対する無関心さ、あるいは疲れているとか、仕事が忙しくて部屋を片付けている暇がないなどというようなことを考慮しなければなりませんが、ここでは私の体験などをもとにして、分離不安に焦点を当てて分析してみたいと思います。ですから、もし今あなたの部屋が散らかっているならば、これから説明する、分離不安とはどういうものなのかとか、しがみつきの心理とか、自分をごまかすための心のメカニズム(防衛機制)とはどういうものなのかなどについて、ある程度実感として理解できるのではないかと思います。 では、なぜ部屋が散らかったままになってしまうのかと言いま
こんな言葉を使っていたら距離を置こう このスピーカーにはどれくらいの価格帯のアンプ・CDプレイヤーが必要ですか? アンプ・CDプレイヤーについて、信頼あるものであれば、同一音量の場合、音質の差は感じられません(実験結果)。スピーカー(とマイク)以外のオーディオ機器はほぼ完成された技術といっていいでしょう。 音質にこだわるのなら2chピュアオーディオ 少なくともアンプに関しては、多チャンネルAVアンプと2ch専用アンプに音質の差は認められません(実験結果)。 2chに特化したSACDプレイヤー、アンプです 2chに特化したからといって、多チャンネルプレイヤーやアンプより音がいいという実験結果は得られていません。機能を省いただけ、と考えた方がよいでしょう。 パイプラックは音が悪くなる 簡易な折りたたみ椅子に載せるのと、高価な硬性の高いラックに載せるのとで差がないという実験結果があります。また、
4枚カード問題はこのほかいろいろなバリエーションで研究が行われている。 (正確な実験条件については別途調べてみましょう) これらのテストから見るに、どっちかというと科学記号的・抽象的思考よりは、社会関係的な思考が人間は得意げっぽいことから、 ・なぜ人間は、論理性そっちのけに社会関係にはまる思考をしがちなのか ・人間は集団生活生物 → 仲間にズルされると生活上すごく不利 → 他人のズルに敏感でなきゃヤバイ そんなこんなで、人間の知性は社会的ルールに対する不正をよく察知するよう進化してきたのではないか、という仮説が登場した。 とはいえ、もとより人間(少なくともこれらテストを受けられるような普通の人)は幼少時から、科学記号的・抽象的思考よりは社会的な思考を必要とするような、世間的環境で育ってきているもの。 成育環境のせいで科学記号的・抽象的思考よりは社会的な思考に慣れているだけであって
「コギャルがあざ笑う戦後教育」 1998『諸君!』掲載論文 (1998年に書いた論文ですので、風俗的に現代と多少異なる部分があります) 学校文化が崩壊した 派手な化粧に超ミニスカの制服、ロングの茶髪にルーズソックスという恐ろしく画一的な格好をして闊歩するコギャル女子高生の姿は世界に類例を見ない珍奇な光景であろう。 所かまわず座りこみ、ソックスをはきかえ、菓子類を食べ散らかす姿は、たいていの大人は(というより当の女子高生以外にとっては)不快を催すもの以外のなにものでもない。 これらコギャル女子高生が拝金主義に染まったまま享楽的な姿を送り、一部の者が売春(援助交際)やテレクラ等のH系バイトをしていることは広く知られるようになったが、彼女たちが恰好の消費者の仕事であり、プリクラ、ポケベル、ピッチ等の女子高生関連産業が二兆円を超えるという現実の前では、彼女たちを叱るという行為は、旧道徳に固
◆ お知らせ:2008年9月27日(土) 『ぴあの好きの集い 第9回演奏会』◆ 上野旧奏楽堂。入場無料。 私は、アルベニス晩年の傑作ラ・ベーガを演奏します 真にいい音のオーディオ機器を選択したいとき、自分の耳しか頼りになりません。頼りにならないのが、人の意見と、意外にも自分の目と先入観です。 スピーカーは楽器に最も近い位置にあります。メーカーやモデルが違えば違った音に聞こえます。確かにデザインや値段による先入観によって 音も変わって聞こえる可能性はあります。しかし、それを上回る個性の差が、そういった情報に左右されることなく、耳に届きます。 では、アンプやCDプレーヤー、ケーブルはどうでしょう。値段相応の違いを有しているのでしょうか?価格やデザイン、材質などの情報(ブラシーボ効果)に騙されていないでしょうか? ブラインドテストをして機器を選んでいるでしょうか? 限られた予算の中で、最高の音を
