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ブックマーク / imaki.hatenadiary.jp (17)

  • 杉井光『さよならピアノソナタ encore pieces』 - 八月の残りの日

    時はすべてを癒す。ナオと真冬がひっついてしまえば、女の子二人と男の子一人が失恋する勘定になる。だが恋が成就しなくても人は生きてゆける。愛してその人を得るのは最上だが、愛して得られないことはその次によい。別に? 好きなものは好きだから好きでい続けるだけだよ? とか、まあそんな感じ。 さて一年前に完結した篇に関しては、ナオの朴念仁っぷりというのはつまり、修羅場の回避──言い換えれば「いかに読者にストレスを与えずニヤニヤさせ続けるか」という技法の問題でしかない、と思っていた。もう一ついえば、こういうことでもあると思うがここではおく。ナオが人並みに敏感で、女の子たちがもう少し優しくなかったら、読者諸兄におかれましてはとてもニヤニヤしているどころではなかったろう。僕はとてもニヤニヤなぞできなかった。複数の乙女心が理不尽にスルーされ蹂躙され続けているというのに、それを陳列し眺めてニヤニヤする、なんて

    杉井光『さよならピアノソナタ encore pieces』 - 八月の残りの日
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    REV 2010/10/04
    「ナオの朴念仁っぷりというのはつまり、修羅場の回避──言い換えれば「いかに読者にストレスを与えずニヤニヤさせ続けるか」という技法の問題でしかない」
  • ディストピア十傑 - 2005-12-15 - 八月の残りの日

    http://d.hatena.ne.jp/REV/20051214#p9 漏れも漏れもー。 そういえば、思春期のある時期において、そういうものを貪るように求めていたことがあるのだけれど、あれは何だったのだろうか。 アタラクシア(竹宮恵子『地球へ…』) 未来のどこかの惑星。マザーコンピューターによる母性的な管理。 たぶんディストピア初体験。1984年やらビッグ・ブラザーやらの名前だけは知っていたけれど。 14歳になれば「成人検査」によってそれまでの全ての記憶を消去され、新たな社会の成員にふさわしい「まっさら」な状態で大人社会の仲間入りを果たす。14歳の誕生日には「目覚めの日」という名が与えられていて、喜ばしき出来事とされるのである。 しかしそんなことよりも印象に残っているのは、管理社会がなんというか柔らかい、明らかに意識的に母性的な、「マザー」と呼ばれるコンピュータが前面に立つものであるこ

    ディストピア十傑 - 2005-12-15 - 八月の残りの日
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    REV 2009/07/22
  • 八月の残りの日 - [novel]荒山徹「柳生大戦争 第一部 剣神降臨ノ巻」(『KENZAN!』第一号)

    たとえば荒山徹は『魔岩伝説』で次のように書いている。 「天帝の孫、檀君さまが今から四千年以上も前に朝鮮という国を闢(ひら)きました──笑わせるわ、朝鮮の始祖が檀君だなんて。檀君神話はね、一然(イルリョン)っていうお坊さんが書いた『三国遺事』に初めて出てくるの。それが書かれたのは、たかだか五百年前のことよ」 「五百年前?」 日でいえば鎌倉幕府の時代である。 「そうよ、とっても新しいものなの。それ以前にそんな神話が朝鮮に伝承していたっていう証拠は何もないの。ええ、何一つないのよ。兄はいってるわ、おそらく檀君神話は一然の創作だろうって」 「創作? 坊主が建国神話を造り出したっていうのか?」 「一然が『三国遺事』を書いたのは、高麗がモンゴルに侵略されて苦しんでいる時だったの。だから、自分の国が一つにまとまってモンゴルに対抗できるようにって、その旗印として始祖神をでっちあげたんだわ」 (荒山徹『魔

    八月の残りの日 - [novel]荒山徹「柳生大戦争 第一部 剣神降臨ノ巻」(『KENZAN!』第一号)
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    REV 2006/11/15
  • ヤマグチノボル『ゼロの使い魔』 人名出典一覧(改) - 八月の残りの日

    唐突に。とっくに誰かやってるかと思ったけれど、Web上に見当らなかったので自分で作ってみた。 どうやら一部を除いて17世紀ヨーロッパの実在の人名、というか『ダルタニャン物語』に出典を持つようだ。 かなり適当なのであまりあてにしないで下さい。なにしろ手許には角川文庫版の『三銃士』しかない。すなわち第一部のみである。どうやら講談社文庫版は絶版になっており、復刊はなったものの一冊2100円とあっては、赤貧洗うがごとき我が身ではちょっと手を出しかねる。岩波文庫あたりで出してくれないかしら。ほんとに。ふんとに。 よって以下、第二部『二十年後』、第三部『ブラジュロンヌ子爵』についての記述はもっぱら下記サイトによった。 三銃士ファンクラブ銃士倶楽部 四銃士 フランス17世紀の歴史絵巻 アニャン氏とエトセトラ 読書ノート - ダルタニャン物語 第2部 20年後 また、17世紀ヨーロッパの歴史背景については

