ちょっと競馬方面は微妙にヘコみ気味なので、アクセス稼ぎな天皇ネタ(嘘)を先出ししておこう(挨拶。 「天皇」という称号は、中華においては674年に唐の3代目となる高宗が称していて、その後改めた記録が無いから、恐らくこの皇帝はその後終生それを名乗っている。しかし、高宗の後を継いだ中宗の一度目の即位について、舊唐書は「高宗崩,遺詔皇太子柩前即帝位」ということで、「皇位」ではなく「帝」が使われており、同じ在位について同時期、というか高宗時代の半ばから実権を握っていた則天の本紀では、その翌年の廃位について 二月戊午,廢皇帝為廬陵王,幽于別所,仍改賜名哲。己未,立豫王輪為皇帝,令居於別殿。 と記述しており、要するに高宗に加えられた「天皇」は一代限りの呼称であった。では、何故これが一代限りだったのだろうか、というのが今日のお話。で、実際のところ、これも則天紀の即位前段に答えがあって、つまり、この称号自体