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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (184)

  • たぶんそれはこういうことでテロだった: 極東ブログ

    ブログを書かないでいることにあまり違和感もなく過ごしていて、まあ、自分にとってそういう時代になったのかなとも思う。そうした感慨はさておき、それでも心のどかで自分はただのブロガーであるべきだ、つまり、たかがブロガーであるべきだという奇妙な使命感のようなものがあり、それは、市民として複数の声が社会に必要なときには、声をあげようということだった。さて、その時だっただろうか、と思い悩んだのは、インターネットセキュリティー関連会社「スプラウト」の社員、岡顕一郎さん(41)の殺害事件を知った時だった。 彼はネットの世界ではHagexさんとして知られていたらしい。実は僕は彼のことを知らなかった。名前は聞いたことがあるし、話題の炎上案件とかでブログを読んだこともあるが、そのHagexさんという名前での認識はほとんどなかった。たぶん、彼もまた、「finalventさん」は知らなかっただろう。まったく関心が

  • 森友問題の現状についてブロガーのいち見解: 極東ブログ

    森友問題の現状について、自分の考えを、アウトラインだけだが、まとめておきたい。自分の考えが正しいとも、強く主張したいというものではない。当然、異論は多いだろうと思う。また、誤認もあろうだろうと思う。あくまで、こういう考える人がいるという程度のものである。ブログというのは、その程度のものである。なお、森友問題の解説記事ではないので、基的な説明は含めない。 昭恵夫人の関与はないだろう 昭恵夫人の活動は賛同できないものが多いが、今回の件では、構図的には籠池容疑者に利用されただけで、経緯を見る限り彼女の影響力があったようには見えない。また、今回削除された文書での彼女の名前の記載も籠池容疑者の伝聞に過ぎない。彼女を国会に呼ぶ理由は現状ではない。 政治家の関与はあったかは個別には不明 文書の削除部分にある政治家についても概ね関与はないと思われるが、各政治家の個別の背景についてはわからない。が、安倍首

  • [書評] 漫画 君たちはどう生きるか(吉野源三郎・著、羽賀翔一・漫画): 極東ブログ

    漫画版を読んでみた。あの原作を現代でもウケるように上手に漫画化するものだなあと感心した。同時に、読みやすくよく練られた漫画ではあるが、たとえば『ヒストリエ』で「天下の大将軍」といったギャグを諧謔に含めるような、漫画特有の自己相対化の精神は見られない。そうした点で漫画の精神としてずいぶんと痩せた作品だなとも思った。 なぜ今売れているのかということでは、一つには、次期ジブリ作品との連想と、私より上の世代、団塊世代のノスタルジーはあるだろう。後者については、NHKでも取り上げられていた。 原作の内容については、現在の時点で批判しても意味はないようには思えた。すでによく知られているように岩波文庫版では、それ自体が歴史的な価値を持つ丸山眞男の解説があり、そこできちんと「生産関係」の説明から同書が資論の入門書になっていることが示されている。丸山はそこに評価のポイントを置いているが、ようするに入門書と

  • [書評]IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実(村上宣寛): 極東ブログ

    知能とは何か。それは人種間で差があるのか。この問題について、米国ではチャールズ・マリー(Charles Murray)氏の1994年の共著「Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life」(参照)および2008年の単著の「Real Education: Four Simple Truths for Bringing America's Schools Back to Reality」(参照)が社会的な話題になった。私はどちらも読んでいないが、その話題については米国の社会的話題として報道などから知識を得てずっと気になっている。関心事の焦点は、人種間の差異というより、知能を社会的に論じるというのはどういうことのなかという点だ。 マリー氏のこれらの著作は日では翻訳されそうにない。米国社会の問題だということもあるし、その

