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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (33)

  • いわゆる「ボーイズクラブ」問題に寄せて - 過ぎ去ろうとしない過去

    昨年三月頃に明らかとなった呉座勇一氏による誹謗中傷事件の被害者に対して、これまで見るに堪えない激しい二次加害が行われている。その件に関して、考えていることをここでいくつかコメントしておくとともに、ジェンダーや他の差別問題に対してバックラッシュを行い、学問研究の風通しを悪くさせている醜いボーイズクラブ文化が一刻も早く消滅することを願っている。 被害者に対する二次加害は問題が発覚したときから続いていたが、それがより激しくなったのは、呉座氏の処分が明らかとなり、それが訴訟問題へと発展したときからだ。 呉座勇一氏によれば、彼は昨年一月に常勤職への昇格の内定を日文研から受け取っていたが、三月の誹謗中傷事件ののち再審査が行われ、内定が取り消しになったという。また呉座氏はかかる事件について一ヶ月の停職処分も受けている。呉座氏は自身の行いや考え方が誤りであったことは認めつつ、この「処分」は不当に重く、また

    いわゆる「ボーイズクラブ」問題に寄せて - 過ぎ去ろうとしない過去
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    a-lex666 2022/01/22
  • 『あいちトリエンナーレ2019』における「平和の少女像」弾圧事件について - 過ぎ去ろうとしない過去

    国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』のプログラムの一部「表現の不自由展・その後」では、日国内の公立美術館などで表現弾圧を受けた作品、たとえばヒロヒト(昭和天皇)の肖像画を燃やす映像などとともに、「平和の少女像」が展示されていました。この「平和の少女像」に対して、河村名古屋市長などの政治家を中心に展示を取りやめよというクレームが相次ぎ、2019年8月3日、主催者は急遽、プログラム自体を中止にすることを発表しました。 これは大きな事件です。2019年8月3日から日国内では、戦時性暴力を告発することが禁止になったのです。ついでに「表現の自由」も死にました。正確にいえば「表現の自由」に対して何度目かの死亡確認が行われました。かわりに日国内においては、「日人のお気持ち」という概念が最上位に置かれます。ちなみにこの「お気持ち」の中には、ヘイトスピーチやセクハラに対する不快感は入っていない

    『あいちトリエンナーレ2019』における「平和の少女像」弾圧事件について - 過ぎ去ろうとしない過去
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    a-lex666 2019/08/04
  • 「反ヴィーガニズム」問題について - 過ぎ去ろうとしない過去

    5月に入ってから、twitter上ではヴィーガンを攻撃するようなツイートが、目立って増えてきている。なぜ突然そのような現象が起きたのか。一説では、まとめサイト(アフィリエイトサイト)における仕掛けがあるという。 話に聞いたところ、反ヴィーガニズム、どうやら匿名掲示板、アフィブログ、Twitterが連動して盛り上げてるみたいですね。 特に匿名掲示板では3月中旬から同じIDで立てまくってるやつがいる、と。 アンチフェミなどと同様で、恣意的な流れを作って誘導してる輩がいるようで。 — 孔悠鬼 (@kongyouguai) May 20, 2019 真偽のほどはさだかではないが、たとえきっかけがまとめサイトのアクセス数稼ぎにあったとしても、けして彼らを「アフィブログに釣られた情弱」とバカにしてはいけない。むしろ日twitterにはヴィーガンに対して進んで攻撃的な態度をとるようなユーザーが潜在的に

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    a-lex666 2019/05/28
  • 無縁なるフレンズ - 過ぎ去ろうとしない過去

    けものは居てものけものは居ない――だが、「けもの」とは「のけもの」である。 ワーウルフ、すなわち人狼の伝説は、ネウロイ人――かのイキリ軍事オタク御用達のアニメにおいて、それが敵対者として刻印づけられた名前であるのは示唆的であろう――に関する記述として、既にヘロドトスの時代から知られていた。一方、中世において人狼は具体的な人間の形象を取る。すなわち、彼らは非人間つまり教会や共同体の裁判において追放された「のけもの」たちのことなのだ。 近代国家は暴力を独占するが、中世の国家はそうではない。自力救済が当たり前だった時代で、共同体は罪ある者とされた人間に対するいっさいの保護を停止し、排除する。すなわち「縁を切る」。排除された人間に対しては、生命を奪うことを含め、何をしてもよいのである。何となれば、「のけもの」は人間ではなく、「けもの」なのだから。 共同体におけるあらゆる権利を剥奪され、「のけもの」

