5月はじめ、福島県会津若松市の避難所に1週間勤務した。 3月11日に東日本で地震があり、被害のひどさをテレビや新聞で知った。 東京方面の友人たちは帰宅難民になったり、職場が被災したりといろいろな被害を受けていた。私は、飲み会や遊びの予定がなくなったり、あるいは関西は元気に過ごさないと!と言ってあえて実施してみたりした。 でも、一番被害のひどかった東北地方には、私の家族や、親戚や、親友なんかはいなかった。そもそも1回くらいしか訪れたことがなくて、なじみがなかった。1か月たって、テレビ番組も元に戻り、関西で節電しても意味がないと報道され、毎日の生活は何の不足もなく、日に日に地震のことは他の国で起こったことのように遠くのできごとになっていった。いや、もともとそうだった。 震災後すぐに、医療関連の、また図書館関連の災害対策ボランティアチームなんかが、何か役に立てることはないかと動き出していた。私も