Cに関するSCRのブックマーク (132)

  • MSEで何をどのように聞くのか?(後半)

    診断面接は後終了まで2分に迫っているのであるが、なぜか時間の流れが遅くなっているようである。ちょうど漫画「巨人の星」で飛雄馬が消える魔球を一球投げるのに数ページを費やしたように。 ところで昨日MSEでは患者の見た目 appearance, 話し方 speech, 見当識 orientation, 記憶 memory, 知能 intelligence, 知覚体験 perception, 思考 thought, 情動 emotion, 感情 affect を調べる(またコピペをしたが、正確さを期して「知能」、も含めた)といったが、これを「精神症状」という。昨日書き忘れた。MSEとは「精神症状検査」とでも言うべきものであるが、適当な訳語はまだないと思うので、このままにしておく。時計の針がもう30分にさしかかろうというときに面接者が忘れてはならないのは、「先ほどの三つを覚えていらっしゃいますか?」

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    SCR 2011/05/06
  • 初回面接とは診断面接である

    初回面接で何をやるのか、という問いに対する答えがこれである。診断を決めること。いや実を言うと、これは正確ではない。治療方針を定めること。そしてそのために診断を確定することが最優先課題となるのだ。治療をするためには診断を下さなくてはならない、という言い方に抵抗を持つ人もいるであろう。私も昔はそうであった。「精神科の診断なんていい加減だから」、とか「いろいろな人が異なる診断基準を使うのだからあてにならない」、という意見も出そうである。診断は単なるレッテル貼りである、という考えも成り立つ。しかし診断はレッテルであったとしても、どのようなレッテルを貼るかは非常に重要なのだ。私がよく用いる表現であるが、「診断というレッテルは、貼った後はがすためにある」のである。すなわち診断とは、患者の示す多様な様相にひとつの切り口を与えてみせたに過ぎないことを自覚して行うものであり、別の視点や切り口からは別のものに

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    SCR 2011/04/30
  • 勉強嫌いの精神科医

    私は渡米した際には、基的には日の平均的な精神科医のあり方に近かったか、やや新しいものに関する勉強を怠るというタイプの医師であったと思う。すなわち「臨床はそれなりにやるが、精神医学の勉強はその質にかかわらないから、あまり必要としない」と考えていた。これは60~70年代に学園紛争の波に呑まれた一部の精神科医の間に広がっていた空気であり、私も卒後はそれに暴露されて不勉強の口実に使った。そしてそれはまた博士号をとるこ矢研究論文を書くこと、学会発表をすることへの否定的な考えにもつながっていた。 この種の空気に染まると医師は驚くほど不勉強なままに臨床経験だけを重ねていき、しかもそのことに気がつかない。私も渡米した当時は、医師として4年も経ったのだから、大抵のことは知っているであろうと思っていた。そこで当時のECFMGという試験の対策用の問題集を買い求めた。ECFMG(今は別名に変わっている) は

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    SCR 2011/04/30
  • 治療論 その3 (改訂版)  助言やアドバイスは簡単には汎化されない事を肝に銘じよ

    今日の私の話には、私の子育て体験が相当関係しているように思う。息子に小言を言うということが多くの場合お互いにとって消耗でしかないことを、私はかなり早い時期に気がついたように思う。その早い気づきは、少なくとも私のためにはなったと思うし、彼にとってもよかったと思う。(彼にとってはどうでもよかったって?そこが問題の核心なのだ。) 治療論2からの延長の意味を持つテーマである。スーパービジョンにおける助言のあり方について考えてみる。もちろんスーパービジョンにおいて、バイザーからバイジーに与えられる助言と同類のものは、精神療法において療法家から患者に与えられることも少なくないであろう。漫然と行われる精神療法は、単なるおしゃべりとあまり変わらないからね。ただし多くのまじめな療法家は、通常の精神療法において、療法家の主たる役割が助言やアドバイスであるという捉え方をしている人は少ないであろうから、ここではス

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    SCR 2011/04/10
  • 治療論 その2 (改訂版) 続き 「不可知的な現実」とは?