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    a-lex666 2017/09/27
  • 弾圧と大衆運動 - 過ぎ去ろうとしない過去

    5月28日、経済産業省の前で抗議行動を行っていた3名が、警察によって不当にも逮捕された。ある公官庁が関わる社会問題に対して市民が当該官庁の前で直接抗議を行うことは、憲法により保障された市民的権利の一部であるし、その際、抗議者が敷地の境界線を超えたかどうかという些細な事実は*1、市民の身体的自由を侵害するに足る正当な理由にはあたらないことは明白である。これは政治弾圧である。 したがって、このような極めて深刻な市民的権利の侵害に対して、救援会を中心に多くの人々が不当な逮捕を行った当局に対して抗議を行い、逮捕された3名の支援に尽力しているのは当然である。ところが、それにも関わらず、あろうことか弾圧の被害者である逮捕された3名に対してバッシングを行う市民も一定数いるのである。当局がやることなすことすべて正当化し、政治的な抵抗者を嘲笑する権力の犬と呼ぶしかない人々についてはもはや論ずることはない。問

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    a-lex666 2015/06/01
  • 国旗・国歌に対するリベラルな解答 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080327-OYT1T00837.htm http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya032703.htm 教育法が改正されたせいもあってか、最近愛国心教育をしなければならないという声が強い。だが、その愛国心の中身のほうはいまだ不明である。愛国心教育の支持者に愛国心とは何ぞやと問うてみても、愛国心はけして軍国主義のことでは無いのであって脊髄反射のように反対する左翼は……と左翼批判をはじめるばかりで肝心の愛国心については答えてもらえない。 同様のことは国旗・国歌問題についても言える。国旗・国歌は尊重すべきだという人に理由を問うと、国旗・国歌が国家を象徴しているからだという。だが、ではその国家とは何かと問い返すと、国旗・国歌を尊重しない教師は反日であると繰り返すのみで

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    a-lex666 2013/12/28
  • 大空と大地の中で――あるいは銀翼のファム - 過ぎ去ろうとしない過去

    ―ここにもまた神々がいて、統治したもう。神々の尺度は偉大である。だが、とかく人間は自身の指尺によってそれを測りがちである ―ヘルダーリン ある有名なトリビアに、「料理研究家の服部幸應は調理師免許や栄養士免許など一切の調理にかかわる免許・資格を取得していない」というものがある。理由は単純で、そうした免許や資格の創始者が彼自身だからである。ある秩序を基礎づける力は、秩序の外にあるのである。この普遍的な、しかし説明しがたいアポリアは、長年人類を悩ませ続けてきた。国家の支配とはいったい、何において正統化することができるのか?ある公法学者は、それを取得にあると考えた。古代ギリシア語で法をあらわすノモスは、取得・分配・放牧をあらわす動詞ネメインから来ている。大地の始原的な取得・分配・放牧から、国家の支配と国際秩序は基礎付けられる。 「ラストエグザイル」の世界における「エグザイル」とは、空にうかぶ宇宙船

