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廃墟に関するaovenのブックマーク (46)

  • 「メルヘン廃墟」には本当に人がいないのか? かつて憧れだった「清里」のいま|楽待不動産投資新聞

    1980年代に小・中学生だった人たちにとって、山梨県にある「清里」は憧れの場所だった。「おしゃれタウン」として、その名をとどろかせていた。 テレビで人気の芸能人が次々にお店を出して、行列で並んでいた。世はバブルでギラギラとして楽しそうだった。 うちの父親はそういう浮ついたブームが大嫌いだったし、そもそも親と行ったって楽しくはないだろう。当時、結局行くことはなかった。 「いつか清里へ……」 などと思っていたら、あれよあれよと言う間にバブルは崩壊してしまい、国内旅行より海外旅行が人気になって、いつの間にか忘れてしまっていた。 清里も、バブル崩壊とともに衰退の一途をたどったようだ。ネットではその雰囲気から、「メルヘン廃墟」などと言われたこともある。 少し前に、そんな清里を訪れてみた。現在の様子をリポートしよう。 40年近い年月が流れ、世の中はずいぶん変わったが、清里は意外なほど変わっていなかった

    「メルヘン廃墟」には本当に人がいないのか? かつて憧れだった「清里」のいま|楽待不動産投資新聞
    aoven
    aoven 2024/08/13
    駅前より郊外が賑わっているのね
  • 「なぜか惹かれる」「こんな場所あるんだ」“廃線”と“廃道”が交差するこの場所は一体どこ?|Domingo

    鉄道や道路が廃止された跡に残る、“廃線”と“廃道”。かつての風景を想像させるその姿を一目見ようと、名物スポットなどを訪れる愛好家は少なくありません。そんなロマンあふれる“廃線”と“廃道”、その二つが交差している貴重な場所が北海道にあります。 写っているのは、縦に真っ直ぐと伸びる廃線の跡と、それに重なるように斜めに交差する廃道の跡。それぞれの歴史を感じさせる一枚の写真に、SNSでは「最高かよ」「行ってみたい」「北海道らしい景色」などのコメントが寄せられ、1.5万いいねを超える注目が集まっています。 “廃線”と“廃道”が交差する場所は、北海道の天塩町にあった 投稿主は、全国の廃線跡を700カ所以上探索している歩鉄の達人さん。写真の場所は、北海道の北、日海に面する天塩町にある、羽幌線の廃線跡と旧国道40号線が交差している場所。歩鉄の達人さんは、「天塩大橋の付け替えに伴う国道40号線のルートが変

    「なぜか惹かれる」「こんな場所あるんだ」“廃線”と“廃道”が交差するこの場所は一体どこ?|Domingo
  • ケージ落とし(6) : LOST COAL MINE 新炭鉱技術

    仮密閉はされていなかった 排気立坑は止まっていた 無いと思っていたメタンガスが、そこにあった お爺さんの証言を調べていくと、資料を見ているだけでは絶対に気付かなかった事故の違う側面が見えてきました。もしかすると、お爺さんの証言も私たちの推測も全て間違っていて、唯一無二の証拠があるのかも知れません。それこそ仮密閉の写真や、事故当日の作業直前の様子を写した写真などがあれば、我々の推測など簡単に覆るでしょう。 しかし現状、お爺さんの証言のウラを調べてきた私たちは、調べれば調べるほど公式見解とは真逆の結果になるような事象をたくさん見てきました。そこには私たちの行き過ぎた憶測もあるのかも知れませんが、公式の言う「仮密閉は既に行われていた」とする記述と「爆発の原因は不明」とする記述をどんどん信じる事が出来なくなっていました。 ですので改めて言いますが、 私はお爺さんの証言を全面的に支持します。 閑話休

    ケージ落とし(6) : LOST COAL MINE 新炭鉱技術
    aoven
    aoven 2024/08/03
  • 「不法侵入は立派な犯罪です」 岡山県警がホテル跡地への立ち入り禁止対策を強化 | KSBニュース | KSB瀬戸内海放送

