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ブックマーク / anemone.dodgson.org (2)

  • 書き直さない時代の気分 - steps to phantasien

    なんとなく続き。(前回) Martin Fowler が蒸し返すまで、 自分は書き直しについてことさら何か書く気が起きなかった。 どうでもよさは時がたつほど増していった。気分の出処を見直してみたい。 部分的に書き直す 最初の理由は、書き直しがゼロかイチかの大きな判断ではないという納得かもしれない。コードの書き換えには様々な粒度がある。一番小さいのが厳密なリファクタリング。一番大きいのがフルスクラッチの書き直し。その間には様々な大きさの書き直しがある。書き直しの粒度が連続的である以上、どちらか一端を擁護する議論は虚しい。 小さい刻みの変更を積み重ねれば危険を冒さず大きな変更ができる。それがリファクタリングのテネットだ。刻みは小さいほど安全だから、良いプログラマは大きな変更を連続した小さい変更へと噛み砕く。変更の難しさに実力が及ばないと刻みが大きくなり失敗の危険が増す。バグが増えたり納期に遅れ

  • 確率的に犠牲的 - steps to phantasien

    Martin Fowler が Sacrificial Architecture と言い出した時は驚いた。“変化を受け入れよ” はどこにいったの。書き直しはダメと自分の中の結論が出たのは随分前のことだけれど、ひさしぶりに考え直してみる。 Sacrificial Architecture の論拠として Martin Fowler はいくつかのインターネッツ企業を例にとっている。でも一般化するには偏ってないか。それにこれら企業が面していたのはごく限られた種類の変化だ: 彼らはもっぱら性能不足と戦っていた。 機能の変化に強いコードは柔軟性の裏で性能を犠牲にしがち。機能の変化を捉えることに先鋭化した従来の Agility は性能要件の変化を必ずしもやり過ごせない。一方で存在感を増すスタートアップの世界では性能への期待が当たり前のように大きく変わる。だから Agile はあてにならない、堅牢なアーキ

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