    私は基的に人間は自分自身のことが見えないようにできているものだと思う。いや、見えては困るのかもしれない。今を生きる、ということは自省する、ということとは相容れないのだ。 車を運転している人間は、まず運転席から見える視界に全神経を集中する。その自分の姿がバックミラーにどう映っているかなどは、当面はどうでもいいのである。なぜなら自分の車がほかの車や通行人と接触することなく、されることもなく、安全に走行できることがまず重要だからだ。 私たちが生きているということについても同様のことが言える。私たちは各瞬間にいかに痛みや苦痛を避けるかを判断し、できることなら心地よさや快感を求めつつ世界の中をナビゲートしていく。何を回避し、何を求めるかは、大抵はとっさの判断にゆだねられる。 他方その人を助手席に座って見ている教習所の教官(一応治療者、スーパーバイザーの比喩である)は、様々なことを考えるだろう。「ぎ

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    SCR 2011/04/09
  • 治療論その2 (改訂版)    直面化を促すのは、不可知的な「現実」である

    禁欲規則に関するテーマで重要なのが、では誰が患者やバイジーに、直面化を迫ったり、耳の痛い助言をするのか、ということだ。「あなたは~についての意識化を避けていますね。」というコメントや、「あなたのやったことはこういう点で問題だったね。」「ここはこうした方がよかったですね。」という直接的な助言はいかに伝えられるべきかという問題だ。いくらその言葉を飲み込んでも、いずれは伝えなくてはならない場合がある。そうでなければ治療者やスーパーバイザーとしての役目を果たしたことにはならないことにもなるだろう。 こんな例を考えてみよう。私がある患者Aさん(30歳代後半の男性、とでもしよう)と治療関係にある。彼は常にあるジレンマに悩んでいるとしよう。(ちなみにこれは創作である。私の現在のクライエントさんの誰も、自分のことを言っていると思われないような例にする。)Aさんはいつも自分の身の丈より一歩高い目標を持ち、そ

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    SCR 2011/04/07
  • 治療論 その1 (改訂版) 昨日の続き

    ちなみに「洞察や理解は別のところか訪れる」ということの意味について。私には罪悪感に関する持論があり、それは「罪悪感は、基的には『許され型』である」というものである。罪悪感に関して、精神分析では「処罰型」と「許され型」という分類の仕方をする。前者は悪いことをした時に罰せられることではじめて罪悪感が植えつけられるという考えで、後者は人に許されて初めて罪悪感が芽生えると考える。前者がフロイトのエディプス理論にたった罪悪感の生成のされ方、ということになるから、分析理論の中では常識の部類に入る。 しかしこの問題も当たり前に考えれば、後者が来の罪悪感の生成のされ方だということになる。だって悪いことをして、罰せられることで得られるのは、「こんなことをしたら、処罰されるんだ。」という学習であって、罪悪感そのものではない。(もちろん罰せられることで、自分がしたことが罪深いことであったという自覚が生まれる

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    SCR 2011/04/07
  • 治療論 その1 (改訂版) まずは「禁欲規則」について真剣に考えよ

    精神療法はいかにあるべきかについて考える際には、フロイトの「禁欲原則」について、特にその功罪について真正面から捉える必要がある。 ある高名な分析家の先生なら、精神分析の技法論には次のようなことを書くはずだ。「精神分析においては患者の願望を満たしてはいけない。すなわち患者に愛情を与えたり褒めたりすることは慎まなくてはならない。治療者は患者が見ることを避けていた無意識内容に直面化するのを手伝うことが、その分なのだ。」。いわゆるフロイトの禁欲規則 rule of abstinenceの考え方である。でもこれって、治療来のあり方だろうか?何かが違う。それが私の出発点といって言い。 この禁欲規則、どうでもいいと思っている治療者も多いが、私には無視できない問題である。というかこの問題に真剣にこだわっていない治療者は、私としては力不足の表れだといいたい。 精神分析を一生の仕事と考えていた私としては、

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    SCR 2011/04/05
  • 聖アウグスティヌス『告白』 - Gabbardの演習林

