2月末にこのような記事が反響を呼びました。 「正しく怖れよ」な人には水を引っかけちゃいな この記事の比喩に対して不適切という声が多数ありましたが、僕が気になったのはそこじゃないんですね。比喩というのは、“わかりやすく”するために出すもので、適切かどうかはさほど重要でない。 それよりも問題なのは“比喩なのにわかりにくい”ということ。まず「指の入ったラーメンを出した店員」は現実において誰なのか?ということ。放射性物質をまき散らしたのは国と東電に責任があることはいまさら議論の必要があるとは思えません。そういう意味では店員=国や東電であるならば一応理解できます。しかし、正しく怖がれと言っている人は国や東電ではないですよね?僕が記憶している中では、「正しく怖がれ」というフレーズを使いだしたのは菊池誠氏あたりが去年の夏ごろから使い始めたと記憶しています。しかし、菊池氏は原発推進に加担していたわけでもな