    ヤマグチノボル『ゼロの使い魔』 人名出典一覧(改) - 八月の残りの日
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    REV 2006/08/21
  • 『涼宮ハルヒの憂鬱』#1・#2 - 八月の残りの日

    #1「朝比奈ミクルの冒険 Episode 00」 原作でもこのエピソードのキョンの語りの位置付けはいまいち不明である気がするのだが、試写会というシチュでそれをうまく再現したなと。という解釈でいいのかしら。 ところで『溜息』が大好きな私としては「ああ、あのへん撮ってるときにああいうことがあったんだよなあ」と感慨もひとしおでしたが、何も知らずに観た方々はさぞデヴィッド・リンチの映画を観るがごとき悪夢感をおぼえられたことでありましょう。それはそれで体験したかった気もしますが。というか体験したかった。これは#4でも思ったんだけど。 #2(第一話)「涼宮ハルヒの憂 I」 ちゃんとツバ飛んでた*1。いいなあ。 それはそうと、原作のこの描写が削られていた(というか差し替えられていた)のには、ちょっと解せないものがある。 俺の脳裏には、真っ暗の校庭に真剣な表情で白線を引いている涼宮ハルヒの姿が浮かんでい

    『涼宮ハルヒの憂鬱』#1・#2 - 八月の残りの日
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    REV 2006/05/25
  • 現実的にリアルなFate後日談 - 八月の残りの日

    リンク先ネタバレ注意。今日の記事も一応。 http://sfrenatezze.com/ioriha/rnote.php?u=03otaku/irelandfate.html まあネタなので野暮な突っ込みをするのもアレですが、とりあえずウェールズ人に殺されそうな内容だと思ったわよ。アーサー王がアレって時点で手遅れという気もしますが。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/5124/welsh_history.htm まず、ウェールズは、700年ほど前までれっきとした一つの 「国」 でした。ある日イングランドに吸収合併されてしまったのです(企業じゃないんだから)。一つの 「国」 だったわけですから、もちろん独自の文化や言語を持っていたわけです。そして今もそうです。今でもほとんど 「公国」 という感じで、ウェールズ人は完全に自分たちを独立した民族だと

    現実的にリアルなFate後日談 - 八月の残りの日
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    REV 2006/05/24
  • 2006-05-06

    http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card77.html ノベルゲーム風テキストビューアで読んだらえらくハマった。 誰も会いに来てくれないなら東京なんて森になってしまえ(違うか)。 『伝奇ノ匣』に収められていたりもするけれど、客観的には不思議なことは何ひとつ起こっていない。でも夢幻的なイメージに圧倒される。僕が、という以前に、その夢を見ている当の登場人物が。イメージは自律的に暴走しひとを巻き込むのであるが、それは占い師の他愛ない一言がきっかけだから、言葉はイメージに先行するのである。『ONE』みたい。あと『さんさんさん』のいちめんのすすきとか。イメージは常にシニフィアンから二次的に作り上げられる、みたいな話かも。雰囲気的にはむしろ『女郎蜘蛛』の未亡人のひとのおはなしだけど。 あと、ノベルゲームのインターフェイスは、こうした主観的な夢だか心象風景だかの

    2006-05-06
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    REV 2006/05/08
  • 涼宮ハルヒの溜息 - 八月の残りの日

    キョンとハルヒのラブラブな小説が読みたい、とのたまっている方々は『涼宮ハルヒの溜息』を読んでいないのだろうか。じゃなくて読むといいと思いました。なんとなれば、 http://www.tatsuru.com/diary/yogiri/yg0111.html 私たちは他人の語る理路整然とした話より、自分で作ったデタラメ話の方を信じる。 必ず信じる。 だって、それこそ「私が聞きたかった話」だからである。 逆に言えば、私たちは「自分が聞きたい話だけを選択的に聞く」。 それをさらに進めれば、「適当な断片を与えられれば、私たちは必ずそれを素材にして、自分が聞きたい話を作り出す」ということになる。 というわけで、我々の手にはすでにして必要にして十分なものが与えられているのである。具体的には、 http://www.ne.jp/asahi/yu-show/sukisuki/200310a.htm#04 な

    涼宮ハルヒの溜息 - 八月の残りの日
  • 八月の残りの日 「えいえんのせかい」?