    あけましておめでとうございます。 昨年は7月頃まで断続的に更新していたものの、いったん中断し、しかし12月から発作的に再開するという気まぐれなホームページ運営となりました。おそらく今年も、昨年同様、気ままな更新になると思いますが、お暇であればご笑覧いただければ幸いです。 今年もよろしくお願いします。 アウグスティヌス(354-430)の時間論について知る必要があり、『告白』の第11巻を読んだ。(岩波文庫版、服部英次郎訳、1976年)。そこで彼は「過去」、「現在」、「未来」を区別し、この三つの時はどのように異なるのかを明確にしながら、そもそも時間とは何なのか、ということを検討しているが、この末尾に印象深い一節があった。 しかしあなた(神)のあわれみは、生命にまさるのであるから、どうであろう、(人間である)わたしの生命は分散なのである。・・・すなわち一なるあなたと多なる・・わたしたち・・・。(

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    SCR 2011/01/06
  • 子どものサイコセラピー 初心者は要注意 - ファミリー メンタル クリニック

    このブログ、心理職の方や、教師も、10人ほどは読んでいるようだ。 心理療法、カウンセリング、セラピー・・・色んな呼び方があり、色んなスクールがある。 特に、児童のカウンセリング担当者で気になることがある。 要は、カウンセリングは治療であるという当たり前のこと。 治療というのは、副作用があるという基礎の基礎を踏まえてない方がいるようだ。 副作用というのは、薬物療法だけの世界ではない。 特に、治療効果も副作用も目に見えにくい、心理療法(以下、psychotherapy サイコセラピーとする)では、注意が必要だ。 子どもの治療をする者が陥りやすい点。 木を見て森を見ず式の過ちが多い。 子どものためといいながら、保護者が子どもに対して悪影響を及ぼしていると思いがちな点。 この親がこんな対応をしているから子どもは落ち着かないのだと、短絡的な解釈。 さらには、誰が言い出したのか、親の愛情不足で子どもが

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    SCR 2010/09/17
  • 認知行動療法を活用した心理教育プログラム「大学生における精神的不適応予防に関する研究/坂本真士 及川恵 伊藤拓 西河正行」 - 裕's Object Relational World

    認知行動療法を活用した大学での学生の抑うつに対する自己効力感を高める心理教育プログラムについての研究です。CDに実際の講義で使用された資料のパワーポイントが付録でついています。 第二部では各国の抑うつ防止の取り組みと、日の先進的な学生相談の取り組みを紹介しています。日の大学で取り上げられているのは、東北大学、名古屋大学、九州大学、金沢工業大学、広島経済大学、神戸女学院とまあ妥当なチョイスです。 心理教育プログラムを実践したいと思っていたり、組織的に拡充して行くにはどうしたらよいかと考えている学生相談関係者にはお勧めの一冊です。 大学での精神保健的な予防活動というとスクリーニング・テストによる呼び出し面接か、心理教育プログラムということになっていますが、ぼくはやらないことにしています。 スクリーニングをしないのは、やっぱり呼び出されるという受け身の形からはじまる心理面接がむずかしいためで

    認知行動療法を活用した心理教育プログラム「大学生における精神的不適応予防に関する研究/坂本真士 及川恵 伊藤拓 西河正行」 - 裕's Object Relational World
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    SCR 2010/08/23
  • 100823[mz1] Pers. Individ. Diff. 49-7(臨床系) - Mochi's-Multitasking-Blog

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    SCR 2010/08/23
  • フランクルのロゴセラピーについて - Gabbardの演習林

    フランクルのロゴセラピーを把握する必要があって、彼のを4冊読んだ。みすず書房の『夜と霧』(1947)、『死と愛―実存分析入門』(1946)、春秋社の『それでも人生にイエスと言う』(1947)、『意味による癒し』に目を通した。『夜と霧』は感動的な名著だと再認識したが、ロゴセラピーについては臨床にあまり役立たないのではと感じた。 よく知られているように、フランクルはナチスの強制収容所を生き延びた。その体験の中で、人間にとって「希望」を持ち、「生きる意味」を確かめ続けることがいかに重要であるかを彼は痛感した。 この実感を基礎にして、彼は、人間が精神的な病に陥るのは「生きる意味」を喪失するためであり、そこから回復するには「意味」を見いださねばならない、という考えを提示することになった。 この考えに基づいた介入は次のようなものだ。フランクルの関わっていたある患者は、片方の足を失い嘆き悲しんでいた。

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    SCR 2010/07/03
  • カリスマの陥穽 「体験の語りを巡って(日本の心理臨床4)/皆藤章」 - 裕's Object Relational World