    大空と大地の中で――あるいは銀翼のファム - 過ぎ去ろうとしない過去
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    a-lex666 2013/06/26
    自然は真空を嫌う/エクシリーレは「痩せた、貧しい」を含意/ラ・プータに生きる人々は「大地」からの収奪により生き永らえ、簒奪は物語により自ら隠蔽される。ノモスはピュシスを忘れさせ、大地に復讐されるだろう
  • 東擁護者が覚えておかなければいけないたった一つのこと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東理論は思ってるほどみんな前提にしていないからそこに対しては謙虚であれ 常識的に言って「大きな物語の終焉」というポストモダンの前提すらこの社会においては共有されていないんだから、まして「島宇宙化」*1みたいなそれこそ「島宇宙」でしか通用しない社会理論を持ち出して、自分の知らない分野のさまざまな問題を無神経に踏み荒らすのはやめましょう。 確かに「島宇宙化」って言えばそれこそマルクス主義のようになんか社会のいろいろなことが説明できた気になるから濫用したくなる気持ちは分かるし別にそれがダメとは言わないけれど*2、でもその理論は少なくとも日の一批評家と彼の信者、その周辺の人々しか前提にしていないのだ、ということを踏まえて、「誠意をもって」他の分野の事象に対しては発言しましょう*3。 *1:宮台のタームらしいんですが、http://blog.sakichan.org/ja/2008/12/15/n

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    a-lex666 2013/02/15
  • エトス・ノモス・福島 - 過ぎ去ろうとしない過去

    福島第一原子力発電所(フクイチ)の事故から早2年が経とうとしている。「国民」は次々と新しいニュースに沸く。やれ中国から有毒ガスが飛んでくる、朝鮮の核実験によって放射能が飛んでくると他国への排外感情を満たし、核実験などと比べ物にならない多大な放射能がつい最近この国において撒き散らされたことなど忘却したようである。いまだその場所においては被曝労働を伴う収束作業は続いており、避難と補償についても解決に向かう道筋はついていないにもかかわらず。 *** フクイチの事故を問題にするうえで、福島/フクシマという「場所」への問いは避けて通れない。 原発事故による被害は複合的な被害であり、その中には福島という「場所」の被害も含まれているのだ。なぜ福島という「場所」が被害にあったのか。それはけして偶然ではない*1。開沼博を読むまでも無く、それは中央と地方におけるさまざまな構造的な権力関係によっていたのだ。その

    エトス・ノモス・福島 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    a-lex666 2013/02/14
    とは言え「彼ら」はこれの一部を抓み食いすることはあっても飲み込むことはないでしょうね/そして原発論議では必ず隠蔽される「震災」という自然(physis)
  • 「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去

    紙屋研究所の紙屋氏が東浩紀の「一般意志2.0」をdisっているのだけれど、何か質を外している気がします。 ■架空インタビュー2.0 『一般意志2.0』ふたたび http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 特に違和感をもったのが、「差異の総和」について書いている部分。 ――「差異の和」のくだりですね。 そうです。岩波文庫の桑原・前川訳の方で紹介します。 これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。(岩波版p.47) この最後の部分「相違の総和として、一般意志がのこることになる」は、フランス語の原文では「reste pour somme des différences la volonté générale.」となるので、東訳よりも桑原・前川訳の方がいいと思いますね。 こ

    「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 弔いと生政治 - 過ぎ去ろうとしない過去

    関西で行われている反原発デモのひとつに、「葬送デモ」なるものがあるらしい。福島において被曝による被害が近い将来多発するであろうことを、「葬送」という形で可視化し、問題提起を行うというコンセプトのデモのようだ。 このデモについては、ネットを中心に賛否両論が巻き起こっている。批判の中心は、やはりそれが「不謹慎」であるということだ。福島に住んでいる人たちをあたかも棺桶にいれるかのようなデモは、当地の人々を傷つけるのではないか? このような批判に対して、主催の一人であるS氏が応答を行っている。 http://nonuke-savelife.tumblr.com/post/12855881354 この文章でS氏は、葬送デモが不謹慎である可能性、誰かを傷つける可能性があるかといえばあると認めている。しかし、だからといってこの表現はなされるべきではなかったということにはならない。わたしたちは放射能に対し

