『日本語が亡びるとき』の話が色々物議を醸してるようで、何となく思ったことをば。 ある意味、こういう「英語の普遍語化」みたいなのは、今更感みたいなのもちょっとあって、というか、インターネットをもっと昔からやってきた感覚として、それとは微妙に違うところで、日本語のガラパゴス性みたいなものの側面として「シングルバイトとダブルバイトの決定的差異」みたいなことを思うことは多かったものである。 つまりだ。 例えば日本人である我々は、アルファベットと最低限の英語さえ何とかなれば、ギャロであろうがディレクトリウムであろうがヘタするとルートコやポーランドといったマイナー国のサイトからですら、情報を得ることはそう難しくはない。所詮競馬の情報なんて、着順や着差、レースの賞金、勝ち馬の父と母という単語・数字レベルの情報であり、それらの文脈を総合してどのレースが大レースかとかその国の最強馬はどの辺りかなんてのも大方