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ブックマーク / kanetaku.hatenadiary.org (8)

  • 歴史の動力としての県人会 - 新・読前読後

    三郎さんの最新著『ミステリと東京』*1(平凡社、→10/31条・11/12条)には、もともとの『東京人』連載分に加え、“ボーナストラック”として、むかしの東京を舞台にしたミステリの書評2が収められている。このうち物集高音『大東京三十五区 冥都七事件』は新刊のとき読んだ(→旧読前読後2001/2/20条)。 いっぽうの典厩五郎『探偵大杉栄の正月』*2(早川書房、2003年刊)は、川さんの書評を読むまで、存在すら知らなかった。こういう読者にとって、『ミステリと東京』には版元情報の記載がないのが不親切で、唯一の不満点だった。でも幸いだったのは、その記憶が薄れないうちに出張のため宿泊したホテルの近くにあったブックオフ(大阪吹田江坂店)で出会えたことだった。 そんな出会いも嬉しく、興に乗ってそのままホテルで読みはじめる。読み終えるまで一週間近くかかってしまったが。 時代は明治44年正月。大逆

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    another 2007/12/28
  • 銭ゲバ復権 - 新・読前読後

    先月シネマヴェーラ渋谷に「結婚の夜」を観に行ったとき(→9/12条)、二立てだったため「ついでに」観たのが、唐十郎主演の「銭ゲバ」だった。 「結婚の夜」も面白かったのだが、70年代的なわびしさ(わたしにとっては懐かしさ)を感じさせる画面の「銭ゲバ」も、唐十郎や加藤武のどぎつい演技とともに強い印象に残ったのである。 そのとき感想をアップしたところ、「銭ゲバ」がキーワード登録されているのに驚いた。むろん映画ではなく、ジョージ秋山の原作が、である。というより、わたしが無知だったのだ。ふだん漫画を読まず、ジョージ秋山の代表作「浮浪雲」ですら名前を知っているだけで読んだことはない。「銭ゲバ」はジョージ秋山初期の代表作だったのである。 さらに驚くべきことに、幻冬舎文庫の今月の新刊として、この『銭ゲバ』が上*1下*2巻二冊で復刊されたのである。つい買ってしまったではないか。 下巻帯オモテにある「長年入

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    another 2007/10/14
  • アサガヤアタリデ… - 新・読前読後

    井伏鱒二が五言絶句の漢詩「田家春望」の結句「高陽一酒徒」を「アサガヤアタリデ大ザケノンダ」と訳したのは有名な話。もっとも、上の結句だけを対応させてしまうのは、紹介の仕方として問題はあろう。 その井伏鱒二を囲むように中央線文士が「阿佐ヶ谷会」という集まりを持っていたことは、彼ら、すなわち井伏、上林暁、木山捷平といったメンバーの書いた文章や、中央線文化を語る文章を読んだりして知ってはいた。 また、最近「新阿佐ヶ谷会」と称し、阿佐ヶ谷会の会場提供者で中心の一人だった青柳瑞穂のお孫さんである青柳いづみこさんや、川三郎さん、岡崎武志さんらやはり中央線沿線に住む方々が集まりを持っていることも、上記どなたかの文章で知ったはずである。 その青柳いづみこ・川三郎のお二人の監修で出された『「阿佐ヶ谷会」文学アルバム』*1(幻戯書房)を読んだ。 著名な文士の集まりとして、文壇史的にも有名であるにもかかわらず

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    another 2007/09/18
    阿佐ヶ谷に集まった文士、そこから距離を置いた文士。
  • 工手学校への好奇心 - 新・読前読後

    茅原健さんの『工手学校―旧幕臣たちの技術教育』*1(中公新書ラクレ)を読み終えた。 工手学校は明治20年(1887)、中堅工業技術者養成のため設立された私立学校で、現在の工学院大学の前身である。 工手学校に対する関心が芽生えたのは、初田亨さんの『職人たちの西洋建築』*2(ちくま学芸文庫)を読んで以来だと思う(旧読前読後2002/11/14条)。さらに工手学校出身者である竹田米吉さんの『職人』*3(中公文庫、→2004/1/18条)を読んで関心の度合いが高まった。 明治の世が到来して西洋建築が日に入ってくるが、その流れのなかで、現在の東大工学部の前身である工部大学校は、辰野金吾に代表されるエリート建築家を育てる目的の教育機関として設けられる。 ただ実際建築にあたるのは現場の職人たちであり、彼らは別に西洋建築を正面から学んだわけではないのである。そんなエリート建築家と現場職人の間に立ち、専

