タグ

歴史に関するabyssgateのブックマーク (10)

  • れい(Windowsを許さない) on Twitter: "このシールテープの巻き方について、時間を見つけて語っておこう。 結論からいうと。 この巻き方は「間違い」。 が、こういう巻き方が正しいと思い込んでしまう技術的事情があり、現代でもこれでないと止まらないケースがある。 それは歴… https://t.co/Yc1Ppwt3Sk"

    このシールテープの巻き方について、時間を見つけて語っておこう。 結論からいうと。 この巻き方は「間違い」。 が、こういう巻き方が正しいと思い込んでしまう技術的事情があり、現代でもこれでないと止まらないケースがある。 それは歴… https://t.co/Yc1Ppwt3Sk

    れい(Windowsを許さない) on Twitter: "このシールテープの巻き方について、時間を見つけて語っておこう。 結論からいうと。 この巻き方は「間違い」。 が、こういう巻き方が正しいと思い込んでしまう技術的事情があり、現代でもこれでないと止まらないケースがある。 それは歴… https://t.co/Yc1Ppwt3Sk"
  • 江戸時代の奉行は慎重だった? 当時の貴重な「裁判記録」発見 | NHK

    “大岡裁き”などで知られる江戸時代の奉行らが実際にはどのような裁判をしていたのか、当時を知る手がかりとなる記録が見つかりました。 江戸時代の裁判記録は関東大震災で焼失したものも多く、専門家は「江戸時代の役人が慎重に刑罰を判断していたことがうかがえる貴重な資料だ」としています。 新たに見つかったのは「御仕置廉書(おしおきかどがき)」という18冊の冊子で、幕末までのおよそ150年にわたって江戸幕府の奉行所で言い渡された判決が年代や刑罰ごとに記録されています。 雇い主を殺した罪に問われ、死刑の中でも最も重い「はりつけ」とされた男の判決には、最終的な結論を出した老中の名前が書かれていて、奉行所だけで判断せずに幕府の中枢の役人にも伺いを立てていたことが確認できます。 また、ところどころ付箋のようなものが貼られ、過去の判決を参考に刑を考えていた様子がうかがえるほか、無罪となったケースを集めた「無搆(か

    江戸時代の奉行は慎重だった? 当時の貴重な「裁判記録」発見 | NHK
  • 古代ギリシャの沈没船 ほぼ完全な状態で発見 黒海 | NHKニュース

    2400年以上前の古代ギリシャの貿易船が黒海の海底からほぼ完全な状態で見つかりました。形を保った世界最古の沈没船とみられ、当時の造船技術や交易の様子を知る貴重な発見だと注目されています。 調査チームによりますとこの形の貿易船は、当時のつぼなどに描かれた絵で知られていましたが、実物が形をとどめて見つかったのは初めてです。さらに形を保った沈没船としては世界最古とみられるということです。黒海の海底は酸素がほとんどなく木材が分解されにくかったため驚異的な保存状態につながったと考えられています。 ただ船はもろくなっている可能性が高いため、木材の一部を調査のために採取するにとどめ船全体を引き上げる計画はないとしています。 調査チームの代表は「当時の造船技術や、交易の様子について見方を変えるような発見だ」と話していて、世界的にも注目されています。

    古代ギリシャの沈没船 ほぼ完全な状態で発見 黒海 | NHKニュース
  • 太平の江戸、忍者つらかった 甲賀の頭「秘術信用されない」 : 京都新聞

    甲賀市が刊行した甲賀忍者資料集の第2弾(同市役所) 「70歳前後より若い者は役に立たない」「学問が盛んになり、秘術が信用されない」。滋賀県甲賀市がこのほど刊行した資料集から、甲賀忍者が江戸時代の平和な世の中で自身の立場の衰退を嘆いたり、将来を不安視する姿が浮き彫りになった。編集した市教育委員会は「忍者が重んじられない状況への危惧など、ここまで切実な肉声を記した記録は珍しい。甲賀に限らず、当時の忍者全体に通じる問題ではないか」としている。 尾張藩に仕官した甲賀忍者に関する古文書の訳文や解説を載せた資料集「甲賀者忍術伝書-尾張藩甲賀者関係史料Ⅱ-」で、昨年刊行した資料集の第2弾。同藩に伝わる文書を紹介し、市内の民家で発見された文書の現代語訳も併載した。 尾張藩の史料は、甲賀の地で暮らしながら「忍び」として同藩に仕えた「甲賀五人」の頭(かしら)である初代木村奥之助(1600年代半ば~1723年)

  • 大東亜戦争従軍記 | 東南アジアを転戦した祖父の私的な従軍記です。

    先日、実家に帰った際に亡くなった祖父の残した戦争時の手記を父が書き起こしたものを見せてもらいました。父がその手記をまとめた時に私はまだ小学生で、全く興味を持たなかったんですが、今見てみるととても面白く、手記の主人公である「俺(祖父)」(昭和十六年当時二十八歳)に感情移入して一気に読み終えてしまいました。 内容は祖父が戦争で大活躍をするわけでもなければ映画で描かれるような戦場に居合わせるわけでもありませんが、(だからこそ孫である私が存在しているわけですが)現地の意外といい加減な雰囲気やべ物の美味さや匂い、仲間との失敗談などがとても身近に感じられ、それと同時に戦争時の過酷な状況にも驚きました。 祖父は筆まめな人で戦争から戻ってからこれを書いたそうですが、元々他人に見せるものではなかったのか、今読んでも軽い文体で読み易く、このまま消えてしまうのは勿体無いので、たいした量ではないんですが、少しず

