前回の続きだ。最後に書いたようにぼくが宇野常寛氏(以下敬称略)の新作「リトルピープルの時代」での疑問点は3つある。 (1) グローバル資本主義というシステムと小さなビッグブラザーである個人が一体になって新しい”壁”をつくっていると主張しているように本書は読み取れるが、その両者を区別せずにリトルピープルという言葉で扱うのは、本書の議論上では妥当とは思えない。 (2) (1)による混乱からの帰結として、拡張現実が新しい”壁”への対抗法という結論になってしまっているとぼくは考える。これはシステムが生み出す現実からの逃避をたんにいいかえているだけではないか? (3) 本筋ではないと思うが、村上春樹への批判は想像力の欠如ではなく、倫理的にやってほしいという、これはぼくの個人的な希望である。 (1)についてだが、宇野常寛はだれしもが小さなビッグブラザー=リトルピープルとなるのが現代だといいつつ、しばし