米『Business Week』誌に掲載されたダイムラークライスラー合併関連の記事の話が出たところで、ついでに企業文化の差異という観点からこの合併劇をあつかった論文が見つかったので日本語訳して取り上げてみたい。この論文はスイスに本拠を置くInternational Institute of Management Developmentという経営学の教育機関が2002/06に発表しているもので、Paul Strebelという経営学教授が書いたものだ。同機関の前身は1946年ジュネーヴに設立されたIMIと、1957年にローザンヌにネスレが設立したIMEDEで、1990年に両者を引き継いで開設されたとのことだ。原文はこちらで読むことができる。なお文中に登場する『管理職のための視座』というのはこの論文が掲載されているIMD発行の小冊子の題名のようである。 題名は『紋切型の国民性ではなく企業の特性に
◆ お知らせ:2008年9月27日(土) 『ぴあの好きの集い 第9回演奏会』◆ 上野旧奏楽堂。入場無料。 私は、アルベニス晩年の傑作ラ・ベーガを演奏します スピーカー以外の機材について、ブラインドテストでは音の差がほとんど検知できていない、という実験結果がいくつか報告されています(普及型とハイエンドのブラインドテスト他)。 しかし、オーディオはいまだ差があるかどうかわからないその音質の良し悪しを軸に選ばれている感があります。しかも、その評価はブラインドテストによる結果ではありません。 腕時計はいかがでしょう。時刻の正確さを必ず俎上に載せるでしょうか?否。デザインだけで選択する腕時計の世界も存在します。デザインと若干の機能性だけを論点にしている雑誌すらあります。 オーディオもブラインドテストで差が分からないくらいの高いレベルの音質を有していれば、音質については気にしない、という立場をとること
◆ お知らせ:2008年9月27日(土) 『ぴあの好きの集い 第9回演奏会』◆ 上野旧奏楽堂。入場無料。 私は、アルベニス晩年の傑作ラ・ベーガを演奏します デザインで選ぶオーディオの記事のために、ゴールドムンドの画像を探していたら、面白い物を見つけました。 海外の掲示板goldmund ripoff - pink fish mediaで、パイオニアの2万円のDVDプレイヤーと、ゴールドムンドの140万円のユニバーサルプレイヤーの内部パーツがほぼ一致していることが写真で指摘されています。以下画像だけ引用します: Pioneer DV-600 (?) 2万円 → 13,600円(プライスダウン!4/20) GOLDMUND Eidos 20 (?) 140万円(≒6000ポンド) GOLDMUND本家HP - Newsletterには、 GOLDMUND Eidos 20A の内部について、P
これも境界例の特徴の一つなのですが、なにごとにも極端から極端へと移行してしまい、中間というものがないのです。白か黒かのどちらかの世界しかなくて、その間にあるはずのグレーゾーンというものがないのです。そして、すべてか無かという、二つの選択肢しか持ち合わせていないのです。 自分が気に入ったものでも、ちょっとでも気に入らないところがあると、簡単にすべてを放り出してしまうのです。価値観が、理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動いたり、機嫌が良かったかと思うと、突然不機嫌になったりします。人によっては、はしゃぎ回ったかと思うと、そのあとで急にふさぎ込んだりして、まるで躁うつ病のようになることもあります。万能感と無力感。熱烈な好意と極端な憎悪。そういった極端な状態から極端状態へと、短絡的に移行してしまうのです。そして、人間関係に付きものの、微妙な心の機微とか、微妙なニュアンスとか、そういったものがないので
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