ブックマーク / satoshi.blogs.com (58)

  • アップルはテレビ業界の黒船になりうるか

    ファイナンシャル・タイムズの Japanese TV manufactures admint defeat という記事で取り上げられているが、ソニーとパナソニックがほぼ同時にテレビ事業の縮小をアナウンスした(これに関しては来週号のメルマガで少し解説する)。 それと同時に盛り上がってきたのが、アップルがテレビ市場に参入するという噂。普通に考えれば、「コモディティ化が進み、利益を出す事が難しくなっているこの市場に、何でいまさら?」となる。 特にアップルは価格競争を徹底的に避けて高付加価値商品に特化してきたからこそ、40%近い粗利を維持し続けてこれたわけで、この路線から外れてまでテレビ市場に乗り出す意味は全くない。 「アップルはソフトウェアで差別化できるから」という意見もあるが、それならばテレビ体には手を出さずに Apple TV のみを進化させれば十分なはずである。 そこから類推するに、もし

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/11/05
    最終的に狙うのは放送革命。
  • アートで表現した放射性物質

    福島第一から環境中に放出された放射性物質をアートとして表現した作品がネットで公開されていたのでここで紹介する。Harry Kent というタスマニア大学(オーストラリア)でポートレイトを使った「表現」の研究をしている人の作品で、詳しくは彼のブログを見ていただきたい。 下のサムネールは、左からヨウ素131、セシウム137、ストロンチウム90。作業員の防護服と空気中にただよう放射性物質をモチーフにしたインパクトの強い作品だ。

    アートで表現した放射性物質
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/10/23
    作業員の防護服と空気中にただよう放射性物質をモチーフにしたインパクトの強い作品。
  • TPPを「のび太とジャイアン」の関係で説明してみる

    TPPに関しては、日の輸出産業の発展のためには入るべきという賛成論と、日の農業を守るために入るべからずという反対論の二極化で議論が進んでいる。このまま行くと、中身の議論のないままに時間切れでアメリカに押し切られる形でTPPに参加表明をする、といういつものパターンに陥りそうないやな予感がする。 TPPであれ何であれ、多国間協議に参加するのであればイニシアティブが取れるポジションを取らなければ意味がない。二国間のFTAであれば「ここは譲るけどこれは絶対に譲れない」などの交渉がまだ可能だが、TPPという多国間協議の場に単なる「one of them」として参加した場合、「多数決で決まったから」と無理難題を押しつけられても文句は言えない。 日の外交の一番の問題は、「おひとよし」であること。あれだけの金を出しながらも国連で常任理事国になれないのは、「常任理事国の座をくれるまでは金は出さない」な

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/10/21
    参加するとしたらどんな立場で参加するのか、いざ参加したらちゃんと交渉できるのか。
  • Life is beautiful: 言語・ローカルビジネスに対応した Siri の実力

    にもすでに iPhone 4S を入手した人は沢山いると思うが、日語のSiriは来年まで待たなければならないそうだ。そこで今日は、その時になればどんなことが実現されるのかの予告編として、米国(シアトル)での使い心地を電話帳を中心に実例で示してみる。 まずは、"Japanese Restaurant(日レストラン)" と言ってみる。 近いところにある日レストランを教えてくれる。レストランを選んでタップすると、地図上にレストランが表示され、そこから道順を調べたり、電話をかけることができる。 つぎに、"Call Japanese restraunt (日レストランに電話して)"と言ってみる。 同じく近くのレストランが表示されるが(なぜリストが異なるかは不明)、今度はレストラン名をタップすると、地図には飛ばずに、直接電話してくれる。とても便利だ。 そこで "Direction t

    Life is beautiful: 言語・ローカルビジネスに対応した Siri の実力
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/10/17
    これまでこの市場はGoogleのほぼ独占状態だったことを考えれば、競争が生まれることは消費者としては好ましい限り。
  • なぜ日本では「市民運動」が格好ワルイいのか?

