番組の感想を述べているところを、とくに脈絡もなく収集。 集め方も適当です。目に付いたところを。 【そして今後も見つけた感想を随時適当に追加していきます。】 http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060726/1153850795 http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060727/1153928865 http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060729/1154149970 http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060727/1153958256 http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060727#p1 http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060721/p1 http://d.hatena.ne.j
最近このブログ及び別ブログにおいて行ってきた一連の「弱者男性論」関連の議論でわたしが Masao さんという人に向けて書いた「あなたに戦略上のアドバイスをもらうほどフェミニズムは落ちぶれていないでしょう」という言葉がいろいろ解釈されて別のところで反発とともに(脱文脈的に)言及されたり、また一定の理解を示しつつも難点を挙げられたりしているので、ちょっとだけ解説してみたい。 まずはわたしのコメントについて言った側の論理と言われる側の論理を丁寧に見ている cyclolith さん(でよろしいのでしょうか?)のコメントを引用する。 一通り眺めての印象は、「ああ、Masaoさんがgarçons接客に遭ってる」だった。Garçons接客と云うのは、ファッションに疎そうな格好でcomme des garçonsと云うブランドの店に行った所、店員に嘲笑され(追い返され)たと云う話から考えた言葉である。金を
中村文則は二十代だし、ものごとがよく分かっていないのだろう。井口時男はどうもそんな悪辣な気がしない。いちばんたちが悪いのが松浦寿輝である。 かつて『批評空間』の公開シンポジウムで、東浩紀が自著への松浦の書評に激怒して憤懣をぶちまけ、柄谷が「松浦なんか関係ない」となだめる一幕があった。東のその怒りがもとで鎌田哲哉とも喧嘩してしまったようなもので、しかし鎌田というのも、単著もないのになぜああでかい顔をしているのか、謎である。知里真志保の怒りについては藤本英夫『知里真志保の生涯』に詳しく書いてあって、鎌田は単によく論理の分からない文章でさらに激怒してみせたら、浅田彰が『VOICE』で「怒れる批評家の誕生」とかいって持ち上げたのでその気になったようだが、まあそれはいい。 以前松浦が『文藝春秋』に随筆を書いていて、確か文春のベスト・エッセイ集『母のキャラメル』に入っている「心底驚いたこと」だと思うの
●『サイファ 覚醒せよ』文庫版あとがき:「実存的な曖昧さへ」を読んで、「まだこいつはこんな悠長な事を言っているのか」と愕然とした。 ハッキリいえば、このような思想は、その生活に対して十分な金銭という土台が築かれていることが前提条件なのだ。 ただ曖昧なままに生きていれられる強度など、金銭のない生活の上では容易に瓦解する。 ならばこうした論理が適用されるのは、若い人や現在道を迷っている人たちではなく、既に金銭という土台を手に入れた、既存の強者である。 そしてそうした強者のうち、女性に対して、「NANO主婦」という新たな付合がつけられているそうだ。 もちろん、私自身はこのようなレッテル張りに賛同しない。だいたい、主婦なんて昔っからその程度のものだろう。(念の為に書いておくが、男性会社員だって同様に「その程度のもの」でしかない。別に彼らが主体的な意味をもって会社にいるわけではないだろう) このよう
三十代になっても、音楽がなによりすき、という人がうらやましくてたまらない。かっこいいなあ、とおもう。わたしは、そういうおとなを目指しながら、いつしか挫折してしまった。日常的に、音楽をあまり聴かなくなった。音楽を聴いて、ふるえるような感動をすることがなくなった。そして、生活の中で、音楽があまり重要ではなくなってしまった。こんな自分がなさけない。十四歳のわたしがそれを知ったら、さぞやがっかりするだろうなあ。いったい、いつからこうなってしまったのだろう。せっかく買ったiPodには、NHK「フランス語講座」のテキストCDしか入っていない。しかし、三十代で、あるていど音楽から遠ざかってしまっている人なら、わかってもらえるのではないか。十代、二十代の頃とおなじように音楽と接することは、もうできないという感覚が。 感受性が鈍ってきているのだという自覚がある。わたしも以前は、もっと繊細でするどい感受性があ
