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ブックマーク / id.fnshr.info (4)

  • 「プーと大人になった僕」の構造的曖昧性|Colorless Green Ideas

    「プーと大人になった僕」の解釈その1 「プーと大人になった僕」という日語のフレーズから想像される状況の1つとして、以下のものがあるだろう。 「プーと大人になった僕」の表す状況として、「プーがいて、大人である僕がいる」というものがありうる。 これは要するに、「プー」と「大人になった僕」が並列されているという解釈である。しかし、「プーと大人になった僕」は構造的に曖昧であり、他の状況も表しうる。 「プーと大人になった僕」の解釈その2 このフレーズを別の構造で捉えてみよう。 「プーと大人になった僕」の表す状況として、「僕は、プーとともに大人になった」というものがありうる。 ここでは、「プーと大人になった」が1つのかたまりとなって「僕」を修飾している。そして、「プーと」が「大人になった」を修飾して、プーと一緒に大人になったということを示す。要するに、プーと僕が一緒に成長しているような状況だ。 「プ

    「プーと大人になった僕」の構造的曖昧性|Colorless Green Ideas
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    and_hyphen 2018/08/16
    日本語ムツカシイネー/ちなみに原題は「Christopher Robin」
  • 筑波大学よ、その「漢詩」は恥ずかしい|Colorless Green Ideas

    筑波大学モニュメントに含まれる銘鈑に記された「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。 筑波大学モニュメントとは 筑波大学筑波キャンパス [1] 茨城県にある国立大学の筑波大学には、筑波大学モニュメントというものがある。筑波大学側としては、「学のアカデミックシンボルの一つとして、見る者全てに、学問に宿る崇高なる精神性と高揚感を与えるものになると期待」されるモニュメントなのだそうだ [2] 。 これは、2014年に幡谷祐一茨城県信用組合会長から寄贈されたもので、幡谷会長の作った「漢詩」が記された銘板が含まれている [3] 。これから詳しく説明することになるが、この「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。一応は日文学や中国文学の教授陣もいる大学 [4] で、このような漢詩と呼ぶことができないしろものを「漢詩」と称した上で、「アカデミックシンボルの一つ」

    筑波大学よ、その「漢詩」は恥ずかしい|Colorless Green Ideas
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    and_hyphen 2017/02/04
    漢詩について学べた。よかったと思おう。
  • 『ダメな統計学――悲惨なほど完全なる手引書』の翻訳出版|Colorless Green Ideas

    科学における統計の誤用について説明した『ダメな統計学――悲惨なほど完全なる手引書』というの日語版が翻訳され、出版されることになった。この翻訳書について、どういった内容であるか、どういった人におすすめであるかを紹介する。 はじめに このたび、私の翻訳した『ダメな統計学――悲惨なほど完全なる手引書』というが勁草書房から出版されることになった。2017年1月27日ごろから書店などで手に入るようになる予定である。 アレックス・ラインハート〔著〕・西原史暁〔訳〕.(2017).『ダメな統計学――悲惨なほど完全なる手引書』東京:勁草書房. 訳書版元サイトでの紹介:ダメな統計学――悲惨なほど完全なる手引書|勁草書房 訳書版元サイトでの紹介その2(けいそうビブリオフィル):訳書の「はじめに」を閲覧可能 [1] 原書:Reinhart, A. (2015). Statistics Done Wrong

    『ダメな統計学――悲惨なほど完全なる手引書』の翻訳出版|Colorless Green Ideas
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    and_hyphen 2017/01/21
    読みたいな
  • 「無断引用」という表現はやめよう|Colorless Green Ideas

    他人の文章を自分の文章のように扱う研究上の不正は、「剽窃」または「盗用」と呼ぶのが正確であり、不正確で誤解を招く「無断引用」という表現を用いるのはやめるべきである。 「無断引用」という表現はよろしくない 小保方晴子氏が他者の文章を自分の論文に盗用したという事件 [1] があった。この事件の報道において「無断引用」という表現が各所で用いられているが、この表現は正確でなく誤解を招きやすいので、使うのはやめるべきだと思う。「無断引用」の代わりに、「剽窃(ひょうせつ)」か「盗用」と言ってほしいところだ [2] 。 引用という行為は、引用の作法を守っているかぎり、法的にも倫理的にも何ら問題のない行為である。そして、引用は基的に無断で行われる。わざわざ出典の著者の許可をとらないのである。つまり、無断で行われる引用は全く正常な行為であり、研究上の不正ではない。 研究上の不正になるのは、他人の文章を自分

    「無断引用」という表現はやめよう|Colorless Green Ideas
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