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    another 2007/07/14
  • 書物へ沈潜せよ - 新・読前読後

    筒井康隆さんの新作長篇『巨船ベラス・レトラス』*1(文藝春秋)を読み終えた。 カバー装画は柳原良平さん。豪華客船を輪切りにして、あらわれた船室に蠢いている有象無象の人物たちの姿を、あの特徴ある描き方で描いたイラストである。客船と言えば柳原さん、ということなのだろうし、とても素敵な図柄なので気に入っているのだが、これまで筒井康隆・柳原良平という組み合わせはあったのだろうか。古くからの筒井ファンではないので、この組み合わせが新鮮だった。 帯の惹句によれば「現代日文学の状況を鋭く衝く戦慄の問題作」であり、挟み込まれた新刊案内リーフレットには、旧作『大いなる助走』からのつながりが示唆されている。文学賞受賞をめぐる出版界の内実を一流のスラップスティックで描いた『大いなる助走』はかつて読んでいる(旧読前読後2003/1/17条)。 その記憶もほとんど薄らいでいるからいい加減なのだが、今回その姉妹編と

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    another 2007/03/25
  • 2006-12-03

    秋田県とわが山形県はもともと出羽国というひとつの行政単位だった。近代になって羽前(山形)・羽後(秋田)と分かれ、現在につながる。 このあいだ秋田を訪れ、初めて佐竹氏の居城久保田城跡(現千秋公園)に行ったとき、感じたことがある。秋田駅からの近さだった。秋田の玄関口である秋田駅から目と鼻の先にお城がある。いや、順序から言えば、お城の近くに駅が設けられたとすべきか。 ここでわが山形市にある山形駅を思い出さないわけにはいかなかった。山形駅も山形城跡(現霞城公園)のすぐ近くにあるからだ。山形駅から北に向かうとまもなく城跡があり、そればかりか奥羽線の線路は二の丸のお濠端に平行して走っている。ただ、駅からの近さで言えば秋田のほうが近いかもしれない。 加えてさらに思い出したのは、その少し前に訪れた秋田県北部の古い町大館だった。こちらは逆に、町の中心部から大館駅がえらく離れていた。バスでないと行けないよう

    2006-12-03
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    another 2006/12/04
  • 2006-09-08

    あたりまえだが、国境、県境など、土地を分ける境界線は目に見えるように地面に引かれてあるわけではない。あくまで概念上のものであって、決めるのは人間である。まっさらな空間に線を引いて分節化し、仕分けられた場所ごとに名前をつけ認識してゆく。人間による認識行動のひとつが地名なのである。最も没個性的なのは数字による識別だろうが、数字が付されず残った土地ですら、「網走番外地」のような名前を付けられて認識される。 地名の付け方は多種多様だ。普遍的な方法(土地の特色による)もあれば、地域的個性、歴史的個性がある。その地名がいかなる由来で名付けられたのかを知ることは、その地域がいついかにして人間に認識され空間として受け入れられたのか知る手がかりになり、名付けた人々の文化的特質をうかがうすべになる。 大学の生協書籍部をさまよっていたら、一冊のが目に飛び込んできた。棚の目立つ位置に、つい手に取りたくなるように

    2006-09-08
  • 新・読前読後

    (2003年2月15日記) 林芙美子は1903年(明治36)12月31日に生まれたとされる。いま伝聞体で記したのは、出生届が翌年1月5日に出されたからで、また誕生日に諸説あるからである。川三郎『林芙美子の昭和』(新書館、以下川書と略)巻末の年譜によれば、母はその年の六月に生まれたと語り、人は五月生まれだと『放浪記』などに記しているという。いずれにせよ1903年に生まれたことは動かせないようで、とすれば今年は生誕百年ということになる。川書はまさに絶妙のタイミングで出版されたわけだ。私もそのおかげを蒙って、彼女の生誕百年という節目の年に彼女の人となりや作品に触れる機会を得ることができた(感想は2/7条参照)。 川書を読んで知ったのは、彼女は現在の新宿区下落合近辺に長い間居を構えていたということであり、また終の棲家となった邸宅はいま区立の記念館となって保存されているということである。読

    新・読前読後
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    another 2006/06/16
    我が家では生存していますがなにか(泣)。
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