科学ちょくちょく「科学も宗教のようなもの」だとか「科学を信じるのも信じないのも自由」というような書き込みを見かける。本当に科学は宗教の一つなのだろうか。 結論からいえば、それは間違えすぎるほど間違っている。科学は宗教ではないし、宗教は科学と比べられるような同じ土台にすら立っていない。 宗教に不可欠なもの 宗教に不可欠なもの、それは信仰だ。 例えば、あなたがキリスト教徒だとしよう。あなたは敬虔な信者で、教義も神の存在も信じている。それゆえに、あなたにとって神は真実であり事実でもある。だが、キリスト教徒のあなたにとってイスラム教はどういうものだろうか。異教だろう。そしてもちろん、イスラム教を信仰しはしないだろうし、その教義も神も信じないはずだ。 ところが、イスラム教徒にとっても同じ状況ができあがる。あなたがイスラム教徒だとすれば、その神を信じるし、当然キリスト教は異教で信仰の対象ではない。キリ
科学「科学好きのために」連載の第1回です。今回はタイトルにもあるように「なぜ日本では楽しみとしての科学が定着しないのか」ということをサブテーマにして考察していきます。この記事は科学者、科学ジャーナリスト、科学好きのいずれにも広く読んでもらいたいです。 そもそも日本で「楽しみとしての科学」が定着しているのかしていないのか、あるいはしつつあるのかしたことがあるのか、僕には分かりません。しかし、個人的な感覚では全然定着していないように感じています。もちろん属するコミュニティや友人関係によってこの感覚は違うと思いますが、定着していないということを仮定して進めていきます。仮に定着しているとしても読んで無駄にはならないことを書いていきますので、ご安心を。 さて、最初は「楽しみとしての科学」の現状を把握することにしましょう。日本の現状と、欧米、特にアメリカの現状を比較してみます(ときどきヨーロッパ代表で
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