    原発事故以来、色々なことを考えているのだが、その一つが「なぜ日では民意がなかなか反映されないのだろう」ということ。泊原発の再稼働容認が典型的な例。これだけ多くの人が反対しているのにも関らず(参照、参照)、必要だったはずのストレステストもなく、原子力安全委員会の形だけの二重チェック(参照)で北海道知事の再稼働容認となった。 「政治家が票集めで忙しくて実際に国を運営しているのは官僚」「官僚の業界への天下りが官民の癒着を生み出している」「マスコミはスポンサーに不利になることは報じない」などの政府やマスコミにも大きな問題があるが、国民側にも若干問題があると思う。うまく表現するのは難しいのだが、 政府は「お上」であり、市民運動とは「お上にたてつくこと」に相当する という江戸時代から続いているメンタリティが根っこのどこかにあるのではないかと思う。それが「市民運動=左翼活動」というイメージを固定化させ

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    SasakiTakahiro 2011/08/19
    政府は「お上」であり、市民運動とは「お上にたてつくこと」に相当するという江戸時代から続いているメンタリティ。
  • すべてがクラウドになるとファイルという概念さえなくなる

    私が漠然と感じていたことを上手に表現してくれているブログエントリーを見つけたので紹介する。 There Will Be No Files In The Cloud すべてが当の意味でクラウドに移動した時には、ファイルという観念が不要になるのでは、という話。Dropboxの提供しているような「クラウド型ストレージサービス」というのはデスクトップからクラウドへシフトする段階での過渡的なものでしかなく、行き着く先はGoogle Docsのようの形だ、というのが筆者の主張。 デスクトップ・アプリというものがあるからこそ、ファイルという概念が必要であり、アプリケーションすらクラウド上のウェブアプリケーションになれば、ドキュメントの共有はリンクを渡すだけで良いのでファイルは不要だという話。 確かに、この「ブログ・エントリー」も実体は「ファイル」ではなく、データベース上のレコードでしかないわけで、それ

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    SasakiTakahiro 2011/08/12
    アプリケーションすらクラウド上のウェブアプリケーションになれば、ドキュメントの共有はリンクを渡すだけで良いのでファイルは不要だという話。
  • パーソナルメディアとキュレーションと

    私がブログを格的に書きはじめたのは2004年からだが、当時はブログに代表されるパーソナル・メディア(もしくはソシアル・メディア)がこれほどの影響力を持つ物に成長するとは想像もしていなかった。エジプトやリビアでの革命はまさにそれを象徴する出来事であり、「独裁政権が情報のコントロールにより政権を維持する」ことはもはや不可能に近いと言える。 そんな中で私が注目しているのは、まぐまぐとBLOGOSである。 まぐまぐの方は私自身がメルマガを始めたこともあり(参照)、別途その意味するところを詳しく書いてみたいと思うが、メルマガというある意味で「枯れたテクノロジー」がパーソナル・メディア時代のコミュニケーション・ツールとして再浮上して来た、というのは非情に興味深いと思う。 BLOGOSのホームページには、「200万人が読む、ウェブ上の論壇紙」と書いてあ。実際に見てみると、原発事故、円高、政局、などのホ

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    SasakiTakahiro 2011/08/11
    パーソナルメディアは「キュレーターたちによって、情報過多の問題が徐々に解決され始める」という第二フェーズに。
  • 東京新聞に見るジャーナリズムのあるべき姿

    今回の原発事故に関して、政府や東電からの発表が信用できないだけでなく、テレビ・新聞などの大手マスメディアの記事にもかなりバイアスがかかっていることが明らかになって来た。特に読売と産経の「経産省より、経団連より」のバイアスは目にあまるものがある。 こんな状況だから、今回の事故ではブログやYoutubeなどのパーソナル・メディアが情報源として多いに役に立ったと感じている人も多いとは思うが、これはこれであいかわらず玉石混淆であり、その中から信頼できる情報や意見を選び出すことは簡単ではない。 先日も、「福島第一原発の敷地。敷地内の土地のあちらこちらにヒビ割れが生じていて、そこから高温のどす黒い湯気が噴き出しているそうです。」というデマが流れていたが、パーソナル・メディアのみに頼るとこの手のデマに惑わされる危険があるのが難点である。 となるとやはり一時情報として頼りたくなるのはマスメディアだが、その

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    SasakiTakahiro 2011/08/06
    どちらの側にも立たずに、きちんと事実関係を捉えて記事・社説を書いている。
  • 「強制避難区域」はどこまで広げるべきか?

