ここで「男性」と書いたのは、有能/無能二元論とテクノクラート意識というのは、マチズモとしての男性規範と相性がいいのではないかという考えからだ。自らの弱さ、自らの無能を認めず(すなわち、無能は不能を想起させるから)、常に有能であろうとする男、対話によってではなく、自らの力と技で物事を解決する男。女性のように感情的ではなく、常に論理的(=効率的であり合理的)な男。 こうしたジェンダー的な価値規範が有能無能二元論を支えている部分は大きい(念のため付言するが、女性が有能/無能二元論を内面化しないという意味ではない)。いわゆるマンスプレイニングも、男性は専門家であり女性は素人である、という固定観念から生じる。 しかし、公共的思考なき合理性や技術は、あらゆる事柄をフラット化してしまう。情報伝達手段としていまだにファックスを使うことと、回復の見込みのない高齢者を生かし続けることが、同じ水準において「非効