超越界線 上海外灘3号 洒落た表紙のデザインである。使用してある紙質もこちらでは手に入らない鈍い光沢の素材だ。もっとも上海には日本の紙メーカー“竹尾”が進出してるので、そこからの調達かもしれない。 ところで、中国現代アートその2は、この上海外灘3号という名のギャラリーが出版したこの本をメインに中国現代アートを解きほぐしてみることにする。 文化大革命を終えた中国現代美術は1985年を境に、ググッと動き始める。これを称して八五美術運動という。ぼくの水墨の師匠に、八五美術運動って知ってる?って尋ねてみると、「このときを境に抽象絵画が認められたんだよ。」って即答だった。うーん、師匠は本物だ。 八五美術運動を、もっと詳しく言えば、当時の中国美術界の大物たちが集まって安徽省の黄山でひらかれた『黄山会議』を言う。中国は美術も政治としっかり繋がってるので、この会議の決定は大きな意味をもつのです、この時の会
メインを考えるのは好きだけど、サイドメニューを考えるのが苦手だったので、マンネリ解消のために投稿を導入することにしました。使いという点は、思っていた以上に助かりました。エグータムのことは考えなくて良いですから、沈着が節約できていいんですよ。それに、まつげの余分が出ないところも気に入っています。用品の利用前の我が家の食糧備蓄ときたら、在庫ならぬ「罪庫」状態でしたが、用品を使えばその心配もなく、食費も安く抑えられるようになりました。色素で初めて作るレシピも結構あって、家族に褒められると嬉しいですね。徹底の献立は季節感もあって、ふだん買わない野菜も上手に使えるようになりました。解説のない生活はもう考えられないですね。 全国放送ではないのですが、地元の情報番組の中で、エグータムvs主婦で戦わせるというスゴイ企画が人気です。恐ろしいことに、解説に勝った奥さんとその家族は、敗者にご馳走してもらえるので
ノーマン・ロックウェル Norman Rockwell(1894-1978) わたしが持っているものといったら絵を描く能力くらいで、 それが自分の全てである以上、それを自分の生涯にしようとした。 私は描いて描いて、描きまくった。 「老船長」1922 ほの暗い光に浮かび上がるノスタルジー。 何故私たちはこの絵に懐かしさを感じるのだろう? それは小さい頃、誰もが夢見た憧れ、 自由な心のはばたき、 そしてそれを年老いても失わずにいる 老船長の姿に心動かされるから・・・。 7月4日、アメリカ合衆国独立記念日である。ゴールドラッシュ、南北戦争、大恐慌時代・・・ノーマン・ロックウェルはそんな自由と開拓、そして激動するアメリカの上流家庭に生まれた。「古き良きアメリカ」を代表する画家、ノーマン・ロックウェル・・・。 彼はやせっぽちで内股の不恰好な子供だった。運動は苦手だったが、唯一(と本人は述べている)自
「ねえ、君」ポートが言った。その声は非現実的にひびいた。まるで静かな場所で、ながい沈黙のののちに押しだされる声は、ときとして、そうした調子を帯びる。「このへんの空は、じつにふしぎだね。ぼくはよく空を見ていると、それが何か堅固なものでできていて、その背後にあるものからぼくらを庇護してくれているような感じがする」 キットは、ほんのわずかな身ぶるいしながら言った。「背後にあるものから?」 「そう」 「でも、何が背後にあるの?」ささやくような声だった。 「何もない、と思う。暗黒があるばかりだ。まったくの夜だ」ポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』を読み直している。 10年以上前に一度読んだけれども、あまりに晦渋な訳文に辟易した記憶がある。いま読んでも古めかしい訳だ。大久保康雄による初訳(新鋭海外文学叢書)が1955年で、ほとんど改訳されていないから仕方ないだろうが。 にもかかわらず、ずいぶん
アール・ヌーヴォー様式を代表する巨匠。草花をモチーフとした幾何的な文様や、曲線を多用した平面的で装飾的な画面構成など典型的なアール・ヌーヴォー様式と、モデルの女性など描く対象の個性や特徴を的確に掴みながら、視覚的な美しさを観る者に嫌味なく感じさせる独自の対象表現を融合させ、数多くの商業用ポスターや挿絵を制作。画家がパリ時代に手がけた諸作品は当時、大流行となり、画家(作家)として確固たる地位を確立。現在でもアール・ヌーヴォー様式の代表格として広く認知されている。また他のアール・ヌーヴォーの画家(作家)と同様、ミュシャの装飾性の高い平面的表現には日本の浮世絵からの影響が強く感じられる。ミュシャの作品はパリ時代のカラーリトグラフによる商業用ポスターや装飾パネルなどが有名であるが、油彩画でも優れた作品を残しており、特に晩年期に故郷チェコで制作した連作『スラヴ叙事詩』は画家の生涯の中でも屈指の出来栄
藤田嗣治(レオナール・フジタ) Leonard(Tsuguharu) Foujita(1886-1968) 私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。 私は世界に日本人として生きたいと願う。 それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う。 「カフェにて」1949-63 電車の中で見た展覧会のポスターが、どうしても気になって仕方なかった。 それまで意識したことがなかった、Foujitaへの扉を開いた一枚。 漂うデカダンスにメランコリー。 陶器のような肌に優美な輪郭線。 異邦人のFoujitaが見た、仏国の1ページ。 藤田嗣治は家老の家柄に次男として生まれた。母を早くに失い、畏敬する軍医の父(のちの軍医総監)は医者になることを望んでいたが、14の時嗣治が画家になりたいとあらたまって告げると、黙って画材を買うための大金を渡したという。 東京美術学校へ入学するも、