    文科省が放射線等分布マップというのを公開しているが、別紙6の地図を見ると、汚染地域がかなりの広域に広がっているのが良く分かる(30キロ圏を超え、皮肉にも米国が事故当日に避難勧告をした80キロ圏まで広がっている)。 ピンク色の線で囲まれた地域が空間線量3.8μSv/h (年間20mSv)を超える「計画的非難区域」だが、これだけでは全く安心できないというのが実情だ。 チェルノブイリでは年間5mSvの地域が強制退去になったこと、日の法律でも年間5.2mSv以上の場所は「放射線管理区域」に指定され、放射線を扱う専門家およびその施設で働く人のみが立ち入ることが許されている領域だということは、多くの人が知るところ。地図で緑色のドットの地域がそれにあたる。 子供を持つ人たちが「国はそんな危ない地域で子供を育てろというのか」と怒るのももっともだ。 福島でボランティア活動をしている知り合いによると、そんな

    「強制避難区域」はどこまで広げるべきか?
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/08/05
    汚染地域がかなりの広域に広がっている(30キロ圏を超え、皮肉にも米国が事故当日に避難勧告をした80キロ圏まで広がっている)。
  • 311が終止符を打った「反原発=左翼」の図式

    では、3月11日を境に色々なものが大きく変わったが、そのうちの一つが「反原発=感情的な共産主義」「原発推進=理性的・合理的な経済発展重視主義」という図式。 そもそもなぜそんな図式ができてしまったのかというだけで一冊のが書けそうな話だが、冷戦時代の「反核=反米=新ソ=共産主義」という図式が根底にあることは確か。それゆえに「反原発派」の人たちの発言に真剣に耳を傾けて来なかった私のような人間がいるのも事実。 しかし、3月11日を境にちゃんと勉強してみると、「理性的・合理的」だったはずの原発中心のエネルギー政策が、実は欠陥だらけだったことが次第に明らかになり、「理性的・合理的に考えれば考えるほど原発には賛成できない」となったわけである(参照)。 その意味では、3月11日以前から自民党の中で使用済み核燃料の問題を正しく指摘していた河野太郎は高く評価している(参照)。6月15日の東洋経済にインタ

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    SasakiTakahiro 2011/08/04
    3月11日以降、「理性的・合理的に考えれば考えるほど原発には賛成できない」となった。
  • 311とパーソナルメディア

    小出裕章氏の有名な言葉、「3月11日を境に、世界は変わったのです」というのは「福島第一原発での事故でこれだけの放射性物質がばらまかれてしまった以上、ある程度の被曝を容認しながら生きて行かねばならない世の中になってしまった」という意味。 長年、反原発運動を続けていながら、福島第一の事故をい止めることができなかった小出さんの無念さが伝わって来る。それもこれも、私も含めた大部分の日人が彼らの主張にろくに耳を貸してこなかったことに原因があり、私自身とても反省している。 そして、それと同時に大きく変わったものがもう一つある。国民のメディアに対する考え方である。 ひと言で言えば「政府公報と大手マスコミの信頼度が地に堕ち、今までテレビや新聞を主要な情報源としていた人たちまでが、マイナー・メディアとパーソナル・メディアからの情報に真剣に耳を傾けるようになった」である。 私のブログも、より多くの幅広い層

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/08/01
    今後の市民メディアは生命の進化と同様、なだらかに進むというよりは偶発的な出来事を弾みとして段階的に拡大していく。
  • 原発は経済活動にとってのドーピング