    岡山県倉敷市の廃墟となっているホテルで不法侵入が相次いでいるとして8日、岡山県警が立ち入り禁止を呼び掛けました。 立ち入りが禁止されている倉敷市下津井の「ホテル ラ・レインボー」の跡地です。8日は、跡地の前で児島警察署の警察官が不法侵入への対策として作ったチラシなどについて報道機関に説明しました。 警察によりますと、このホテルは約25年前に閉鎖され、肝試しや撮影などの目的で無断で立ち入る人が後を絶たないということです。そこで2021年10月、警察の呼び掛けで施設の管理者が有刺鉄線や立ち入り禁止の看板などを設置しています。 (記者リポート) 「廃墟となったホテルには看板や有刺鉄線が設置されていますが、無断で侵入する人が後を絶たないということです」 2月20日、警察がサバイバルゲームをしていたとみられる男2人を建造物侵入の疑いで現行犯逮捕しました。警察によりますと、この建物に不法に侵入したなど

    「不法侵入は立派な犯罪です」 岡山県警がホテル跡地への立ち入り禁止対策を強化 | KSBニュース | KSB瀬戸内海放送
  • #056 下九一色小学校下芦川分校

  • #003 翁島ペンション

  • 祖父がかつて山奥に別宅を建てていた。親族すら記憶にない別荘が果たして今どうなっているのかと曖昧な情報を頼りに山に入ってみた

    me_young_sitter/ジュース瓶研究 @me_young_sitter 祖父がかつて山奥に別宅を建てていて、たまに知人や親戚を招いていたという噂があった。自分が生まれた頃には既になく、その存在自体を知ったのもここ数年のこと。親戚も遠方&高齢化で話をする機会もなく、記憶にすらない者が殆ど。果たして今どうなっているのか?曖昧な情報を頼りに山に入ってみた。 pic.twitter.com/HvfYo18SFP 2024-04-21 15:02:52

    祖父がかつて山奥に別宅を建てていた。親族すら記憶にない別荘が果たして今どうなっているのかと曖昧な情報を頼りに山に入ってみた
  • 真庭の校歌収集 廃校後も共有し「財産」に:山陽新聞デジタル|さんデジ

    少子化に伴う学校の統廃合が進んでいる。岡山県内の小中学校は年度538校で、この10年間で50校余り減った。この春も総社市と美咲町の6校が新しい学校に移行して廃止となる。 廃校を含む真庭市内の小中学校の校歌について、市立図書館が地域おこし協力隊との協働事業として情報を収集、整理、発信している。「真庭校歌研究室」と名付けた活動はユニークだ。 市民に情報提供を呼びかけ、学校の思い出などを聞き取るとともに校歌を歌ってもらう。それを記録し、許諾を得て動画投稿サイト・ユーチューブの市立図書館公式チャンネルで公開している。 33校目となる有隣中学校の校歌が先日、収録された。1949年開校し、70年に落合中学校に統合され閉校となった学校である。跡地のグラウンドに、約30人のかつての生徒と教員が集まり、歌詞の掲示を見ながら歌った=写真。 作曲者でもあり、卒業し60年余になる山和子さん=同市=と日笠伸子さ

    真庭の校歌収集 廃校後も共有し「財産」に:山陽新聞デジタル|さんデジ
    aoven
    aoven 2024/03/18
    特に田舎では統廃合で失われた校歌が山ほどあるので、知っている人が多いうちに積極的にアーカイブすべき
  • バブル崩壊後に閉業・廃虚化…温泉街のホテル再生へ 群馬・みなかみ | 毎日新聞

    かつて多くの団体旅行客でにぎわった水上温泉街(群馬県みなかみ町)で、廃業したホテルの建物を再生するプロジェクトが進められている。町とともに手がけているのは、東京大大学院の大学院生や民間企業、地銀。バブル崩壊などで廃業し、老朽化したまま放置された大型旅館やホテルが廃虚と化して各地で問題になっている中、地元住民と話し合いを重ね、新たな温泉街の魅力を掘り起こそうとしている。 「温泉街の玄関となる広場を整備し、街の中心部を川の音を楽しみながら歩けるようにする」。昨年12月11日、群馬銀行旧水上支店で東大の大学院生らが住民にプロジェクトのコンセプトを説明した。