  • 移民の世紀

    ようこそ「移民の世紀」へ みなさんは「移民」という言葉になにを感じるでしょう。移民に共通するのは、生まれた国や故郷・家族・友人などとの「別れ」があり、見知らぬ国や人との「出会い」があることです。そんな長い海外移住の経験をもつ人々が、それぞれの人生の哀しみと喜びを胸に刻みつづける歴史が移民そのものといえるでしょう。 みなさんは沖縄と移民をどう結びつけるでしょうか。このサイトは日でも有数の移民県・沖縄を紹介しています。沖縄県の移民が盛んであった証拠にボリビアの地図に実際今でも「オキナワ」の地名がありますし、また、フィリピンには「バゴ・オオシシロ」という沖縄県出身者の地名も残っています。これらの例は、まだほんの一部分です。沖縄の移民100年の時間の流れには激動と愛の歴史が星の数ほどあります。 このサイトで沖縄の移民の世紀を体感し、移民のおりなす人間ドラマを感じてもらいたいと思います。 【監修・

  • 日本史のミッシングリンク「移民」・ 沖縄県系人の多さの理由とは ~ その1

    では基地移転問題を巡って、沖縄県民が政府と対立を続けている。そんな沖縄県人の独自の意識のあり方を理解する一つのキーワードは移住ではないか。日史には「移民史」というミッシングリンク(欠落部分)があり、おそらく通常は「欠落している」ことすら、まったく意識されていない。移住先で起きていることは日の日人の視野に入らず、普通は近代史の中で扱われない。でも、実は一体化したものであり、表面下で影響を与えている。 例えば、小熊英二慶応大学教授の大作『〈日人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』(新曜社、1998年、5800円)は778ページをかけて〝境界線上にいる日人〟を詳細に論じているが、その索引をみても「ブラジル」どころか「移民」も「日系人」もない。 その他、江戸期から明治までの欧米諸国への日人漂流民、留学生、旅芸人ら渡航者1700人が網羅されている『海を越え

    日本史のミッシングリンク「移民」・ 沖縄県系人の多さの理由とは ~ その1
  • 沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル

    糸満の漁師や軌道馬車、活気ある那覇の市場 ––––。1935年に沖縄県で撮影された写真が、朝日新聞大阪社で大量に見つかった。沖縄の人たちの生き生きとした暮らしぶりを写しだす。太平洋戦争末期の沖縄戦によって10年後には破壊されてしまった光景が、沖縄タイムスとの共同企画で82年ぶりによみがえる。 写真の購入はこちら朝日新聞フォトアーカイブ

    沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル
  • 昔の漁師が全裸で町を歩いていた理由 - 御光堂世界~Pulinの日記

    昔(昭和戦前頃まで)の漁師は全裸で作業したり町中を歩いたりしていた。自分は、それは粋や伊達でそうしていたものだと思っていた。(注1) だが、それだけではなかったことが、 @bandy_u バンディー http://twitter.com/#!/bandy_u 氏の調査結果で明らかになった。以下引用。 藁チン文化についてちょろっと調べてる。思った以上に奥深くて、ちょっと窮屈な感じ。 なんで全裸でチンポに藁1結んだだけの姿で漁に出たり、ましてや街中を歩くのか理解できなかったけど、「着る服を持つような身分不相応なことはしておりません」という低い身分、隷属的な立場の表明だったんだ。 勝手に網子(どこかの網元の下で働いている漁師)が、勝手に褌だの半纏だのを着て町を歩こうものなら、それは「許されざる行為」だったらしい。全裸でいるべき身分の人間が服を着て町を歩いたり電車に乗ったりしようものなら、警官か

    昔の漁師が全裸で町を歩いていた理由 - 御光堂世界~Pulinの日記
    abyssgate
    abyssgate 2015/09/04
    江戸とかじゃなくて昭和か・・・
  • 「同性と裸でベッドに入る」行為が性的関係以外を意味した中世ヨーロッパの価値観とは?

    1つのベッドを共有すること、とりわけ同性の人物と寝床を共にすることは性的なイメージと強く結びつく行為ですが、中世のヨーロッパにおいては別の大きな意味を持つこともあったようです。特に高い位に就く人物の間で共有されていたと思われる価値観について、興味深いことがわかってきました。 Three Wise Men in a Bed: Bedsharing and Sexuality in Medieval Europe | NOTCHES http://notchesblog.com/2014/01/06/three-wise-men-in-a-bed-bedsharing-and-sexuality-in-medieval-europe/ 12世紀に名をはせたイングランド王・リチャード1世は戦争と冒険に明け暮れた獅子心王とも呼ばれ、騎士の模範と称えられた人物ですが、後世には同性愛者であったという説

    「同性と裸でベッドに入る」行為が性的関係以外を意味した中世ヨーロッパの価値観とは?
  • 1