小学生の作文のようなタイトルですが、まったくそのとおりの内容の記事なので許してください。『キラキラ☆プリキュアアラモード』第25話を観て考えたことをつらつらと書きます。この記事は「いかにして25話を好意的に解釈し整合性を見いだすか」という趣旨のものではありません。ちなみに仮題は「弔辞」でした。 はじめに表明しておきたいことがあります。 あらゆる解釈は世界に許されているので、個人の主観において解釈違いに陥ること及びそれを表明することを恐れる必要は(差別的なものでない限りは)ないとわたしは考えています。複数の解釈の乱立(これらは常に並列である)はこの世界のまったく正常な状態です。 そして、創作物を鑑賞する態度にも優劣はありません。ときめいてそれでおしまいでもいいし、できる限り考察してもいい。好意以外は発信しないという意志を持っていてもいいし、悪感情を分析し発信してもいい。あらゆる感想やその表明