わたしが子どものころに見た映画には、とてもわかりやすく「悪い人」がでてきて、堂々たる悪人ぶりを発揮していたものであった。彼らは、人類を破滅させようとしたり、世界を支配しようとしたり、社会を不安に陥れようと画策したりしていた。ひどいものである。「なんて悪いやつらだ。どこからどうみても、悪いやつらにしかみえない」と、子どものわたしは感じていた。しかし、今、そのように単純な悪役がでてくる映画はない。映画から、あの「悪い人」がいなくなってしまったのである。あの人たちは、どこへいったのだろう。あやしいけむりがたちこめる、地下の秘密基地で、どす黒い計画を練っては、「がっはっは」と高笑いしていた、あの、わかりやすい悪人たちは。きっと、わたしたちは、どこかのタイミングで気がついたのだ。 「そんなにわかりやすい悪人はいない」 では、あの悪人たちはいつ、いなくなったのか。そのタイミングについてかんがえてみると
Filed under backlash, economics Posted on 2006/07/19 水曜日 - 08:35:14 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/147/trackback/ 56 Responses - “鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問” 斉藤 Says: 2006/07/19 - 18:25:53 - すばらしい力作(あ、いつもか・・)でした。これ、今年の日本語圏フェミニスト論文大賞ものです! おっしゃるように、フェミニズムがバッシングの対象となるのは、ネオリベ社会になり、「誰が弱者であり、どの程度の手当てが必要とされるのか」
●ということで、今日は双風舎『バックラッシュ!』に対する非難(批判ではなく)。 なぜ「批判」かと言えば、双風舎編集部は自身のブログの中で「同書をつくった意味のひとつは、議論のたたき台になるようなものをつくる、というものなので。」と述べてるが、私は決してこの本を議論の叩き台にしてはならないと考える。ゆえる、両者の間に建設的意味を持ちうる「批判」ではなくて、建設的意味をもたない「非難」とする。 まずは簡単にバックラッシュに至る前提を提示する。 1、全体として「男は強者」「女は弱者」という色眼鏡でしかモノを見ていないため、結論がすべて「女性優遇」でしかなく、想像される社会が男女平等とはほど遠い。 2、「社会進出」という名前の会社的な観点でしか強弱を区分していない。「会社での地位=人間の価値」という価値観を推進してしまっている。 1+2、こうした論理がフリーターやニートという「弱者男性」、そして、
武田徹さんのオンライン日記(8/8)『バックラッシュ非難』の記事を読むと、切実さから発信する記事に対して僕は鈍感になっているんではないかという反省を覚えるが、実感として想像が届かないところがあったことは否めない。双風舎の『バックラッシュ!』を読む前にバックラッシュという言葉を知らなかったのですから、読者共同体の内と外との葛藤という問題意識は端からなかったです。 宮台真司×北田暁大の『限界の思考』のようにメインターゲットは都市部の大学院生に留まらずリーチは外(都市部の「弱者」)へと届き(実際はそのような読者も本を購入したわけですが、その一人として赤木智弘さんは本書に対して異論を呈したのですが…)、自分の日々の暮らしの生き様と本書を直截に角突きあわせた慟哭は理屈ではアクセス出来ない。 宮田清彦さんの『お便り(双風舎御中):読者共同体のあり方/双風舎 谷川茂様』は僕にとっての切実な問題、外とは何
一人で「109シネマズHAT神戸」へ。 18時からの上映で、観客は7〜8人。 病んだ人間が登場せず、あまりにさわやかで、正直 救いがなかった。 帰り道、ひどく落ち込んでしまう。 僕は、自分に思春期心性が残っているのではないかと気になっているのだが、映画に登場する「2006年の高校生群像」は、僕の自意識がいくら抵抗してもどうしようもなく「もうずっと下の世代」で、それが単なる反発の対象ではなく、「できれば自分もこうでありたかった」姿だけに、「もうお前にはこんな時代は来ないんだよ」 「どんなに長生きしても、もう無理なんだ」 「あとは老いの時間を楽しむしかない」――そういう事実を突きつける、冷酷なイニシエーションになった。 僕は『耳をすませば [DVD]』と似た、「あり得ない青春」を描いた残酷さ*1を感じたんだけど、ネット上の声を見ると、ものすごく評判がいい・・・ *1:【参照】 自分に生じている