    バブル崩壊後に閉業・廃虚化…温泉街のホテル再生へ 群馬・みなかみ | 毎日新聞
  • 迷惑行為続出「廃墟ホテル」撤去が難しい複雑事情

    観光庁はコロナ禍で傷んだ観光産業を立て直すため、2020年度第3次補正予算で「負の遺産」である廃屋撤去の支援に乗り出し、これまでに補助金を使って167件の撤去が完了した。 バブル崩壊後にホテルが相次ぎ倒産し、長らく低迷していた長野県・白樺湖でも、景観を損ねていた廃墟状態の大型ホテルが撤去され、滞在型リゾートとして再生の道を歩み始めた。関係者が「一筋縄ではいかない」と声をそろえる道のりを追った。 廃墟探訪コンテンツとして発信される 白樺湖は茅野市と立科町の境界、標高約1400メートルに位置し、夏は避暑地、冬はスキーの旅行客を中心に、コロナ禍前は年間200万人が訪れていた。 だが近年は招かざる客にも悩まされてきたという。検索サイトやYouTubeで「白樺湖」と入力すると、予測変換に「廃墟」が表示される。バブル崩壊後に営業停止したホテルや民宿が放置され、YouTuberやブロガーが現地を訪れては

    迷惑行為続出「廃墟ホテル」撤去が難しい複雑事情
  • 取得した築86年の旧農協の改修に向けて8/29(火)からクラウドファンディングに取り組みます #美又PJ - #JCEJ 活動日記

    これまでもお伝えしてきた島根県浜田市の美又エリアに立つ旧農協(旧美又信用購買販売組合事務所)を修繕するプロジェクト。地域の歴史や語りを取材・記録・発信するローカルジャーナリスト活動の拠点として。また地域に新たなつながりをもたらす「共存同栄」のシンボルに生まれ変わらせることを目的にしています。 老朽化で天井に穴が開き、窓のガラスも壊れたまま ただ、旧農協の建物は建設から86年が経ち、老朽化も激しい木造建築を現代で再び活用するには、多額の修繕費用が必要になります。例えば、特に二階は見学に来られる方が目を奪われるような天井が高い素敵な空間となっていて、凝ったつくりにもなっていますが、一部が壊れて穴が開いたり、破れたりしています。 また、壁の漆喰も剥がれ落ちてしまっているほか、木の窓枠も一部はガラスが壊れたままなくなり、板でとりあえずの補修がしてあるという状態です。 建築当時の材料や技術が残ってい

    取得した築86年の旧農協の改修に向けて8/29(火)からクラウドファンディングに取り組みます #美又PJ - #JCEJ 活動日記
    aoven
    aoven 2023/08/28
    放置すれば朽ちる一方なので、積極的活用はいいこと
  • 解体された廃医院で、慶応元年生まれの人のカルテを見た話

    道民の人(廃墟とひなびた風景)@8/13 C102【東2 Y-21b】 @North_ern2 北関東の今は解体された廃医院で、慶応元年生まれの人のカルテを見たことがある。昭和17年受診のものだった。確かに当時なら決して少なくはなかっただろうけど、それでも1865年→1942年で満77歳なわけで…。 pic.twitter.com/r1AJXECII7 2023-07-09 00:30:04 道民の人(廃墟とひなびた風景)@8/13 C102【東2 Y-21b】 @North_ern2 昨年2022年は明治維新から太平洋戦争終戦の期間と戦後の期間が77年間、ちょうど釣り合う年だった。昭和17年に受診したトラさん…ちょうど私たちが戦中に生まれた人を見るような感じだったのかなあと思うが、たった150年ちょっと前が江戸時代だったと思うと不思議なような恐ろしいような気がする。 2023-07-09