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    a-lex666 2011/11/17
    ↓強いるとか言う奴こそそこに生きていない
  • 東浩紀と宇野常寛が、言論人の「責任」について何を語れるっていうの!? - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■東浩紀と宇野常寛とスネオ主義の臨界点 http://d.hatena.ne.jp/tomatotaro/20110416/1302962668 あずまんと宇野は既に燃料棒の99%が損傷したとの噂。 まあid:Cunliffe先生のいうとおり、「ポモ村の中でなら好きなだけやってろ」という話であるのだが、いちおう、松平さんがやっている『新文学03』という同人誌に書いた『ゼロ想』批判を抜粋しておく。 宇野は「物語」の内容の優劣や正しさを考えるのは意味がない、という。さらに南京大虐殺があったかなかったか好きなほうを信じればよい、と歴史修正主義まで容認する。これは、いかにポストモダン的相対主義者といえど言わなかったことである。日には何人か見受けられるが、それは恐らくガラパゴス的な進化の賜物なのだろう。ともあれ、宇野がそう主張する根拠は当然「大きな物語」が崩壊し、それ自体完結した「小さな物語」を比

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    a-lex666 2011/04/19
  • 平和に生きる権利 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「4.10高円寺 原発やめろデモ」に行ってきた。 15000人ものデモに参加するのは初めてで、とにかくその熱気の凄さに圧倒された。 この動画の冒頭で流れている曲は、その他の多くの動画においても象徴的な取り上げ方をされており、ある意味で4.10デモを代表する曲となっている。 この曲は、デモの前段集会で演奏され、またデモの途中やゴール地点でも繰り返し演奏されていたと思う。 曲のタイトルは、チリのフォルクローレ・シンガーであるビクトル・ハラの代表曲のひとつ「平和に生きる権利 (El derecho de vivir en paz)」。このデモに参加した人たちの多くにとってみればかなりメジャーな曲であると思うが、日において一般的に知られているかどうかは疑わしい。 で、ぼくが紹介するのもおこがましいのだが、この曲の背景を共有することは、このデモが何であったのかを共有するために必要なことだと思う。ま

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    a-lex666 2011/04/15
  • 東京都表現規制問題をめぐる一連の出来事についての共同声明(転載可) - 過ぎ去ろうとしない過去

    参考 ●「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」と昼間氏らへんの対立(Togetter - amamako氏のまとめ) ●mukofungoj c^iuloke ●よねざわいずみ (yonezawaizumi) on Twitter 12月15日、「東京都青少年健全育成条例改正案」が東京都議会で可決され、マンガ・アニメへの表現規制がいっそう厳しくなることになりました。これについて、わたしたちにはいくつかの言うべきことがあります。 1. 制定の過程で石原都知事は、同性愛者について「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」という発言を行いました。石原都知事の差別的発言は今に始まったことではありません。しかし、この発言がセクシャルマイノリティへの重大なヘイトスピーチであることに変わりは無く、わたしたちは市民のひとりひとりとして、

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    a-lex666 2010/12/24
  • とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    はじめに結論から書いておこう。「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。国家というのは、征服によるものであれ、共和主義的な統合によるものであれ、その集団がある領域内を実効支配した時点で、定義上、その領域内には少なくとも国家に匹敵しうるような暴力を行使可能な集団は存在していないはずである。だが、国家はなお支配のために「暴力を独占」する。それは、自前の暴力組織にのみ正統性を与えることによってであって、そうやって正統性を与えられた暴力組織を「軍隊」や「警察」と呼ぶ。ウェーバーによればその正統性の源泉は、近代国家においては「合法性」である。その正統性(=合法性)に基づいてはじめて、政府は国家内の自律的な暴力集団を規制したり弾圧することができるのである。 軍隊や警察は、人を殺しうる力を持っている。たとえ侵略軍から「国家を防衛」するためであ

    とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
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    a-lex666 2010/11/21
    ”超”詭弁だったらカンペキなのに。そのうちつくかな?
  • あ、はんにちだ! - 過ぎ去ろうとしない過去

    16日に、反中の人たちが参加するデモがあったんだって!ぼくは行かれなかったけど、動画を見たら日の丸がいっぱい立っていてタモさんとか西村眞悟とかがいたから、これは悪いデモでしょ。間違いない。 んで、なんとなんと、そのデモに抗議してシット・インを試みた2人の中国人がいたんだって!かっこいいね! ■中国人2人が尖閣抗議デモを妨害 路上に座り込み、行進を中止させようとする http://alfalfalfa.com/archives/1085961.html 都内で16日、中国による日の領土の「侵略」に抗議する右派系団体主催のデモ行進が行われ、1000人以上が参加した。 日の国旗が都内の公園にはためく中、尖閣諸島(Senkaku Islands、中国名:釣魚島)付近で起きた漁船衝突で過熱した 領土問題をめぐる2度目の抗議デモが開かれ、参加者らは「日の自由が危ない」「中国の尖閣諸島侵略(を)許

