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otakuとchronicleに関するas365n2のブックマーク (2)

  • オタク第2世代が生き延びてきた80年代後半の「アニメ冬の時代」 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    俺は松谷さんのような第二世代の論客が台頭してきて、社会学的なアプローチからオタク問題について書き始めるのを待っていました。先にも言ったように第一世代は当事者性が強く、それがゆえのメリット・デメリットが諸刃の剣になってしまうところがあります。つまり自分の体験を特権化するあまり、客観性が保ちにくいということですね。 第二世代から見た「オタク問題史」: たけくまメモ オタク第1世代である竹熊健太郎による言葉。 これまでオタク論と言えば、竹熊や大塚英志、岡田斗司夫、宮台真司などオタク第1世代(1960年前後生まれ)によって紡がれることが多かった。ただ、彼らは70年代後半、"オタク状況"が成立した現場に立ち会ってきたこともあって、それゆえに発言の中に好むと好まざると自分の見てきた視点からのバイアスがかかってしまう。で、その下の世代によって歴史をまとめていくことが大事なんだ、という文章だと理解した。

    オタク第2世代が生き延びてきた80年代後半の「アニメ冬の時代」 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • オタクと大塚英志と宮崎勤と秋葉原通り魔殺人事件と彼らの世代 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    昨日(08年6月18日)、評論家の大塚英志が朝日新聞の文化面で書いていた「この20年で失われたもの 宮崎勤死刑囚の刑執行に寄せて」が興味深かった。 いまのナウなヤングは皮膚感覚として理解していないかもしれないけど、大塚って、オタク論壇というものが初めて出現した1989年から数年は斯界の主要プレイヤーであり続けた。 そもそも「オタク論壇」が生まれたきっかけが、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件だったというのは言うまでもない。その数年前から、大塚は『システムと儀式 (ちくま文庫)』(単行は1988年)と『定 物語消費論 (角川文庫)』(同1989年)に連なる一連の論考で、アニメマニアのみならず、業界関連者からもかなり注目されていた。押井守も、彼の著作をかなり読み込んでいたと後のインタビューに答えている。これまでの「大きな物語」が終焉すると共に、消費者がその物語を自己流に解釈して消費

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