  • [アニメ]けものフレンズ: 極東ブログ

    「いくらアニメが好きだからって、あれは知能の低下を招くから見ないほうがいいかもよ」と言われた。そしてさらに、「3話までくらいがつらいんだよ。でもそれを超えたら、た、たのしぃ~」と言われた。じゃあ、見てみよう、と思った。この夏、60歳になる私。 1話目を見た。うーむ。キングダムのシーズン1や鬼平みたいに、やはり、うにょうにょしているなあ。どうしても、このうにょうにょ感はしかたないのかなとまず思った。内容は、さしてピンとこなかった。まあ、テイストはやっぱりケロロっぽいよねとは思った。というわけで、知能の低下ポイントやつらみポイントに辿り着かない地点で脱落して、『政宗くんのリベンジ』とか見ていたのだが、世の中の話題に押されて、けものフレンズの続きを見た。 僕らの世代には懐かしいツチノコが出てくる4話あたりで、おやっと思った。というか、いろいろこの物語には伏線が仕組まれていてしかも脚が緻密に出来

    [アニメ]けものフレンズ: 極東ブログ
  • [映画] この世界の片隅に: 極東ブログ

    見よう見ようとしつつ逸していた映画『この世界の片隅に』(参照)だが、アマゾンから見ろという推しがあって、見た。評判どおりの傑作だった。感動もした。が、違和感というのでもない微妙に、もにょーんという感じが残った。不満というのではない。これはなんなのだろう。受容の不協和音というものでもなく、また深い理解を促すというものでもない。ある意味で奇妙な体験でもあったので、そのあとしばらく考え込み、それからその違和感の感触を静かに無意識に沈ませて時を過ごした。そしてなんとなく浮かんできたものがあるので、書いておきたい。 まず前提として、この映画作品が優れたものであることは微動だにしないだろうというのは理解できる。能年玲奈あらためのんの声優も最適だったし、この声なくしてすずは描けないようにも思った(正確にいうとそれ以外の解釈があってもよいだろうとも思ったが)。そしてこの優れたということの同義であるが、どの

  • [書評] 人を伸ばす力(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト): 極東ブログ

    明けましておめでとう。そう言ってみて、少し奇妙な感じがする。新年を迎えることに、何か喜ばしいこと、しかもその喜びを共同体に分かち合う(partager:パルタジェ)意味がどこにあるのだろうか。疑念がある。どこにもないんじゃないか。あるいはどこかにあるのだろうか。 あるとすればそれは書籍との出会いにも似ているだろう。誰もが賞賛するような優れたなどというものはないと言いつつ、古典のように来は誰が読んでも価値があるとされるようなも他方存在する。そこで古典にそのような、ある普遍的な価値があるなら、誰もがそれを読むべきだと言えそうにも思える。そうでもない。そう言ってしまえば、冒頭のような少し奇妙な感じが伴う。 私は何を言おうとしているのか。書籍の価値は、それを読んだ人が、密かにある種の確信をもってパルタジェするときに、その行為を含めた過程に生まれるものではないだろうか。古典とはそうしたパルタジ

  • [書評]ウエイン・W・ダイアーのこと: 極東ブログ

    先日ふとウイエン・W・ダイアーのことが気になってたまたま屋に行ったら彼のがあった。手にとって見て特に読むことはないかなと思ったが、それからちょっと気になることがあったので買ってみた。最初に手に取って気になったのはこれではなかったかもしれない。 これというのは、「ダイアー博士のスピリチュアル・ライフ―“運命を操る力”を手にする「7つの特別プログラム」(ウエイン・W・ダイアー、訳:渡部昇一)」(参照)だ。ざっと読んだ。ざっとしか読めないだとも言える。表題から連想される以上のことは何も書かれてない。それでも気になるなら出版社の釣書はこう。 あなたのスピリット(魂)には、人生のあらゆる問題を解決する答えがある! 「自分のための人生」をはじめ、数多くのベストセラーを著してきた著者が執筆。「不思議な偶然」と「幸運」に出会う。 そうなのかもしれない。しかし、当面自分には関係ないなと思った。奇妙な

  • バッハ・ボックス(プロトタイプ)の作り方: 極東ブログ

    バッハ・ボックスは掌に載る150g程度の立方体で、スイッチをオンにすることによってバッハの音楽が流れる装置である。当然ながら、スピーカーを装備し、メモリー内にはバッハの音楽が電子データとして含まれていて、バッハの曲を聴くことができる。比較的静かで小さな部屋ですぐにバッハの音楽を聴くことができる。バッハが1つの環境になる。 まだ企画段階なので販売されていない。 以下はこの試作品の作成方法の一例である。 基的な機械部分は、Tsing MP3プレーヤー TT-028を利用する。小型でワンスピーカーのMP3プレヤーだがメモリは含まれていない。おもちゃのようだが、いや、実際におもちゃと言っていいのだが、おもちゃのわりにはけっこういい音が出る。 電源は内蔵リチウム電池にUSB充電になる。電源用ケーブルは付属している。残念ながらフル充電しても大してもたない。同機にはFM受信機能や時刻表示機能もあるがほ

    バッハ・ボックス(プロトタイプ)の作り方: 極東ブログ
  • [書評] トランプ (ワシントン・ポスト取材班、マイケル・クラニッシュ、その他): 極東ブログ

    興味深く、ある書籍を読んだ後、そのことをこのブログに書くことを、なんとなくではあるがためらう機会が増えてきてしまったようにも思う。そうだなあ。特に理由はない。そうした一冊として、ワシントン・ポスト取材班とマイケル・クラニッシュ、その他による『トランプ』(参照)がある。10月10日に出版されすぐに読み、読後、奇妙な感慨があった。ドナルド・トランプという人をこうして、自伝以外からきちんとジャーナリズムを通して眺めて見ると、なかなかに味わいの深い奇妙な人物である。書はその陰影をまずこう述べている。 ドナルド・トランプは称賛であれ批判であれ、注目されるのは良いことだと考えている。自分のイメージがそのままブランド・イメージになるため、自分そのものがブランドイメージだという信念で生きていきた。私たちは、トランプも他の人同様、噂やブランド通りではないという考えの下で取材にあたった。そしてその通りだった

    [書評] トランプ (ワシントン・ポスト取材班、マイケル・クラニッシュ、その他): 極東ブログ
  • オバマ米大統領が広島に運んだ核兵器の発射ボタンに言及したインデペンデント紙の記事について: 極東ブログ

    オバマ米大統領の広島訪問は海外でも広く報じられた。そのなかで少し関心を引いたのが、インデペンデント紙の記事「広島のバラク・オバマの高慢な修辞は、彼の混合した記録と矛盾している(Barack Obama's soaring rhetoric in Hiroshima contradicts his own mixed record)」(参照)」だった。 記事の副題には、「在任中、オバマ大統領はアメリカの核の力を向上させるために30余年の努力を開始した(In office, President Obama has launched a three-decade effort to upgrade America's nuclear strength)」とあるが、これが表題にある「his own mixed record(彼の混合した記録)」に呼応している。一方では核廃絶の修辞を高慢に掲げつつ、

    オバマ米大統領が広島に運んだ核兵器の発射ボタンに言及したインデペンデント紙の記事について: 極東ブログ
  • 脱文脈化ということ: 極東ブログ

    昨日、一昨日と、書いてみました的な話題だったが、はてなのinumashさんが二つともう読んでくださって(ありがとう!)、昨日のには、こうしたコメントをされていた。まあ、こう。 inumash こうやってごく基的な経緯すら把握していないくせになんぞ深刻ぶった顔で的外れな分析ばかりしてるから、「ブログを10年以上も続けてきた」にもかかわらず貴方の声に動かされる人間が出てこなかったんでしょうね。 愉快だった。読み違えしているかなと思えるのは一点、「深刻ぶった」というくらいで、どうも「バブー」のベタは受けなかったようだ。つまり、他の指摘は当たっていると思った。二つある。 一つは「こうやってごく基的な経緯すら把握していないくせに」である。まあ、それでいいと思う。他のはてなーず(「女子ーず」みたいだな)のコメントに、「私はシャルリだ」の背景もわからんのか爺、みたいのもあった。 どう理解されているか

    脱文脈化ということ: 極東ブログ
  • [書評] 「フランス人ママ記者、東京で子育てする」西村・ペプ・カリン著: 極東ブログ

    現代日育児事情にはさまざまな側面がある。地域や所得、教育による違いも大きい。全体像を知ることは難しいし、それには統計的な調査も必要になる。というのは確かなところだが、それはさておき、日人男性と結婚したフランス人女性が日で出産して子育てをするという、ちょっと珍しい事例の物語を読むと、むしろその特異な事例によって現代日育児事情というものの質がくっきり見えてくる。フランス人から日育児を見ると、その異なる視点から、日人としては「ああ、育児というものは、こういうものなんだなあ」というのがはっきりわかる。そして、ちょっとびっくりする。つまり、このはとても面白い。これから結婚や出産を考える日の若い世代の人は、一読しておくと良いと思う。 話は帯にあるように、「日人マンガ家と結婚したフランス人ママ記者による日仏子育て比較エッセイ」である。夫は、このの表紙や挿絵を描いているじゃんぽ

    [書評] 「フランス人ママ記者、東京で子育てする」西村・ペプ・カリン著: 極東ブログ
  • フランスの保育ママ「ヌヌ−」: 極東ブログ

    西村・プペ・カリン『フランス人ママ記者、東京で子育てする』で、日仏での、妊娠から育児についての比較考察がり、それはとても面白かった。なかでも、フランスの保育ママ「ヌヌ−」については、いわゆる調査研究書とは異なる、日にも詳しいいちフランス人女性の視点から描かれていてとても示唆深くもあった。 パリにあふれるヌヌ−事情 バカンスでフランスに帰り、パリの街角を歩いていると、わたしは東京では絶対に見ない光景にいつも驚かされる。 あきらかに50歳を超えた女性が、髪の色や肌の色がバラバラの3人の子供を連れている。こういう場面を目にするのは嬉しい。なぜなら、すぐさまこの女性はこの子どもの母親ではなく、ヌヌ−だとわかるからだ。 ヌヌ−(アシスタント・マテルネル)とは、他人の子どもの面倒をみてくれる女性で、フランスでは当たり前の存在なのだ。 東京同様、パリでも保育所問題は深刻だ。 しかし、多くの若いフラン人

    フランスの保育ママ「ヌヌ−」: 極東ブログ
  • 昭和の保育: 極東ブログ

    先日、「現代は少子化なので幼稚園も経営努力として保育にも関心を持っていることがある」という話を書いたところ、「なに言ってんのこの爺、昭和の話してんじゃないよ」みたいなコメントを頂いた。なるほど徳仁親王と同世代の私も爺という時代にはなったが、「それってどこが昭和なんだろうか」とも思った。昭和の保育っていうのは……とちょっと思って、そうだなあ、昭和の保育の話を書いてもいいなと思った。昭和という時代の保育がどうだったか、教えられないのかもしれないが、知らない人も増えてきたので、奇妙な誤解も生まれているかもしれない。 昭和の保育というが、昭和は大雑把に二つの時代に分けられると思う。あるいは、三つだろうか。戦前、戦後、もはや戦後ではない時代。昭和の戦争はメディアで映像的にもよく取り上げられるが、意外と戦争自体の時代は短い。日中「15年」戦争もあり、それも戦争期ではあるが、当時の世界情勢を見て特段に戦

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  • 台湾「大統領」蔡英文が中国を抜いて世界に伝えた日本への謝辞: 極東ブログ

    蔡英文氏が台湾の「大統領」になることは事前の動向からわかっていたし、中共側も今回は早々に敗北を認めていたゆえに、前「大統領」馬氏との対応のパフォーマンスなどを演じていた。つまり、今回の民進党政権の樹立は国際的にはとりわけ新しいネタでもないので、ぼんやりと眺めていたのだが、一つ気になっていたことがあった。蔡氏が当選した際の会見についての、産経新聞での報道、「「尖閣は台湾側に主権があるが、日との関係強化を続ける」 英語通訳のみ日米名指しで感謝」(参照)である。 ネットなどではありがちに尖閣諸島の帰属への言及が注目されていたが、台湾の大統領として従来からの建前の国是を変えるわけもないので、どうでもいいことではある。気になったのは、英語通訳のみ日米名指しで感謝というくだりである。 ■なぜか英語通訳のみ日と米国を名指しで感謝 「私はこの機会を通じ、台湾の人々を代表して、台湾の民主的な選挙への関心

    台湾「大統領」蔡英文が中国を抜いて世界に伝えた日本への謝辞: 極東ブログ
  • ブログに書こうかと思って書かないでいたこと、としての東京オリンピックのエンブレム問題: 極東ブログ