    「心理臨床家」は、自分自身すなわち「個」を徹底的に見つめることなくして心理臨床の実践を行うことはできない。(p.21) という主張通り、論は著者の「個」を見つめる営みから始まる。そして師である河合隼雄のコメントや自らの訓練分析の体験。著者自身のフィールドワーク巡りの話が続く。 でもほんとうにそうなのかという疑問は残る。来みつめるべきはクライアントであり、そのために自己を見つめるという順番ではないのか。 ようやく第5章で神経性欲不振症のクライアントのセラピー過程が描かれて、違和感はさらに高まる。 行動療法を受けたいといって来談したクライアントに対して、セラピストは自分の「物語」との関連性から興味を持つ。もちろんセラピストの頭の中には行動療法家を紹介するという選択肢はない。 そしてセラピーのプロセスの中でセラピストはクライアントに宣言する。「わたしが納得できなければ入院は認めない」と。過

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    SCR 2010/06/28
  • いろはに心理学ちりぬるを:それは好みの問題か

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    SCR 2010/05/01
  • 心理療法とプラセボ

    リクエストにおこたえして、とりあえずざっと拾ってみました。誰でも編集可にしてあるので、ツイートが落ちていたらぜひ追加してください。

    心理療法とプラセボ
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    SCR 2010/04/24
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    SCR 2009/12/07
  • 単純な関係にしか耐えられないカウンセラー - 裕's Object Relational World

    ふとTVをつけたら放送大学で京都文教大学の高石浩一先生が、学生相談について話していた。 学生相談で教員が評価しつつカウンセリングを行うのは多重関係で問題があるから、「専門職としての採用」が広まっているって? 大学の専任カウンセラーの身分としては以前から私立が事務系列、国立が教員系列というのは大きく変わっていない。 少なくとも国立大学では研究室移動、ハラスメントなど微妙な問題に関与するためには教員の身分がないと難しい。かつて勤めていた私学の学生相談室ではカウンセラー職は事務系列だったけれど、カウンセラーが教員とコンタクトする際は学生相談室長を通さないといけなかった。もちろん来は事務職カウンセラーであっても教員とうまくコラボできるような環境が必要なのだけど。 だからこれは事実というより高石先生があるべきと思っているファンタジーの世界。それはまぜこぜにすると聞いている学生が混乱すると思う。 ち

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    SCR 2009/10/19
  • 090805[mz1]抑制はダメで受容はイイのかをちゃんと研究してみる - Mochi's-Multitasking-Blog

    090805[mz1]-1 emotion regulation; suppression; acceptance The consequences of effortful emotion regulation when processing distressing material: A comparison of suppression and acceptance リンショーの世界では,(不快)情動の抑制suppressionはあまりよいことではなく, 受容acceptanceするというのがトレンドで(この論文では'zeitgeist'で), ACTとかDBTとかMBCTとかいう技法が開発されてきている。 でもそれは当なの?実証的に検討してみましょう,という論文。 EDAやHRなどの生理指標までとっているし, 直後の効果も長期的な(1週間)効果もとっている。もりだくさん。 →おお

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    SCR 2009/08/05
  • 『患者さんに離婚を勧めてはならない』

    まだ研修医のことだが、オーベンから「患者さんに離婚を勧めてはならない」と言われたことがあった。この話を聴いたのは、たまたまある女性の精神科医が患者さんに離婚を勧めたと言う話が出てきた時である。 彼は「若くない独身女性精神科医が離婚を患者に勧めるのは結婚したことがないからだろう」などと話していた。つまり患者さんが結婚しているという環境があまり良くわかっていないのと、独身の自分は気楽なのになぜそんな苦労をしているの?という疑問が湧くので、そのようなアドバイスになるのかもしれないと言う。 つまり独りよがりな対応なのである。 また、「精神科病院に受診して、そこのドクターから離婚を勧められた」というのは洒落にならないと言う。精神科医は患者さんの調子の悪い時に、重大な決断を患者さんにさせるのは避けるという定石もあるからだ。 まあ、当時は「家」の考え方が今と少し違う上に、離婚後の世間の見方も今と異なって

    『患者さんに離婚を勧めてはならない』
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    SCR 2009/06/30