ロボットは無生物である。生きていない。つまり、藤子は“ロボット”というコトバに託して、ドラえもんが“死体”であるということを、さりげなく織り込もうとしたのではないだろうか。 ドラえもんとは、土左衛門なのである。 ダジャレではない。異界の者=異人との接触をテーマに据えつづけてきたような藤子・F・不二雄にとって、土左衛門信仰のような典型的な異人譚は、当然おなじみのものだっただろう。むしろ、ぬけぬけと「ドラ猫のドラ」「ドラ焼きが好物」といいきった藤子こそが、ダジャレを言っているのだ。 土左衛門信仰とは、エビス様、つまり「漂着した外国人の溺死体」のことだ。そんなおそろしいモノが福の神として信仰されたのは、「死体のポケットを探ると、いろんな宝物が出てきた」からであると考えられている。 大陸の人たちの所持品は、先進文化の産物であり、当時の日本人にとっては、まさしく魔法の道具だった。 そしてその体は、ガ