僕らは教室にいた。と、そこへ先生がはいって来て、いまちょうど三十年が経過したけれど先生のお姿は何も変わっていない。先生が毎年最初の授業で出す映画クイズのその年の第一問は「P.C.L.とは何か」で、三十年前それについての知識が皆無だった者が三十年の間に世界最大の音響機器メーカーに売却されたそのフィルム現像の企業を職場とした経験を持ったどころか業界の総デジタル化によってその業務に実体を失ったいまも会社は自宅近所にその名を残して存在する。もしあれから変わったことがあるとすれば先生と親しく、といってもこちらは相変わらず他の誰に対してより圧倒的に緊張しながらであるが、ともあれ言葉を交わしたりメールを交換したりするような関係を得たことであり、それもこちらが映画監督を名乗り始めたここ十年のこと。そんな関係の最初の話題が長嶋茂雄についてだったのはそれが神宮球場の近くだったせいだろうか。あるいは当時の六大学
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