遠い昔、はるか彼方の太陽系で……………プロレスブームを巻き起こした男の孫がセーバーチョップを振るう!! 昨年12月に父・百田光雄とタッグを組んで日本マット界初の3世レスラーとしてデビューした「プロレスの父」力道山の孫、力(ちから)。現在32歳と遅めの初陣となった力道山3世の人柄、プロレスに対する情熱、セーバーチョップの由来であるスター・ウォーズ愛に迫ってみました。名前のとおり、とにかくパワー、パワー、パワー押しなインタビュー!!
遠い昔、はるか彼方の太陽系で……………プロレスブームを巻き起こした男の孫がセーバーチョップを振るう!! 昨年12月に父・百田光雄とタッグを組んで日本マット界初の3世レスラーとしてデビューした「プロレスの父」力道山の孫、力(ちから)。現在32歳と遅めの初陣となった力道山3世の人柄、プロレスに対する情熱、セーバーチョップの由来であるスター・ウォーズ愛に迫ってみました。名前のとおり、とにかくパワー、パワー、パワー押しなインタビュー!!
いま、「プロレス」と聞いてピンと来る人はどれくらいいるでしょうか。例え少ない反応だったとしても、「過去の遺産か?」と問われれば、「NO」と答えたいです。2014年、プロレス黄金期再来への準備はすでに整っている状態にあります。 1989年から「プロレス」と「ゲーム」を繋いできた、『ファイヤープロレスリング(以下、ファイプロ)』シリーズ。現在でも語り草となる初のストーリーモードを搭載したのが、1994年に発売された『スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL』でした。そのシナリオを手がけたのがゲームデザイナーの須田剛一(SUDA51)であるのはご存知の通り。 『ファイプロ』を離れてからも、次々生み出すクリエイティブな作品のなかに、必ずといっていいほどプロレス要素を忍ばせるSUDA51と話がしたい。すでにレトロゲームとなってしまった『ファイプロ』発売当時の時代感、そしてSUDA51にとってプ
燃え尽きた。今年12月に引退試合を行うプロレスリング・ノア社長の田上明(52)が12日、引退の理由を本紙に明かした。田上は5月12日の後楽園大会で引退を電撃発表。丸藤正道副社長(33)ら後継者候補にバトンを渡すべく、社長業に専念する。鉄人・小橋建太に続く「ダイナミックT」「黒魔術」こと田上の引退により、一時代を築いた「四天王プロレス」は、幕を下ろす。 ――鉄人・小橋引退試合の翌日に引退発表。誰もが驚いた 田上:オウ。俺の中ではもう3年以上前から決まっていた。リキ(力皇猛=昨年引退)から引退の相談を受けていたころ(2011年夏)に、もう「辞めよう」と決意していたんだ。体がもう限界。長年患っている不整脈が一番の理由かな。医者からも「そろそろ引退したほうがいい」と勧告されていたんだ。それから高血圧と痛風と腰も悪いし…。 ――もう分かりました。体が限界だと 田上:みっちゃん(三沢光晴さん)が亡くな
かつてプロレス黄金時代に会場のファンを恐怖で追い回し、その憎悪を一身に浴びた最凶の悪役タイガー・ジェット・シン。 昨年末に亡くなったタッグパートナー・上田馬之介さんを追悼するため「元気ですか!! 大晦日!! 2011」に参加したシンを、親戚が茨城県つくば市で経営する「タイガー・ジェット・シン カレーハウス GUNS」で独占キャッチ。亡き友・馬之介さんとの思い出、復興支援への思い――“狂虎”とは違った顔を見せシンが語った。 ――昨年12月末、長きに渡る盟友であった上田馬之介さんの死がありました。シンさんは訃報をどのようにして知ったのですか? シン 日本のたくさんのメディアが私に電話を掛けてきた。本当にたくさんのメディアがね。ウエダサンの死について話してほしいということだったが、私は話さなかった。すごくショックで、とても悲しい出来事だった。 ――上田さんの死を聞き、どのようなことを思い出
大相撲前頭筆頭の肩書を引っ提げてジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入団した天龍源一郎は1976年11月13日にテキサス州ヘレフォードにおけるテッド・デビアス戦でデビューしてから35周年を迎えた。そして、来たる11月10日には東京・後楽園ホールで『天龍源一郎プロレス35周年記念興行 Revolution〜WE ALL WANT TO CHANGE THE WORLD』が開催される。 全日本からスタートしてSWS、WAR、全日本復帰、フリーとしてWJ、新日本、ノア、ドラゴンゲート、ハッスル……と、闘いと冒険を求め続け、還暦を迎えた昨年には天龍プロジェクト旗揚げした。人は彼を“ミスター・プロレス”と呼ぶが、本人は61歳になった今もなお、あらゆる世代の選手と同じ目線で勝負して第一線で踏ん張っている。 今回の35周年記念興行についても「引退試合じゃないからね。あくまでも通過点だから……」と主
2011/10/1 ファンが澤宗紀引退前に聞いておきたかったこと 9月30日におこなった「鈴木健.txt公開インタビュー3~澤宗紀引退前に聞いておきたいこと」は、3回目にして過去最多数の参加者にお集まりいただき盛況となった。インタビューの内容に関しては、全編は足を運ばれた皆さんだけが知るということで、いくつかのポイントをまとめたものを週プロモバイル連載コラム「週モバ野郎NOW」で書きたいと思う。というわけで、ここでは本編後におこなった質問コーナーを掲載。ファンの皆さんが引退前に澤宗紀本人へ聞いておきたいことの答えをお伝えする。 ――今まで上がっていない団体で上がってみたい団体は? 澤 NOAHとドラディションには上がってないんですよね。あと…あそこに軍団ひとりがいるんですけど(一般参加者として見に来ていた)、学プロのリングにも上がってないんですよ。 ひとり 学生プロレスという、プロと切って