    今年は気が付くとブログを書く量がぐっと減ってしまった。理由はいくつかある。個人的な理由が多い。それでも、これは書かねければいけないなという点は書いてきたようにも思う。「安保法制」など。しかしまあ、それはそれとして、ブログに書こうかと思って書かないでいたことも多かった。書いてもうんざりする事態になるだけじゃないかと予想がついてしまって、その時点でめげてしまう。その一つに東京オリンピックのエンブレム問題がある。 もう年末かあとも思うと、しかし、少し書いておきたい気にもなった。 要点のひとつは、こうだ。佐野研二郎氏による2020年東京オリンピックのエンブレムのデザインになんら問題はなかったではないか、ということだ。が、そういうとまさかと思う人が多いのではないかとも思う。 逆に、何が問題だったのだろうか? 盗作疑惑だろうか。そういう話題が多くあがっていたが、結果として、盗作の認定はされていなかった

  • [書評] イスラム国(著・アブドルバーリ・アトワーン、監修・中田考、翻訳・春日雄宇): 極東ブログ

    ではこの夏に翻訳されただが、原著の出版から遅れたわけでもない。扱っているのは表題通り「イスラム国」である。この表題が選ばれている理由も同書の初めに書かれている。全体として、比較的最近までの範囲で、イスラム国を知る上で重要となる基礎的な情報がバランスよくまとまっている好著である。 なにより、この種類のにありがちな、西側社会への偏向あるいはその裏側の憎悪といった情感的な色合いが引き寄せる文脈からはエレガントに脱していることは、沈着な書の文体からもわかるだろう。陰謀論的な記述もない。池上彰ならもっと手際よくまとめたかもしれないとも思えるかもしれないが、日人向けのわかりやすさから抜け落ちそうな微妙なディテールに含蓄深い陰影がある。 イスラム国をめぐる現状の混乱の、元凶とまではいえないが、大きな要因には、米国の中近東戦略と、フランスの中近東戦略がある。西側として見ると二国とも同一のように

    [書評] イスラム国(著・アブドルバーリ・アトワーン、監修・中田考、翻訳・春日雄宇): 極東ブログ
  • [書評] コーランには本当は何が書かれていたか? (カーラ パワー): 極東ブログ

    「コーランには当は何が書かれていたか? 」という問いかけは、そのままの形で魅力的な問いだと言っていいだろう。私は井筒俊彦の翻訳でコーラン(クルアーン)をすべて読んだことがあり、そして聖書についても一応ではあるが全巻通して読み、それなりに理解はしたが、さてでは、コーランには当は何が書かれていたか? と問われたとき、私は残念ながらアイロニカルな答えしか出すことができない。それは、聖書には当は何が書かれていたか? という、自分の、おそらく青春をかけたとしてもよい問いかけがもたらした惨めな姿に近いものである。 幸いにしてアイロニーは、ユーモアが一時の気休めであるのと似て、答えではない。だから私は今でも静かにその問いに向き合う。書『コーランには当は何が書かれていたか? 』(参照)は、そうした自分の思いに添ってちびちびと、そして対話するように読んでいった。そのように読む書籍でもあった。 当初

    [書評] コーランには本当は何が書かれていたか? (カーラ パワー): 極東ブログ
  • ドキュメンタリー『ワーグナーとユダヤ人のわたし』: 極東ブログ

    気がつくと丸一か月ブログを留守にしまった。その間、ツイッターはやっているので、それなりに私に気を払っているかたは私が健在であることはご存じだったと思う(ありがとう!)。だが、はて、ネットでは自分は「ブロガー」と名乗っているのに(まあ一応ね)、この体たらくはいかがなものかなと自分を思う。率直に言うとこの間、さほど忙しかったわけでもないが、ブログを書く気分がしなかった。それも考えてみると、普通の人はそもそもブログなんていうものを書かないのだから、ようやく普通の人になったのかもしれない。書くネタがないわけでもない。とかも読んでいる。ただ、個々に思うと、書く気がしないなという感じは強かった。ごたごた言ったが、さて、何かとりあえず書こうかと思いついたのが、この間に見たドキュメンタリー『ワーグナーとユダヤ人のわたし』(参照)である。 BSで当初2013年5月に放映されたものだが、その後なんどか再放送

    ドキュメンタリー『ワーグナーとユダヤ人のわたし』: 極東ブログ