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    a-lex666 2010/10/18
  • 「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■ナチスの「25カ条綱領」は日人必読では http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program ■右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right まああらゆるレベルで間違っていると言えてしまうのですが、キリが無いので少しだけ。 ■誰がナチスを支持したのか? ワイマール共和国において、ナチスは政権を取るまで一度も過半数の議席を獲得したことが無い、というのはよく知られているとおりです。1933年の選挙でナチスは288議席を獲得しましたが、それでも全体の4割程度を獲得したにすぎませんでした。退潮傾向にあったとはいえ社会民主党は120議席と3ケタを維持し、共産党も前回から票を減らしたとはいえ81議席を獲得しました。また、カトリック政党

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    a-lex666 2010/10/15
  • 死刑は悪いので死刑執行に反対します - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■民主政権で初の死刑執行 宇都宮宝石店事件ら2人 http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072801000271.html 死刑執行が批判されるべきなのは、死刑が悪いからである。死刑が良いと思う人は死刑執行を素直に喜べばいいのであって、死刑賛成派なのに「信念を曲げたから」*1だの「政治に利用したから」*2だのの理由で死刑執行を批判する人の理路がまったく理解できない。 ともかく、死刑は悪い。ところが、まさに死刑執行を命令した法務大臣その人こそが、自身の死刑廃止運動への関わりにおいて、死刑が悪いということについて一番よく知っていたはずだ。法務大臣になるまでの彼女の死刑廃止運動へのコミットが不真面目なものだったとは思わない。恐らく気で死刑制度という悪制をなくそうと考えていたのだろう。いや、それどころか、彼女自身は今でもまだ自身を死刑廃止派として認識しているか

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    a-lex666 2010/07/29
  • 柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去

    柴村仁が嫌いである。 いやまあ、人は「会えばいい人」なのかもしれないが、彼女の書いたものはことごとく嫌いなものが多い。 ぼくが読んだ限りにおいて、彼女の小説のスタイルについては次のような印象を持っている。つまり誰かが死んだこと、または何かが失われたことがまず強烈なインパクトとして存在していて、その事実を中心に物語が回っていく*1。『プシュケの涙』がまさに典型的だが、『我が家のお稲荷様』もそうで、あの話の構造は要するに死んだ母親の縁で胡散臭い奴らがわらわらやってきて、死んだ母親の話をして帰っていくというものだろう。死んだ母親が物語の中心にあって、ことあるごとに母親が死んでいるということが思い出さされるのだ。 それで、なぜそういった喪失を中心とした物語(くーきょなちゅうしん、とか言いたければ言えばいい)が嫌いかというと、そうした物語はたいてい「見下ろす視線」というものを構造として保有している

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    a-lex666 2010/07/19
  • ドイツ準決勝敗退について - 過ぎ去ろうとしない過去

    もちろんワールドカップの話である。大会が始まる前は、せいぜいベスト4がいいところ…と思っていたので結果は順当なのだが、大会に入ったあとの好調で優勝いけるかも!となまじ期待が膨らんだせいで、まったく残念でたまらない。まあ、負けに不思議の負けなしなので何が問題だったのかを分析する。 まず、戦い方が間違っていたとは思わない。前線や中盤からボール奪取しに行くことはもちろん出来たであろうし、それを行っていればあれだけスペインに支配されることは無かったであろう。しかし、それは体力の著しい消耗を招くことも必然である。もし前半から積極的にいって点が取れればいいが、もし点が取れなかった場合、スペインの実力を考えると疲労によって後半に必ず失点するだろう。これは一種の賭けであって、今のところその賭けに勝ったのはヒッツフェルトだけである。 だから、その賭けを選択せずに、中盤を支配されても最後の部分でやらせない、そ

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    a-lex666 2010/07/14