    解体された廃医院で、慶応元年生まれの人のカルテを見た話
  • 記憶に残る廃村旅 浅原 昭生(著/文) - 実業之日本社

    初版年月日 2021年11月 書店発売日 2021年11月8日 登録日 2021年10月7日 最終更新日 2021年10月25日 紹介 かつてそこには人の営みがあった集落。生活の基盤があり、小規模な……場合によっては大規模な学校があったところもあった。しかし、さまざまな事情から、人々はその地を離れ、やがて無住になった。書は、冬季無住集落や1戸が残る集落なども含めて、そうした集落への旅と調査を綴ったものだ。 現地で出会った人たちに話を聞き、いくつかは繰り返し訪問している。主な交通手段は、バイクから電車・飛行機と自動車の組み合わせへとシフトしている。船や自転車に乗ったり、山歩きすることもある。40年半、1025カ所を探訪した旅の記録から、さまざまな観点で50の集落を収録している。 【収録集落】 ●北海道 夕張市北炭夕張 美唄市東美唄 神恵内村オブカル石 滝上町中雄柏 浜頓別町山軽 ●東北 青

    記憶に残る廃村旅 浅原 昭生(著/文) - 実業之日本社
  • 心霊スポット【畏怖】

    心霊スポット【畏怖】
  • 坂の街 広島県尾道市で写真を撮りながら練り歩く、そんな1日です

    記事内に広告を含みます: そして最近子供が生まれました。とても可愛いです。できればミルクをいっぱい飲ませてあげたいです。 だから、さ、わかるよね…? 広島県尾道市です。このブログで何度も取り上げている通り、私は尾道が大好きです。海あり山あり寺院ありと、散歩するだけで面白いもの、楽しいものが待ち構えます。今年の夏に尾道に行ってきて町並みの写真をいくつか撮ってきたので紹介します。 まずはこの持光寺の延命門からスタート。重厚な石門はパワースポットとしても人気で、この門をくぐると寿命増長を授かれるそうです。手軽だな! 尾道フォトウォーク・オブ・ザ・デイ あれに見えるは尾道城と、尾道ビュウホテル セイザン。遠目で見るとどちらも廃墟っぽいけど、ホテルは現役です!山頂だし周りにコンビニもないしで大変そうだけど、見晴らしがよく、夕のタイ料理がイケてるそうです。 廃墟と化した尾道城については過去記事参照。

    坂の街 広島県尾道市で写真を撮りながら練り歩く、そんな1日です
    aoven
    aoven 2023/01/04
    尾道で泊りがけロケも悪くない
  • 樹木に覆われた「小野中学校」/広島県の木造校舎・廃校

    広島県の廃校「小野小学校」へ行く途中、偶然にも樹木に覆われた木造校舎らしい屋根が見えたので寄ってみると「小野中学校」碑が有り、これを書いてる時に調べると、この碑が有る広場が運動場らしかった。 木造校舎の下調べしていた時に、チラッと「小野中学校」の学校名が出ていたのですが、どこに学校が有るのかわからず、あきらめていた学校です。 校舎へ近づくと、樹木がワンサと木造校舎の周囲を取り囲んでおり、玄関扉は壊れているし、教室の外板も壊れて中が見えます。 学校内を拝見すると、やはり荒れており、廃墟趣味の人は喜ぶだろなぁ。 二階に上がると珍しく広い講堂が有り、普通は一階に設置すると思うが・・。 あまり学校の所在地を知られていないよおなので、そのうち自然に倒壊するのを待つばかりかかもしれません。 ←前頁「戸宇小学校」へ   次頁「小野小学校」へ→ 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「五木の子守唄」を

    aoven
    aoven 2022/11/24
    Googleマップにあったが、かなり山奥にありそう
  • ヤマモトロックマシン自治寮活用プロジェクト|広島東城

    [皆様へのお願い] ■ヤマモトロックマシンの建物は会社が所有しており、その多くは現在も業務に使用されています。建物内部は通常非公開です。敷地についても通常は許可なく立ち入ることはできません。 ■見学は、ヤマモトロックマシン自治寮活用プロジェクトなどが主催する見学会等の機会をご利用ください。 ■会社へ直接問い合わせる行為は、業務に支障し会社側のご迷惑となりますので、おやめください。 [お問い合わせ先] ヤマモトロックマシン自治寮活用プロジェクト ■メール: yamamoto_project_14@yahoo.co.jp   クリックするとメールソフトが起動します。 ■Facebook: www.facebook.com/YRMPtojo   クリックするとFacebookが開きます。

    aoven
    aoven 2022/11/24
    庄原市東城町にこんな素敵な建物があるとは思わなかった
  • 秩父山奥の廃山荘「鹿の湯山荘」2010年1月撮影 - Blog@yamaro.info