4月某日、プロレス部のあこが課外授業と称してプロレスラーへの直撃インタビューを敢行した。 標的は、IWGPヘビー級チャンピオンの棚橋弘至選手である。 コラボと呼ぶにはあまりに一方的な申し出を、チャンプは快く引き受けてくれた。 さて、どんな話題が飛び出すのか。 ※このインタビューは、2011年4月におこなわれました。
全日本プロレス「2009プロレスLOVE in 両国 Vol.8」(30日、東京・両国国技館)においてデビュー25周年記念を飾る武藤敬司。21年ぶりのプロレス復帰を果たす船木誠勝とタッグを結成し、蝶野正洋&鈴木みのる組と対戦することが決定している。 “天才”ときには“プロレスリングマスター”と称され、レスラー生活25周年を迎えても未だトップに君臨し続ける唯一無二の男。そこで、スポーツナビでは25周年を記念して武藤に単独インタビューを敢行した。3週に渡って武藤敬司のプロレスラーとしての歴史を紹介する。第1弾となる今回は、プロレスラーになったきっかけからグレート・ムタとして活躍したWCW遠征時代まで。武藤が自身の言葉で“あの時”の心情を語っている。 ――8月30日に25周年記念大会を開催することになりました。25年という年月を振り返って長かったですか? あっと言う間でしたか? 今振り返るっ
全日本プロレス「2009プロレスLOVE in 両国 Vol.8」(30日、東京・両国国技館)においてデビュー25周年記念を迎える武藤敬司の特別インタビュー第2弾。当日はプロレスリング・ノアの小橋建太が9年ぶりに古巣帰還を果たし、小島聡と6人タッグで激突するなど豪華な全8カードが出そろったばかり。 第1弾ではプロレスラーになったきっかけからWCW遠征時代までを語っているが、今回は蝶野正洋、故橋本真也とともに一時代を築いた“闘魂三銃士”の活動や、プロレス史上最大級の団体対抗戦と言ってもいい新日本プロレスvs.UWFインターナショナルの「10.9東京ドーム決戦」などを振り返ってもらった。 ――そうして闘魂三銃士としてG1クライマックスでも活躍することになってきます その辺からだよ。闘魂三銃士として、くくりがしっかりしてきたのが。そこで蝶野のステージが一気に上がってきたんだよ(1991年の第
全日本プロレス「2009プロレスLOVE in 両国 Vol.8」(30日、東京・両国国技館)においてデビュー25周年記念を迎える武藤敬司の特別インタビュー最終回。全対戦カードも出そろい、いよいよ本番を迎えるのみという状況だが、今回は全日本プロレスへの電撃入団、プロレスリング・ノアの故三沢光晴さんへの思い、そして8.30両国国技館の自身のカードなど見どころを語ってもらった。 第1弾「プロレスラーになったきっかけ〜WCW遠征時代まで」、第2弾「闘魂三銃士〜UWFインターとの対抗戦」を経て、武藤が描く未来のビジョンは。 ――2001年に全日本プロレスへ初参戦することとなりました 01年の1.28東京ドーム(全日本プロレス「王道新世紀2001〜ジャイアント馬場三回忌追悼興行〜」)に急きょ(参戦することになった)。そのとき永島のオヤジ(永島勝司)がブッカーで、「ちょっとドーム出てくんねぇか?」
30日に東京・後楽園ホールでデビュー20周年記念興行「GET OUT OF MY WAY 〜JG20FTW〜」を開催する邪道&外道。FMW、WARなど多くのインディー団体を渡り歩き、現在は新日本プロレスで活躍する2人のタッグワークは“世界最高峰”と称され、試合巧者ぶりを存分に発揮している。 そこでスポーツナビでは邪道&外道を直撃し、2部構成でインタビューをお届け。波乱万丈に満ちたプロレス生活20年、8.30後楽園大会の見どころはもちろん、試合中に何を考え、どう動いているのか――。2人にしか体現できない至高のプロレス技術論も語られている。 ――まず20周年を振り返って長かったですか? アッと言う間ですか? 邪道 アッと言う間といえばアッと言う間だし、長いといえば長いですよね。波乱万丈ですから。 外道 そうですね、そんな感じですね。いろいろあって短かったといえば短かったし。 ――パッと
■前編はこちら ──誰にでも起こる可能性がある。 「ちゃんと検証しないとね、絶対また誰かやるよ。みんなね、自分たちが危険なことをやってるって認識がない。全員がプロレスをナメちゃってるんですよ。やってる人間も、レフェリーも、観客も。どっかで『大丈夫だろう』と。年間100試合もやってると、どんどん麻痺してくるからね。今テレビなんか見てると、投げ捨ての技で選手が変な角度で落ちても、セコンドやレフェリーが『あ、ヤバイ』って顔をしないんですよ。平気で眺めてる。俺たちが若い頃は『本気でコイツ壊したいと思ったら投げ捨てろ』と教えられた。それくらい危ないんですよ、投げ捨ての技というのは」 ──ただ、そういった過激な技の応酬や、投げ技の”危ない角度”は、ファンが求めたものでもあると思うんです。 「なんて言うかね、なんて言ったらいいのかな……、俺らが思っていたプロレスというのは、試合が始まる前にインタビューで
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く