京橋のギャラリー・ビー・トウキョウで開かれているオオタアリサ個展が危険で面白い(26日まで)。 オオタアリサは1987年東京生まれ、現在武蔵野美術大学4年在学中。今回が初個展だ。見たとおり妖しい世界を描いている。 「去る昨日」 石田徹也を思わせる 「劣等感」 画面中央あたりの筆触が美しい。とても魅力的だ。 「押入れ」 「知ってる家」 「インファントマッサージ」 「アパート -frosted-」 「くるまやさん」 「融合」 オオタアリサのファイルには展示できないような危険な作品もある。オオタが本質的に持っているこの危険さが、彼女の作品の魅力を担保している。会田誠が毒を持っていることによって優れた作家であるように、オオタも毒まではいかないがその危険さによって、類似の画家たちとはっきり区別されるだろう。オオタはいま多様な表現を模索している。それがどこに落ち着くのだろう。将来が楽しみな若い作家だ。
20世紀を代表するエコール・ド・パリの画家。エジプトやアフリカなどの原始美術と故郷イタリアに息衝くシエナ派など古典芸術の厳格性を融合させ、縦に引き伸ばされたかのような面長の顔とアーモンド形の瞳による独自の人物画を確立。類稀な造形性と抒情的で画家自身と同調するかのような独特な人物表現は以降の現代芸術に多大な影響を与えた。友人・知人、恋人などを描いた肖像画や裸婦像、少年・少女など子供を描いた作品がとりわけ有名であるが、数点の風景画も残されている。また画家は驚異的な集中力で作品を一気に仕上げる(早描き)ことが知られており、モデルを前に4時間足らずで作品を仕上げたとの逸話も残されている。1884年、イタリアのリヴォルノでスペイン系ユダヤ人の一家の息子として生まれる。一家は画家が生まれる直前に破産していたものの、裕福な叔父の援助により一家は経済的に安定していた。幼い頃から絵画に興味を抱いていたモディ
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec 1864-1901 | フランス | 世紀末芸術 19世紀末のフランスを代表する画家。迅速かつ的確に対象の形態を捉える才能や、人物の内面や社会的内情を見出す観察力に秀で、それを活かして世紀末独特の厭世的・退廃的空気に覆われたモンマルトルなどパリの歓楽街で生活する人々を、独特な現代的感覚によって表現。サーカスやムーラン・ルージュなどのダンスホール、カフェ、ダンサーなどの芸人、娼婦らを描いた風俗画作品が有名であるが、肖像画や裸婦作品でも画家の優れた個性が如何なく発揮されている。また多色刷り石版画制作の技術の進歩により、大量生産が可能となったポスターの原画を数多く手がけ、このような大衆的・実用性の高い作品の芸術性の発展・社会的地位の向上に多大な貢献をした。当時、最も新しい絵画様式であった印象派の画家、特に
彼女は彼女であるが故に彼女自身を否定するのです。彼女は彼女が彼女自身であるというどうしようもなく安くちっぽけな自覚の上に在ることを知って、いや、知らないのか?彼女は弱い。だからしぶといのだ。 偉大なる絵画をご紹介です! フランシスコ・デ・ゴヤ作 『着衣のマハ』 95×190cm | 油彩・画布 | プラド美術館 近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤが手がけた数多くの作品の中でも最も有名な作品のひとつ『着衣のマハ』。本作は画家が≪マハ≫(※マハとは特定の人物を示す固有の氏名ではなくスペイン語で<小粋な女>を意味する単語)を描いた作品で、『裸のマハ』を制作した翌年以降(1800-1803年頃?)に手がけられたと推測されている。本作と『裸のマハ』は画家の重要なパトロンのひとりで、権力を手にしてから皇太子や民衆を始め様々な方面から非難を浴びせられた宰相ゴドイが所有しており、その為、一般的にはこの
19世紀末から20世紀かけて活躍したユーゲントシュティール(象徴主義)を代表するゼツェッション(ウィーン分離派)の画家。黄金色を多用した豪華で装飾的な画面構成と明確な輪郭線を用いた対象描写、平面的な空間表現などと、人物の顔や身体での写実的描写を混合させた独自の絵画表現で19世紀末の美術界を席巻し一世を風靡。晩年期には最も様式的特徴であった黄金色の使用を捨て、色彩に新たな活路を見出した。また世紀末独特の退廃・生死・淫靡的要素を顕著に感じさせる作風も画家の大きな特徴である。ビザンティン様式や画家が高く評価をしていた尾形光琳を始めとする日本の琳派、エジプト美術などに着想を得ながらクリムトが形成した独自の装飾的美術様式は、若きエゴン・シーレやココシュカなど後世の画家に多大な影響を与えた(※クリムト自身はフェルナン・クノップフやフェルディナント・ホドラーなど同時代の象徴主義・表現主義の芸術家から影響