    福島第一原発の事故で原発の安全神話が崩壊して以来、多くの日国民が「原発はなくせるものならなくしたい」と感じている。問題はこの「なくせるものなら」という部分。特に読売新聞や産經新聞などの「親原発メディア」が、「原発なしでは来年の夏は乗り切れない」「再生可能エネルギーだけでは日の経済の発展はありえない」などのメッセージを送り続けているため、「そうは言っても原発なしでは無理なのかも」と感じはじめている人たちも少なくはない。 そんな中での、菅首相の「脱原発依存宣言」は、私たち自身に「日をどんな国にしたいのか」「私たち国民にとって何が大切なのか」を考える絶好の機会を与えてくれたと言える。「延命のための人気とりだ」「退陣を表明した総理が何を言っても意味がない」などと質的ではない批判をする前に、「脱原発依存」とは私たちの将来にとってどんな意味を持つのかをしっかりと理解した上で、「脱原発依存」とい

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    SasakiTakahiro 2011/07/29
    ドーピング(=原発)により記録(=GNP)を延ばした日本。しかし、薬物依存(=原発依存)のために体(=国土、国民の健康)が少しづつ蝕まれて行った。
  • 各地方自治体が脱原発宣言をして国政を動かすというのも面白いかも知れない

    今回の福島第一での原発事故を受けて、ドイツ・イタリアなどのヨーロッパの国々が、国民の声を反映して(もしくは国民投票の結果)脱原発を宣言している。日でもようやく菅首相が「脱原発」宣言をしたが、まだまだ政府内の調整も取れてはおらず、安心はできない。 日の電力会社およびそれを取り巻く電力・原発利権関係者の影響力は計り知れないほど強く、首相が宣言し、国民の多くが望んだとしても必ずしもかなうものではないのが、「先進国の中で最も民意を反映しない国」と他の国から揶揄される日の悲しさである。 何か良い方法はないものかと思案している時に目に入ってきたのが、福島県の脱原発宣言(参照)。これはとても興味深い。引用先で書かれてある通り、大切なことは何もかも霞ヶ関で決めてしまう日では、「原発立地の自治体が脱原発を掲げたのは聞いたことがない」というのも事実。 大阪府も既に脱原発宣言をしているのに近いし、こうな

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    SasakiTakahiro 2011/07/18
    依存から自治へ。
  • 菅首相はなぜ色々と重要なことをとうとつに発表するのか?

    ここのところ、浜岡原発の停止要請、ストレステスト、脱原発宣言、と色々と重要なことをとうとつに発表する菅首相。「党内の意思の統一ができていない」「政権維持のための人気取り」「思いつきで記者会見をしている」などの批判の声が多く聞かれるが、これに関しては、先日のテレビで古賀茂明氏(国民の負担を最小限にする東電の破綻処理の方法を提案した結果、退職勧告を受けてしまった経済産業省の人)がとても納得の出来る説明をしていたので(参照、参照)、私なりの解説をしてみる。 分かりやすく言えば、菅首相は東電(=原発推進派)相手のオセロゲームをしているのである。脱原発の菅首相が白、あくまで原発推進の東電が黒。オセロ盤の外にいる国民の多くは白(つまり脱原発)を応援しているが、選挙の時以外は盤面の外にいるので何もできない。盤面の上には、電力会社と政治家はもちろんのこと、経産省の官僚、原子力関係の学者、経団連に属する大企

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    SasakiTakahiro 2011/07/15
    菅首相は東電(=原発推進派)相手のオセロゲームをしているのである。脱原発の菅首相が白、あくまで原発推進の東電が黒。
  • 菅直人 vs. 経済産業省の戦いが壮絶になって来た

    福島第一原発での事故以来、私も含めてあまり一般の人たちに知られていなかった数々の問題点が見えて来たわけだが、一番注目すべきなのは、今回の事故の、そして事故後の政府と東電の対応のていたらくの諸悪の根源は東電でも管政権でもなく、霞ヶ関の官僚たちだ、という事実である。 そもそも日の原発を中核においたエネルギー政策は、米ソの冷戦時代に、日国民の「反核」感情が「反米→共産主義」という方向に傾きかけたとき、米国が「毒をもって毒を制す」と読売新聞の正力松太郎を利用して日の世論をコントロールして無理矢理押し付けたもの(参照)。「保守=原発推進、革新=反原発」という日特有の図式が作られたのもその時期だ。 最初は政治指導で原発を押し進めて来た霞ヶ関の官僚たちは、少しづつ「天下りの甘い罠」に陥り、電力業界と癒着し、星の数ほどの「天下りのための原発関連法人」を作り、「いまさら原発を辞めたら自分たちの将来が

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    SasakiTakahiro 2011/07/08
    経産省の権限を抑制できれば、菅の勝ち。その前に原発が再稼働してしまったり、早期の「菅おろし」が成功したら官僚の勝ち。
  • ホリエモンを有罪にしておきながら、この東電の粉飾決算を見逃すことは許されない

    毎日新聞に「福島第1原発:東電が政府側に渡した文書の全文」という記事が載っているが、それを読んで少し驚いた。まさに東電と保安院がどんな形で、情報の隠蔽(正確には「原発事故の意図的な過小評価」)をしてきたかが良くわかる確固たる証拠だ(こんな文章が表に出る様になっただけ、日も捨てたものではない)。 とくに驚愕なのは、以下の部分。 (1)地下水の遮へい対策は、馬淵補佐官のご指導の下、『中長期対策チーム』にて検討を進めてきているが、「地下バウンダリ(発電所の周りに壁を構築し遮水するもの)」は現在、最も有力な対策と位置づけ。ただし、対策費用は現状不確定であるものの、今後の設計次第では1000億円レベルとなる可能性もある。 (2)今回の検討の過程で、政府側から国プロジェクト化の示唆(当初は国交省予算)があり、その前提で、設計着手と工事着工の前倒し案が浮上。ただし、現状では、担当府省がどこになるかも含

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    SasakiTakahiro 2011/06/28
    大企業の粉飾決算に比べれば、ホリエモンのそれはパウダー決算のようなもの。
  • 「ガラパゴス問題」に対する少し前向きな一考察

    昨日の「日のケータイが『ガラパゴス化』した当の理由」には沢山のコメントをいただいたが、その中には、「じゃあ、日はこれからどうすれば良いのか」という質問があったので、私の考えを少し書いてみる。 まず、ケータイやテレビのように消費者向けのデバイスを作るのであれば、世界規模でビジネスをすること以外は考えない方が良い。先のエントリーで書いた通り、日の携帯メーカーは、単に「ソフトウェアの開発能力・デザイン・おもてなし」で負けているだけでなく、ビジネスの規模の違いから、部品の調達コスト・製造コストでAppleに大きく引きはなされているのだ。「悪かろう高かろう」では勝てるわけがない。 もし、日のメーカーがAppleやSamsungと気で戦おうとするのであれば、(1)コスト面での徹底的な合理化をはかり(役員のお抱え運転手を廃止する、年功序列で給料だけが高くなってしまった人たちに辞めてもらう、系

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    SasakiTakahiro 2011/01/01
    「ガラパゴス状態であるからこそ、世界にない進化をとげた技術・商品・サービス」に目を向けて、それを本気で海外でビジネスとして展開すべき。
  • 日本のケータイが「ガラパゴス化」した本当の理由

    「ガラパゴス」という言葉が今年の流行語大賞の候補に選ばれたということを聞いていたので、密かに受賞しないかと期待していたのだが、残念ながら大賞は逃したようだ(もし大賞に選ばれていたら、私が受賞することになったのかどうかの疑問はこれで解けずに終わってしまった)。しかし、この言葉をずいぶん前から使っている私としては、この言葉が一人歩きしているようでなんとも言えない気持ちなのでひと言。 まず最初に断っておくと、私が2001年のCTIA(米国の携帯電話業界で一番大きなカンファレンス)のスピーチでこの言葉を使った時は、単に日という「単一民族で、国民の大半の生活レベルが同じで、家電とか携帯電話のようなガジェットに流れるお金が比較的多い」という特殊な環境で、iモードを中心に「ケータイ・ライフスタイル」が異常なスピードで進化をとげていることを表して、「ガラパゴス現象」と呼んだだけのこと。決してネガティブな

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    SasakiTakahiro 2010/12/30
    日本の携帯電話メーカーが今の窮地に陥ったのは、iPhoneが登場する以前の、2000年代前半の経営判断のミスにある。