    http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060331/p2 http://ja.wikipedia.org/wiki/ONE%EF%BD%9E%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%AD%A3%E7%AF%80%E3%81%B8%EF%BD%9E http://onegraduate.tomangan.org/about.html http://www.cuteplus.flop.jp/ncp/cpg14.html http://hp.vector.co.jp/authors/VA022256/taidan3.htm http://homepage2.nifty.com/xgamestation/text/deep/one.htm http://www.kyo-kan.net/column/eroge/eroge3.html 『ONE〜輝く季節へ〜』のアレ。 なんで

    八月の残りの日 「えいえんのせかい」?
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    REV 2006/04/03
    「「えいえんのせかい」?」
  • 八月の残りの日:人称と視点

    複数の視点があれば三人称、ではなく、人称と視点は別モノではないかと。 ちなみに私の「人称」「視点」の用法は中島梓『小説道場』に全面的に依拠しています。こちらを参照。例えば「三人称・一人の視点」は一人称に極めて近いのですが、それでも別物である、との立場をとっています。 『とらドラ!』の場合、「竜児は」を「俺は」にしてしまうと、例えば最後に竜児が目をつぶってしまったあと(p243最終行以降)の描写が、不可能もしくは極めて不自然になると思われます。竜児の視点から神の視点(「いまはまだ、この世界の誰も」知らないことを語りうる視点、「この世界の誰か」の視点では語りえないことを語る視点は、神=作者の視点と称すべきかと思われますが)への移行がなめらかに行かない。「俺は」という一人称で通すと、そのとき「俺」が見ていなかったものは、伝聞か回想としてしか登場できない。 (3/19追記) 初歩的なことだが一応。

    八月の残りの日:人称と視点
  • [novel]上月雨音『SHI-NO』 - 八月の残りの日

    不健康そうな小学生が体育座りしている! まで読んで買った。 イラストが好き。わたしゃ瞳孔系*1に弱い。 で、しずるさんが眼をキラキラさせながら猟奇殺人を追っかけてしまうタイプなら、志乃ちゃんはついフラフラと引き寄せられるタイプです。ああ志乃ちゃんそっち行っちゃダメだってば、といつも気にしてくれる男の子がいるのがよいです。男の子、というか大学生だけど。 いいかげんこういうのもバカ一なのかしら。式とコクトー、キョンとハルヒ、田村くんと松澤。ほっとくと糸の切れた凧みたいに飛んでっちまいそうな子の足を引っ張って地面に付けるのが男の子の仕事です、的な。 感想はといえば、男の子のモノローグが西尾維新的饒舌体で、殺人考察が奈須きのこ、ポエムが森博嗣、という程度。イラストとあらすじだけでそこそこ幸せ、なので別に充分ですが。 *1:「瞳孔同好会」でぐぐれ。

    [novel]上月雨音『SHI-NO』 - 八月の残りの日
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    REV 2006/03/13
  • 長谷敏司『円環少女(2) 煉獄の虚神(上)』 - 八月の残りの日

    メイゼルたんは相変わらずのド変態でした。クラスメイト(委員長・眼鏡っ娘)の泣き顔にハアハアしてるんじゃありません。 彼女にとって「好き」とはつまり、泣き顔が見たい、屈服させたい、というものですが、ならば、「好かれたい」という欲望はどのようなかたちをとるだろうか? あたしがせんせを好きなようにせんせががあたしを好きならば、せんせはあたしを屈服させようとするに違いない。 極めてロジカルに狂ってる。バロックを抱えるとはそうしたことに違いない。 それでまあ、id:crow_henmi:20051210でも指摘されていることだけれど、世界は当り前のように歪んでいて、だから登場人物は当り前のように歪んでいるなあ、と改めて思った次第です。なんかぜんぜん、いわゆる異常者の描写に気負いがないのな。 ただ、メイゼルたんのド変態っぷりだけが、周囲や武原仁やらがたまたまマトモである、というだけの理由で、ようやく目

    長谷敏司『円環少女(2) 煉獄の虚神(上)』 - 八月の残りの日
  • 『灼眼のシャナ』#1〜#9 - 八月の残りの日

    http://d.hatena.ne.jp/Pantsel/20060216#c 『シャナ』って殆どの人はシャナ萌えで見てるんだと思っていたのですが(「うるさい*3」とか「カリカリモフモフ」とか)、私の周辺が偏っているだけ?』 他所のコメント欄に書き込むには長くなりすぎたのでこっちに。 中学生ぐらいの子には普通にかっこいい世界、じゃないかと思います。紅世とか存在の力とか自分はもう死んでるとかそのへん。カリもふ如きに目を眩まされシャナに萌え萌え言っている年寄りどもは何もわかってない。俺の内部の中学生はそう叫ぶのですが、今の俺はシャナたんの背のちっこさに驚くばっかりです。悠二と頭ひとつ違くない? うわちっこいなあ! 可愛いねえ!*1 まったく、カリもふ如きに(略 そういえばmixiで俺がこんなことを書いていた。 シャナたんはアニメだといちいち悠二との身長差が意識されてなんとも可愛いのです。うわ

    『灼眼のシャナ』#1〜#9 - 八月の残りの日
  • 八月の残りの日 - 支倉凍砂『狼と香辛料』 優しくしてくりゃれ?