NHK特集:21世紀の潮流 ラテンアメリカの挑戦より 「アメリカの裏庭」と言われた中南米、ラテンアメリカでいま続々と左派政権が誕生し、アメリカが主導する南北アメリカの政治・経済の統合にノーを突きつけ始めた。 自由市場経済ーーー自由競争社会の導入の結果、ラテンアメリカにもたらされたもの。 それは、競争の勝者が富を独占し、膨大な数の人々が貧困の中であえぐ、最悪の格差社会だった。 たしかに、民営化、規制緩和、市場の開放による自由競争は、効率を上げ、トータルではより多くの富を生み出した。 しかし、生み出された富が、貧しい者たちの手に渡ることはなかったのだ。 自由競争社会を推進する人々は言う。 曰く、「自由市場経済が富を生み出し、多くの貧困を解決してきたというのが、ここ数世紀の流れだった。」 曰く、「今日では、貧乏人ですらかつての貴族のような暮らしをしている。」 曰く、「かつては金持ちではなければ手
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
8月5日、サウンドデモ、参加してきました。 http://sounddemo.nobody.jp/ すでにいろいろ報告が出ているようです。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20060805/p1 http://d.hatena.ne.jp/Dryad/20060805#p1 http://d.hatena.ne.jp/KGV/20060805/1154780312 http://d.hatena.ne.jp/bullet/20060805#p2 中でも、最初に読んだ杉田俊介さんのものが大変興味深かったので、そちらを適宜引用させていただきながら書いてみたいと思います。 一つだけこうしよう、と思っていたことがあって、デモには「参加」せず、「見学」しよう、と。ずっと付かず離れずで「併走」というスタンスを取ろう、そこから見えてくるものを見よう、と。いかにも
この夏の三大アニメ映画は一通り目を通しておきたいと思っていたので、今日はゲド戦記をみてきた。 結論からいうと、面白い。映画館に足を運んで金と時間を費やす価値は十二分にある。偉大な父・宮崎駿氏の業績と比較しても決して引けをとらない出来だった。 前前から、ネットでのゲド戦記の評判の悪さは目にしていて、やれ「意味がわからない」だの、やれ「親の七光り」だのと、ネガティブな感想が大半を占めているような事前の印象だった。で、今日はいろいろ用事を済ませて、暑かったし家でのんびりしようか、でも土曜のうちにみておきたいな、と思ったのでみにいった。 劇場はさいたま新都心の MOVIX さいたま、 20:40 からの回で、十分前に行ったがすんなり入れた。運良くレイトショー料金だった。客は四割程度の入りで、時間が遅いのもあるけどやっぱ客足イマイチなのかな、なんて思ったりした。 お話のほうはというと、確かに唐突な展
■マナーとかモラルとか 仕事柄毎日不特定多数の人を目撃し接しもするが、特に最近モラルやマナーが悪くなったとは感じない。図書館の雑誌や本を切り抜いたり書き込みをして返してくるような人、勝手に持っていって返さない人などは昔からいたし、注意すると逆切れする人や自分だけ便宜を図れとごねたりする人も常に一定数はいる。路上でのタバコの吸殻ポイ捨てや自転車の違法駐輪なども今に始まったことじゃない。モラルとかマナーとか言う場合、親のしつけが問題とされることが多いが、私が見かける範囲ではたいていの親はそれなりにわが子をコントロールしてるし、子どもが何かいたずらをしたら「すみません」くらいのことは言う。子どもに「ありがとう」を言わせようとする親もけっこういる。つうかこっちこそ以前より増えてる気がするくらいだ。 モラルやマナーが悪くなったと感じる場合、それはそう感じる側のモラルの基準が以前より厳しくなったからと
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
leleleさんが薔薇族の伊藤文学にインタビューしている。そう言えば二年程前にブログで伊藤文学/バ〜ラが、散った、真っ赤なバラ達が というエントリーをしていたんだ、ここに書いていたように僕がいた本屋では結構「薔薇族」の定期購読者がいました。それがほとんど女子高校生で、男子高校生が買ってくれた記憶がないですね、そこが不思議なことで、インタビュー記事で熊本の男子高校生が自殺した事件について書いていますが、さもありなんという思いがあります。 しかし、伊藤さんの見立てで寺山修司は「ゲイ」らしいが、ホント?かという疑念があります。でも例えそうだからと言っても驚かないが、ヘテロであって同時に同性愛者もいますし、性ほど多様性に満ちたものはない。わけわかんないものです。僕はそう理解していますから、ノーマルとアブノーマルをそんなにはっきりとカテゴリーライズしているわけではない。ただ、僕なりの仕分けルールは習
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