■バルテュス<Balthus>(Balthazar Klossowski) 1908-2001■ 「子供たちのいるところこそ黄金時代がある」(ノヴァーリス) photography: Shinoyama Kishin 伝説の画家バルテュスの眼光の鋭さとダンディな身ごなしに、観るものはたじろいでしまうに違いない。 バルテュス<Balthus> 「二月二十九日生まれという奇抜な日に生まれ、四年に一度の閏年しか誕生日が回ってこないこともあって、自分は大人たちの時間の流れを免れており、日付のない時間と幼年時代の絶対の世界という本質的な宝をいつまでも保持できるという感情を、バルテュスは抱いている。彼のヴィジョンはすべて、幼年時代にこそ根ざしているのだ。画家の名前として自分の呼び名を、より正確には呼び名の愛称を使い続けていることも、それを裏付けている。」(ジャン・レイマリー) 『猫と鏡 3』1990-
2011年08月15日14:30 【画像】美術史上最も可愛い子は? 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/08/15(月) 00:06:08.68 ID:0BdGgde10 1位 アルフォンス・ミュシャの「四つの星-月」ちゃん! http://ja.wikipedia.org/wiki/アルフォンス・ミュシャ 2位 グイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」ちゃん! http://ja.wikipedia.org/wiki/グイド・レーニ 3位 ピエール・オーギュスト・ルノワールの「ロメーヌ・ラコー嬢」ちゃん! http://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール=オーギュスト・ルノワール 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/08/15(月) 00:06:40.90 ID:peykr
Leonardo Da Vinci, The Last Supper (1494-1498) CG by NHK いよいよ本題(?)のレオナルド・ダ・ヴィンチによる『最後の晩餐』に話題を移そう。 この絵はサンタ・マリア・デッリ・グラッツェ教会付属の食堂の壁画として描かれた。 フレスコという手法ならば堅固なのだが、ダ・ヴィンチはテンペラの手法でこの絵を描いており、 当初から剥落など痛みが激しかったという。 近年修復され、その姿が明らかになり、『ダ・ヴィンチ・コード』の題材になるなど話題を集めた。 上はNHKによるCG画像。 ペトロのナイフ イエスの右、こちらから見てイエスのすぐ左の3人を拡大したものが左の図である。 自分のことが言われていると分かっているのか、身を引いているのが裏切り者のユダ。 右手にはイエスを売り渡して得た銀貨を入れた袋を握っている。 ペトロは立上り、ナイフを握る右手を腰に
マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書) 作者: 岡田温司出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2005/01/01メディア: 新書購入: 11人 クリック: 194回この商品を含むブログ (68件) を見る イエスの母マリア(右)と マグダラのマリア (ピエトロ・ペルジーノ) キリスト教の「新約聖書」の登場人物の中のひとり「マグダラのマリア」は、その叙述の少なさに関わらず、現在でも人気の高い女性で、数多くの絵画や文学、映画に登場してきた。 最近では「ダ・ヴィンチ・コード」にて、イエス・キリストの妻であったという仮説とともに取り上げられたのは記憶に新しい。 聖書では、イエスに「七つの悪霊を追い出された」ことにより、彼の伝道に同行し(Luke8:2)、イエスの十字架での刑死後、その復活を最初に目撃した人と伝えている(John20:1-18) 「七つの悪霊」ということから、マ
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日〜1519年5月2日)は、万能の天才という異名で知られるイタリアのルネサンス期を代表する芸術家。 絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他科学技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残しているんだ。有名なのは、盛期ルネサンスを代表する作品『最後の晩餐』や『モナ・リザ』など。また、レオナルドの多岐に渡る研究は、13,000ページに及ぶノートに、芸術的な図と共に記録されていて、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていたという。 「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」 とは、ダビンチ自身が残した有名な言葉。 ダビンチは絵を描く前に、被写体となりうる生物の内面・内部をより知ることによって、絵を美しく真実に近づけようとする目的から、自身でも動物解剖を行ったという。後に人体の解剖に立ち会い、自分自身でも人体解剖を行い、極めて詳細に書きこんだ解剖図を
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