    過去写真のアーカイブとなります。 2010年1月、埼玉県秩父市の熊倉山にある廃山荘「鹿の湯山荘」を撮影しました。 細く荒れた山道を登って途中で車を止め、少し歩くと見えてくるのがこの旅館。 アクセスも良くなく、駐車場もなく、日当たりの悪い立地ですが、現役当時は奥にスキー場もあったそうで、いわゆる山奥の鄙びた宿として、現役当時はそこそこ人気だったようです。 一部建物の崩壊が激しく、この撮影当時でも、倒壊も時間の問題と思われました。 平成初頭、つまり90年代までは営業していたようで、色々調べると、山奥の山荘らしく、猪鍋や山菜料理がでる、おばあちゃん3人が仕切っていた、という宿のようでした。 この撮影後、やはり倒壊してしまった(崩壊が激しく意図的に倒壊させた)との情報もあり、Googleマップの衛星写真を確認したところ、建物のあった場所は確認できましたが、すでに建物はなく、撤去されているように見え

    秩父山奥の廃山荘「鹿の湯山荘」2010年1月撮影 - Blog@yamaro.info
    aoven
    aoven 2022/11/01
    平成初期までは老人がひっそりと運営していた模様で、昭和の忘れ形見だったかもしれない
  • 〈廃墟写真〉「なくなることなどあるはずがない」と誰もが考えていた…岩手県の山中に存在した“雲上の楽園”の悲しすぎる末路 | 文春オンライン

    八幡平の高地、かつて栄えた「雲上の楽園」 松尾鉱山は、東北地方の中央部、奥羽山脈に連なる岩手山と八幡平(はちまんたい)の間、標高およそ1000mの人里離れた高台に存在していた。 鉱山としての松尾の沿革は江戸時代にまで遡り、当時は専ら金銀銅を産出していた。松尾で硫黄採掘が初めて行われたのは1874年で、1882年には佐々木和七という人物が硫黄の大露頭を発見し、鉱山としての開発に着手している。しかし、当時はまだ硫黄の資源としての価値が十分に認められていなかった時代であったため、開発に必要な資金が集まらず、一部の早すぎた人々だけが、大量の硫黄が眠る原生林を人力で切り開いたに過ぎなかった。 明治後期になると、松尾の試掘権は佐々木和七の手を離れて幾人もの間を転々とし、最終的に1911年、横浜増田屋グループという貿易商を営んでいた中村房次郎の手に渡る。彼は明治期にいち早く海外における硫黄の需要に着目

    〈廃墟写真〉「なくなることなどあるはずがない」と誰もが考えていた…岩手県の山中に存在した“雲上の楽園”の悲しすぎる末路 | 文春オンライン
    aoven
    aoven 2022/10/26
    これからの令和時代、同じ末路を製造業が歩みそうで怖い
  • 広浜鉄道 | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト

    広島と浜田を結ぶ陰陽連絡鉄道である広浜鉄道の開通は、近代化が進む明治20年代頃からの先人の悲願でありました。今福線は広浜鉄道の島根県側のルートとして、昭和8年に山陰線下府駅から石見今福駅までの約15kmが着工されました。しかし、工事がほぼ完成した昭和15年に戦争のため建設が中断、戦後、今福線旧線とは別に山陰線浜田駅を起点とする今福線新線約12kmとして工事が再開されましたが、昭和55年に国鉄改革の余波で再び建設が凍結されました。以後、工事を引き継ぐ事業者も現れず未成線として終わり、「幻の広浜鉄道」と呼ばれるようになっています。線路跡にいくつも立ち並ぶ黒ずみ苔むした巨大な橋脚や、戦時中の鉄の使用を減らすため多用されたコンクリートアーチ橋などの造形美も楽しむことができます。

    広浜鉄道 | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト