このblogはどうでもいいことを書いてるわけであるが、朝青龍が引退するらしい。相撲なんてどうでもいいので、これには触れておかにゃ。もちろん朝青龍のファンじゃないし、それ以上に嫌いでもない。それなりに偉い人という認識はあった。相撲自体は見たこともないし、どうでもいい。貴乃花あたりよりは、ネイティブでないのに日本語が達者なのは、相撲をする以上、まあ当然だろう。けっこうCMに出ていたのはタレント性もあったんだろう。特に、体調が不十分にも関わらずチャリティ・サッカーに参加したというので、その人柄には好意的になった。 その朝青龍が引退すると聞いて思ったのが「なぜ?」だ。時津風部屋がいまだにあるのに。時津風もイマダジッケイタリエズで保釈中らしい。
知人の便りを風に聞いた。 ● あるひとは、東欧のひととおつきあいをしている。彼女をよく知る友人が聞いた話によると、お相手の故郷の小さな村を訪れた時、村の人たちが総出で彼女を見に来たのだそうだ。皆さんニホンジンを見るのは初めてだったらしい。彼と結婚するなら、彼女はムスリムに改宗しなければならない。彼女は、どうしようかなあ、と笑って話していたという。 ● あるひとは、東南アジアで暮らしていて、現地のひととおつきあいをしている。結婚を前向きに考え、まずお試しとしてあちらの実家で短期間暮らした。彼のご家庭もムスリムだけれど、彼女の立場を理解して、宗教的なことは強制しないと言ってくれるという。「でもね、」と彼女は笑う。「ラマダンは宗教行事だと思っていないのよう。私もしなきゃいけないって言うのよう」 だから彼女はラマダンの時期、職場でこっそりご飯を食べる。日系企業で働いているから、同僚もみんな似たり寄
金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、食いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古
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