    地味なタイトル萌え。 今の僕には神様が足りない、ケモノ耳はもっと足りない、という事情により購入。そういうこともあります。 悪くはないんだが、うーん。 けっこう言われているが文章がひどい。読んでて頭痛くなった。あと言語感覚もかなり疑問で、語の選択にはもう少し神経を使ってもバチは当たらないように思う。なんつうか舞台の雰囲気ってものが。 そんなこんなで28ページ以降は斜め読み。そこまではけっこう読めた。 言っておくが描写は光るものがある。ジャガイモってるあたりは実にいい。そこでノミを発見してふと尻尾の話になる、というあたりのシークエンスなぞ、何気ない場面に世界設定とキャラクターの生活史の立体的な絡み合いを見せていて、もうシャッポを脱ぐしかない。あと、ホロの過去の断片的な言及も実にそれらしい。 それだけに、デカい儲け話とそれにまつわるスケールの大きな陰謀、という部分に焦点が行きがちなのが気に

    八月の残りの日 - 支倉凍砂『狼と香辛料』 優しくしてくりゃれ?
  • Kanonにおける奇跡の扱い - 八月の残りの日

    http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20051117#1132243938 Kanonの奇跡の扱いについては、DALさんが実際の記述に即したまとめを書かれていたなあ、というわけでちょっと参照しておきたい。いや上のリンク先で参照されてる拙文(http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2)はあまりに読みにくいので、補足が必要かと思うし。 なお、下は恣意的なピックアップであるので、前後の発言含めた詳細を下の「続きを読む」で読めるようにしておく。ちなみに高橋直樹氏の現在の見解は当時と違うそうです。 引用元はいまはなき某掲示板より。もちろんhttp://imaki.hp.infoseek.co.jp/200309.html#2はこれを読んで書いた。 そして、僕の記憶する限り&今DC版の栞エンドその他を確認した限り(うわぁ粘着厨)

    Kanonにおける奇跡の扱い - 八月の残りの日
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    REV 2006/01/15
    おさらい
  • 八月の残りの日 :: 智代アフター

    終わり。というかこの三日はおまけRPG三昧でしたが。シンプルな資源管理の楽しさと、とにかくアイテム名やらキャラの台詞やらが間断なく快楽を与えてきて病み付き。 それはさておき、篇について。ネタバレです。 「やっとみつけたよ」 「何を?」 「永遠を」 「それは太陽と溶け合う海だ」 というのは『気狂いピエロ』にも出て来るランボーの詩(だか書き付けだか)で、訳はとりあえずここから拾ってきた。 どこまでも続く海を見たことがある──で始まるのは『ONE』の永遠の世界であるが、やはり永遠と海は相性がいいらしい。 正直、見通しの良くなるよう整理されてしまった、理詰めの『ONE』という感がしなくもない。あと、現世的な設定の範囲でやっちゃったから、今までのが『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』だったとすれば今回のは『NHKにようこそ!』だなあというか。僕は前者の方が好みなのでなんとも困るところです。

    八月の残りの日 :: 智代アフター
  • ■ - 八月の残りの日

    http://catfist.s115.xrea.com/wiki/wiki.cgi?page=Diary%2F2005%2D11%2D01 あと、Kanonの「奇跡による救済」ってイメージは栞ルートの印象だけで作られてないかって話があって、例えば真琴は救済されてないだろうっていうことですね。俺は真琴消滅派なんですけど、それでもあれは救済なんですよ。それは「忘れられている」こと、「知られていない」ということがそれ自体悲劇だからです。「ボクのこと、忘れてください」って、そりゃできないわけですよ。佐祐理ルート見れば自明だと思うんですけど。 ええと、ここでの「奇跡による救済」ってのは一瞬のイベントとしてのそれを指すので、そうではないとはつまり「状態」の事を示す場合だってあるのである、というほどのことです。だから「救済と呼ぶべきや否や」みたいな話に繋げられると違和感を禁じえない、とは言っておく。

    ■ - 八月の残りの日
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